60 変化
グラウンドでは、選手たちの片付けがだいぶ進んでいた。
夕方の光も少しずつ弱まり、スタンドの影が長く伸びている。
蒼はペットボトルの水を一口飲んだ。
そのとき。
「蒼ー!」
グラウンドの方から太陽の声が飛んできた。
蒼が顔を上げる。
太陽がフェンス越しに手を振っていた。
「先帰ってていいぞ!」
「俺らまだミーティングあるから!」
蒼は軽く手を上げて答える。
「おう!」
「ナイスバッティング!」
太陽は笑いながらグラブを振った。
それからベンチの方へ戻っていく。
蒼は立ち上がった。
「じゃあ俺もそろそろ帰ります」
紗夜も立ち上がる。
「私も」
二人はスタンドの階段をゆっくり降りていく。
少しだけ沈黙が続いた。
グラウンドの歓声も、もう遠い。
スタジアムの外へ出ると、少しひんやりした風が吹いていた。
蒼が言う。
「今日はありがとうございました」
「野球の話、楽しかったです」
紗夜は小さく笑う。
「こっちこそ」
「久しぶりにあんな真剣に試合見たかも」
少し歩いたところで、紗夜が足を止めた。
「私、こっち」
駐車場の方を指す。
蒼は頷いた。
「じゃあ」
「また大学で会うかもしれませんね」
紗夜は少し驚いた顔をする。
「……あ、そっか」
「同じ大学だもんね」
そして、ふっと笑った。
「そのときは、また野球の話付き合ってよ」
蒼も少し笑う。
「もちろん」
紗夜は軽く手を振った。
「じゃあね、蒼くん」
そう言って歩き出す。
蒼はその背中を少しだけ見送ってから、駅の方へ歩き出した。
夕方の空は少しずつ色を変え、グラウンドの照明がぽつぽつと灯り始めている。
紗夜は数歩進んでから、ふと立ち止まった。
振り返る。
蒼の背中は、もう少し遠くなっていた。
紗夜は小さく息を吐く。
「……柏木蒼、か」
二年前。
秋大会のマウンドに立っていた投手。
あのときのピッチングは、今でもはっきり覚えている。
そして今日。
その本人が、隣で普通に試合を見ていた。
紗夜は少しだけ口元を緩めた。
「……面白い人」
そのときだった。
「おーい!」
突然、後ろから声が飛んできた。
紗夜が顔を上げる。
少し離れた場所で、蒼がこちらを振り返っていた。
蒼は口元に手を当て、大きな声で言う。
「もしまた投げられるようになったら!」
紗夜は驚いたように目を見開く。
蒼は続けて叫んだ。
「そのときは̶̶」
「一番最初に、あなたに俺のピッチング見てもらいたい!」
グラウンドの向こうから吹いてくる風の中で、その声ははっきりと届いた。
紗夜は一瞬、言葉を失う。
胸が、どくんと強く鳴った。
思いもよらない言葉だった。
蒼はそれだけ言うと、少し照れくさそうに手を振り、そのまま駅の方へ歩いていく。
紗夜はしばらくその背中を見つめていた。
そして小さく呟く。
「……ほんと」
少し笑う。
「面白い人」
その頬は、ほんの少しだけ赤くなっていた




