54 見たことあるんだ
両チームとも決定打が出ず、得点は動かない。
気が付けば七回。
スコアは̶̶
1対0。
京葉大学がリードしていた。
そのときだった。
「ねぇ」
突然、隣から声がした。
蒼は横を見る。
さっきまで少し離れた席に座っていた女性が、いつの間にか隣に座っていた。
黒髪のストレートヘアが静かに肩に流れている。
近くで見ると、その顔立ちは想像していた以上に整っていた。
思わず視線を奪われるほどの美人だった。
女性は蒼を見ながら言う。
「きみ」
「総武学園にいた柏木蒼くんでしょ?」
蒼は一瞬、目を瞬かせる。
「……はい」
少し戸惑いながら答えた。
「そうですけど」
そして首を傾げる。
「どこかでお会いしましたっけ?」
女性は少し笑う。
「直接はないよ」
「でも、見たことある」
蒼は不思議そうに彼女を見る。
女性はグラウンドを眺めながら言った。
「二年前」
「きみのピッチング、見たことあるんだ」
蒼は眉をわずかに上げる。
女性は続けた。
「二年前の秋大会」
「木更津商業と試合したでしょ?」
蒼は一瞬、記憶を探る。
「……ああ」
女性は頷いた。
「その試合、見に行ってたんだよ」
そして少し肩をすくめる。
「私、木商卒なんだ」
蒼は少し意外そうな顔をした。
女性は続ける。
「でもさ」
「夏の大会には出てなかったよね?」
蒼は視線をグラウンドに戻す。
聞かれたくないことを突かれたような表情だった。
「……そうですね」
短く答える。
女性は首を傾げる。
「どうしたの?」
「怪我?」
蒼は少しだけ間を置いたあと、静かに答えた。
「春の大会で……肩を壊して」
「それで、夏はもう投げられませんでした」
女性は一瞬目を伏せた。
「……そうなんだ」
その声には、少しだけ残念そうな響きがあった。
しばらくグラウンドの音だけが流れる。
歓声、ベンチの声、ミットの音。
そして女性は、思い出すように言った。
「でもさ」
「二年前の秋大会」
「きみのピッチング、すごかったよ」
蒼は一瞬、目を瞬かせた。
女性はそのまま続ける。
「ノビのあるストレートに、コーナーを投げ分けるコントロール」
「それに、あのスライダー」
「まるで某二刀流メジャーリーガーみたいだった」
蒼は苦笑する。
「いや、それは言い過ぎですよ」
女性は首を横に振った。
「ううん、本当にそう思った」
「まだ二年生だったのに、もう高校生のピッチャーとしては完成されてたと思う」
少し間を置いてから、彼女は続けた。
「実はさ」
「その試合、一緒に見てた人がいたんだけど」
「元カレなんだけどね」
蒼は思わず女性の方を見た。
女性は軽く笑う。
「その人も言ってたよ」
「“あのピッチャーやばい”って」
「きみのピッチングには衝撃受けてた」
蒼は少し考えてから聞いた。
「その元カレさんって……野球部だったんですか?」
女性はふっと笑う。
そして蒼の方を見る。
「ねぇ、きみ」
「井端秀悟って知ってる?」




