193 幸せ者
喫茶店を出ると、外はすっかり夕方の色に染まっていた。
オレンジ色の光が街を包んでいて、昼とは少し違う静けさがある。
「もうこんな時間か」
蒼が小さく呟く。
「ね」
小夜も空を見上げる。
二人は並んで歩き出す。
特に急ぐわけでもなく、ゆっくりとした足取りで。
「野球部さ」
小夜がぽつりと口を開く。
「今年、結構本気みたいだよ」
「……そうなんですか?」
蒼が少しだけ視線を向ける。
「一部リーグ、狙ってるらしいし」
「……」
「だから、練習も多分きつくなると思う」
「……」
少しだけ間。
蒼は前を見たまま、小さく息を吐く。
「まあ……ですよね」
「うん」
小夜が軽く頷く。
「でも」
少しだけ蒼の方を見る。
「蒼くんなら大丈夫だよ」
「……」
その言葉に、少しだけ足が緩む。
「……どうですかね」
蒼が少しだけ笑う。
「いけるよ」
小夜があっさりと言う。
「……」
蒼は何も言わず、少しだけ前を見る。
夕焼けが、少しだけ眩しい。
少しの沈黙。
歩く音だけが、静かに続く。
「……そういえば」
小夜がふと思い出したように言う。
「最近さ」
「……はい?」
「愛菜ちゃんと、どうなの?」
「……」
一瞬。
足が止まりそうになる。
「……え」
蒼が少しだけ戸惑う。
「いや、その……」
言葉を探す。
「……普通っすよ」
とりあえずそう答える。
小夜がくすっと笑う。
「なにそれ」
「いや……」
蒼は少しだけ視線を逸らす。
「普通です」
言い直す。
「……ふーん」
小夜が少しだけ意味ありげに笑う。
少し歩いたところで、小夜がふと立ち止まる。
「ねえ」
「……はい?」
蒼も足を止める。
小夜が少しだけこちらを見る。
「愛菜ちゃんは、幸せ者だな」
「……え?」
蒼が戸惑う。
「だって」
少しだけ笑う。
「蒼くんの隣にいれるんだもん」
「……」
蒼は一瞬言葉を失って、少しだけ視線を逸らす。
「……なんすかそれ」
照れたように呟く。
小夜がくすっと笑う。
「別に、そのままだよ」
少しだけ間。
「じゃあ、またね」
軽く手を振る。
「蒼くん」
「……はい」
蒼も小さく頷く。
小夜はそのまま、夕焼けの中へ歩いていく。
蒼はその背中を、少しの間だけ見送る。
オレンジ色の光の中で——
その姿が、少しだけ遠くなっていった。




