192 黒崎流夜3
「……あいつ、昔からさ」
小夜がゆっくりと言葉を続ける。
「負けず嫌いだったんだよね」
蒼は、黙って聞く。
「小さい頃」
少しだけ懐かしそうに笑う。
「何やっても、私に勝てなかったんだよ」
「……え?」
蒼が少し驚く。
「かけっこも、キャッチボールも」
「全部」
「……」
「私の方がちょっとだけ早くて」
「ちょっとだけ上手くて」
「……」
「でもさ」
少しだけ間。
「毎回、勝負挑んでくるの」
くすっと笑う。
「今日こそ勝つって」
「……」
蒼の中に、小さな流夜の姿が浮かぶ。
「で、負けると」
「めちゃくちゃ悔しそうな顔するんだけど」
「……」
「次の日には、またやろうって言ってくるの」
「……」
「ほんと、しつこいくらい」
少しだけ優しく笑う。
「……」
「そのまま野球始めてさ」
小夜が続ける。
「気づいたら、ずっと投げてた」
「……」
「私が見てないとこでも」
「一人で壁に向かって投げてたり」
「……」
蒼は静かに聞く。
「高校でも」
少しだけ声のトーンが落ちる。
「ずっと控えだったけど」
「……」
「やってることは、たぶん変わってなかったと思う」
「……」
「出れなくても」
「ずっと準備してた」
「……」
静かな時間が流れる。
「で、大学入って」
小夜がカップに視線を落とす。
「やっと出れるようになって」
「……」
「結果も出るようになって」
「……」
「たぶん、あいつの中では」
少しだけ間。
「ずっとやってきたことが、やっと繋がった感じなんだと思う」
「……」
蒼は、ゆっくりと息を吐く。
「……」
「だからさ」
小夜が少しだけ顔を上げる。
「今のあいつ、ああいう感じなんだよ」
「……」
「軽そうに見えるけど」
「中身は、ずっと変わってない」
「……」
蒼は、静かに頷く。
頭の中に、流夜の姿が浮かぶ。
軽い笑い方。
距離の近さ。
でも——
その奥にあるもの。
「……」
カップの中のコーヒーが、わずかに揺れる。
「……すごいっすね」
蒼が小さく言う。
小夜が少しだけ笑う。
「でしょ」
少しだけ間。
「まあ、本人は絶対そんなこと言わないけどね」
「……」
蒼も少しだけ笑う。
「っぽいですね」
「でしょ?」
二人の間に、少しだけ柔らかい空気が流れる。
「……」
蒼は、カップに手を伸ばす。
少しだけ考える。
「……なんか」
ぽつりと漏らす。
「いいなって思いました」
小夜が少しだけ目を細める。
「……何が?」
「……」
蒼は少しだけ視線を落とす。
「ずっと続けてきたやつが、ちゃんと報われてる感じ」
「……」
小夜は、何も言わずに聞く。
「……」
「俺も」
少しだけ間。
「そうなれたらいいなって」
静かに言う。
「……」
小夜は、少しだけ優しく笑う。
「なれるよ」
短く言う。
「……」
「蒼くんなら」
その一言が、静かに残る。
店の中に、穏やかな時間が流れる。
外の音が、少し遠くに聞こえる。
蒼の中で——
また一つ、何かが積み重なった気がした。




