190 黒崎流夜
その日の帰り道。
夕方の空気は少しだけ柔らかくて、春の匂いが残っている。
駅へ向かう途中。
ふと、足が止まる。
(……あれ)
少し先。
喫茶店の前。
見覚えのある後ろ姿。
黒い長い髪。
すっとした立ち姿。
——小夜だ。
その隣に、スーツ姿の男が立っている。
二人で何か話している。
蒼は、少し離れた場所からその様子を見る。
男が何かを取り出す。
名刺のようなもの。
それを小夜に差し出す。
小夜はそれを受け取る。
軽く会釈。
男はそのまま去っていった。
(……なんだ今の)
少しだけ気になりながら、その場に立っていると——
小夜が、ふと顔を上げる。
目が合う。
「……あ」
小夜が少し驚いたように言う。
「蒼くん?」
「……どうも」
蒼が軽く会釈する。
小夜がこちらに歩いてくる。
「こんなとこで会うなんてね」
少しだけ笑う。
「ですね」
蒼も軽く返す。
少しだけ間。
さっきの光景が、頭に残っている。
「……あの」
蒼が口を開く。
「さっきの男の人と、何話してたんですか?」
小夜が「あー」と軽く声を出す。
「さっきの?」
ポケットから名刺を取り出す。
それを蒼に見せる。
「モデルのスカウト」
「……え」
思わず声が出る。
「すごいじゃないですか」
小夜は軽く肩をすくめる。
「別にすごくないよ」
「よくあるんだよね、こういうの」
さらっと言う。
「……そうなんですか」
蒼は少しだけ驚いたまま頷く。
小夜は少しだけ蒼を見る。
「時間ある?」
「……え?」
「ちょっとお茶してこうよ」
軽く言う。
「いいですよ」
蒼もすぐに頷く。
二人で、そのまま喫茶店に入る。
店内は落ち着いた雰囲気で、外のざわめきが少し遠くなる。
席に座る。
注文を済ませる。
少しだけ、間。
「……そういえば」
蒼が口を開く。
「小夜さんって、双子だったんですね」
小夜が一瞬、きょとんとする。
「……え?」
すぐに、少しだけ笑う。
「まさか」
「流夜と会った?」
「……はい」
蒼が頷く。
少しだけ間を置いてから——
「……実は」
蒼が続ける。
「俺、野球部に入りました」
小夜の目が少し大きくなる。
「……え?」
一瞬の驚き。
でもすぐに——
ぱっと表情が明るくなる。
「ほんとに?」
「……はい」
蒼が頷く。
小夜が、少しだけ前のめりになる。
「やった」
嬉しそうに言う。
「また蒼くんのプレーみれるってことか」
「……」
蒼は少しだけ照れたように笑う。
「昨日、バイトの先輩の牧原さんに声かけられて」
「バイト終わりに、そのままグラウンドに連れてかれました」
「そこでキャプテンの宮本さんに会って」
「この前の試合、見てたって言われて」
「……」
「なんでサークルなんだって聞かれて」
「肩のこと、話しました」
「……」
「そしたら、打ってたし守ってただろって」
「完全にやめたやつの動きじゃないって言われて」
「……」
「無理に来いとは言われなかったです」
「でも」
少しだけ間を置く。
「もったいないって」
「……」
「やるなら中途半端はやめろって言われました」
「……」
「それで、一回考えて」
「今日、入るって伝えてきました」
小夜は、その話を静かに聞いて——
ふっと笑う。
「……そっか」
優しく言う。
「やっぱり蒼くんは野球をやってる方がいい」
「……」
蒼は少しだけ目を逸らす。
「……そうだといいんですけど」
「いいに決まってる」
小夜は軽く言い切る。
そのままカップに手を伸ばす。
「流夜ね」
ぽつりと口にする。
蒼が少しだけ顔を上げる。
「今日会ったんでしょ?」
「……はい」
「どんな感じだった?」
「いや……」
少しだけ考える。
「なんか、軽いというか」
「めちゃくちゃフレンドリーでした」
小夜がくすっと笑う。
「でしょ」
「……」
「流夜、ああ見えて結構ちゃんとしてるんだよ」
少しだけ視線を外す。
「高校のときは、ずっと控えだったんだけど」
蒼が静かに聞く。
「……」




