180 年越しの準備
翌日。
朝の空気は澄んでいて、窓の外には白い景色が広がっていた。
「今日、買い出し行くから」
母が言う。
「年越しの準備しないと」
「うん」
蒼が軽く頷く。
「愛菜ちゃんも一緒に行く?」
「……いいんですか?」
「もちろん」
母が笑う。
「一人増えた方が助かるし」
「じゃあ……お願いします」
愛菜も小さく頭を下げる。
外に出る。
昼でも、空気は冷たい。
「やっぱ寒いな」
蒼が言う。
「昨日よりマシだけどね」
母が笑う。
三人で歩く。
雪を踏む音が、静かに響く。
「愛菜ちゃん、寒くない?」
母が気にかける。
「大丈夫です」
愛菜が頷く。
「ちゃんと着てきたので」
「えらいえらい」
軽く笑う。
「結構買うんだろ?」
蒼が袋を見ながら言う。
「まあね」
母が答える。
「年越しだし、色々作るから」
「そばとか?」
「そうそう」
「あとおせちっぽいのも少し」
「へぇ」
蒼が軽く頷く。
スーパーの中。
年末の空気。
人が多く、少し賑やか。
「これ取って」
「はい」
そんなやり取りをしながら、買い物は進む。
帰り道。
袋を持ちながら歩く。
「意外と重いな」
蒼が言う。
「持つよ」
愛菜が言う。
「いいって」
「でも——」
「いいから」
軽く言う。
家に戻る。
玄関に入ると、少しほっとする。
「じゃあ、準備始めるか」
母が言う。
「愛菜ちゃん、手伝ってくれる?」
「はい、もちろんです」
すぐに答える。
台所。
包丁の音。
水の音。
静かに、時間が流れる。
「手際いいね」
母が言う。
「いえ、そんな」
愛菜が少し照れる。
「家でもたまにやるくらいで」
少しだけ間。
「……愛菜ちゃん」
母がぽつりと言う。
「はい?」
愛菜が顔を上げる。
「ごめんね」
静かに言う。
「……え?」
愛菜が一瞬止まる。
「高校のとき」
母が続ける。
「蒼が、急に別れるって言い出して」
「……」
愛菜は、何も言えない。
「理由も全然筋が通ってなかったし」
母が少しだけ息を吐く。
「見てて、どうしていいか分からなかった」
包丁の音が止まる。
「でもね」
少しだけ言葉を選ぶ。
「あのときの蒼は……」
「本当に、抜け殻みたいで」
「野球もできなくなって」
「何もやる気なくして」
「見てて、辛かったの」
「……」
愛菜は静かに聞く。
「だから」
母が続ける。
「結果的に、ああいう形になっちゃったけど」
「……」
「ちゃんと、向き合えなかったのは事実だから」
「ごめんね」
「……いえ」
愛菜が小さく首を振る。
「私は、全然気にしてないです」
まっすぐに言う。
「それに……」
少しだけ考える。
「アオのこと、あのときも今も好きなので」
母が、少しだけ目を細める。
「……そっか」
小さく頷く。
「ありがとう」
そして——
ゆっくりと、頭を下げる。
「またこうやって、蒼が野球始めたのも」
「愛菜ちゃんのおかげだと思ってる」
「本当に、ありがとうございます」
「……っ」
愛菜が少し慌てる。
「や、やめてください」
「顔、上げてください」
「……」
母がゆっくり顔を上げる。
「私、そんな」
少しだけ言葉を探す。
「でも……」
小さく笑う。
「そう思ってもらえるなら、嬉しいです」
母も、少しだけ笑う。
「これからも」
静かに言う。
「蒼のこと、よろしくね」
「……はい」
愛菜がしっかり頷く。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
台所の空気は、少しだけ柔らかくなっていた。
(こんな風に……)
愛菜は、ふと思う。
(大人の人にちゃんと感謝されたの、初めてかも)
少しだけ胸が温かくなる。
包丁の音が、また静かに響き始める。




