120 私、まだ
施設を出る頃には、外はすっかり夜になっていた。
昼間の賑やかさとは違い、
少し落ち着いた空気が流れている。
「いやー、楽しかったですね!」
七海が両手を上げて伸びをする。
「そうだな」
蒼も軽く頷く。
二人は並んで歩き出す。
駅へ向かう道。
昼とは違って、人も少ない。
「蒼先輩、やっぱすごかったですね」
七海が横を見ながら言う。
「何が」
「野球ですよ」
少しだけ笑う。
「ほんとに、まだ全然やれそうでした」
蒼は少しだけ視線を逸らす。
「……どうだろうな」
それ以上は、言わない。
七海もそれ以上は踏み込まない。
少しだけ、静かな時間が流れる。
足音だけが、夜に響く。
「……でも」
七海がぽつりと呟く。
「今日の蒼先輩」
少しだけ間を置く。
「なんか、楽しそうでしたよ」
その言葉に̶̶
蒼は一瞬だけ、足を止めそうになる。
「……そうか?」
何気ない声で返す。
七海は頷く。
「はい」
「なんか、最初よりずっと」
少しだけ照れたように笑う。
「いい顔してました」
蒼は小さく息を吐く。
「……気のせいだろ」
軽く流す。
でも̶̶
(……バレてたか)
心の中で、少しだけ苦笑する。
しばらく歩く。
街灯の明かりが、一定のリズムで足元を照らす。
そのとき。
七海が、ふっと立ち止まった。
「……蒼先輩」
名前を呼ぶ声が、少しだけ静かになる。
蒼も足を止める。
「ん?」
七海は少しだけ視線を逸らしてから̶̶
すぐに、蒼を見る。
「今日」
「ほんとに楽しかったです」
まっすぐな言葉。
蒼は少しだけ驚いたように目を細める。
「……そっか」
短く返す。
七海は少しだけ笑う。
「また、行きましょ」
軽い口調。
でも̶̶
その中に、ほんの少しだけ本気が混ざっていた。
蒼は少しだけ間を置いてから。
「……まあ、暇ならな」
そっけなく返す。
七海はすぐに言う。
「じゃあ決まりですね」
「おい」
思わずツッコむ蒼。
七海は楽しそうに笑った。
そして̶̶
ほんの少しだけ、声のトーンを落とす。
「……私、まだ諦めてないですから」
一瞬。
空気が変わる。
蒼の動きが、止まる。
七海はすぐに、いつもの笑顔に戻る。
「じゃあ、ここで!」
住宅街の分かれ道で立ち止まる。
「今日はありがとうございました!」
ぺこっと頭を下げる。
蒼は少しだけ遅れて答える。
「……おう」
七海は軽く手を振る。
「気をつけて帰ってくださいね!」
そのまま、自分の家の方へ歩いていく。
蒼はその背中を、少しだけ見送った。
「……」
さっきの言葉が、頭に残る。
̶̶私、まだ諦めてないですから
小さく息を吐く。
「……ったく」
苦笑する。
でも̶̶
どこか、悪い気はしなかった。
蒼もまた、ゆっくりと歩き出す。
夜の空気が、少しだけ優しく感じた。




