108 迷子の手を引く
花火大会の会場。
提灯の灯りが、夜の中で揺れている。
人のざわめき。
屋台の匂い。
どこか懐かしい空気。
蒼と凛は、並んで歩いていた。
「……ごめん、遅くなって」
蒼が少しだけ息を整えながら言う。
凛は首を振る。
「ううん、大丈夫だよ」
少しだけ笑って。
「そんなに待ってないし」
その表情は、いつも通りだった。
明るくて、柔らかくて。
̶̶まるで、何もなかったかのように。
蒼は少しだけ迷う。
「……あのさ」
言いかける。
でも̶̶
凛がその前に言った。
「蒼くん」
少しだけ前に出て、振り返る。
「お腹空いちゃった」
にこっと笑う。
「屋台、回ろ?」
その一言で。
蒼の言葉は、止まった。
「……ああ」
小さく頷く。
凛は楽しそうに歩き出す。
⸻
二人は屋台を回りながら、他愛のない会話を続けていた。
焼きそば、たこ焼き、かき氷。
笑って、食べて、また歩いて。
そんな時間の中で̶̶
ふと。
小さな泣き声が聞こえた。
「……ぐすっ……」
二人が同時に足を止める。
少し離れたところで、小さな女の子が一人で立っていた。
周りを見回しながら、涙をこぼしている。
蒼がすぐに動いた。
「ちょっと行ってくる」
そう言って、女の子の前にしゃがむ。
目線を合わせて、優しく声をかけた。
「どうした?」
「迷子か?」
女の子は泣きながら頷く。
蒼は落ち着いた声で続ける。
「大丈夫、大丈夫」
「名前言えるか?」
ゆっくりと。
怖がらせないように。
優しく、丁寧に。
凛は、少し離れたところからその様子を見ていた。
蒼が女の子に声をかける。
そのとき、凛は一瞬だけ足を止めた。
けれど̶̶
すぐに、何事もなかったかのように歩き出す。
蒼は女の子の手を軽く引いて立たせる。
「迷子センター行こうな」
「お姉ちゃんも一緒に来てくれるから」
そう言って、凛の方をちらっと見る。
凛は小さく頷いた。
「……うん」
三人で歩き出す。
蒼は終始、落ち着いた声で女の子に話しかけていた。
「もうすぐ見つかるからな」
「大丈夫だよ」
迷子センターに着き、スタッフに引き渡す。
女の子は少し安心したように、涙を止めていた。
「ありがとうございました」と頭を下げられる。
蒼は軽く手を振る。
「気にしなくていいですよ」
外に出る。
少しだけ人混みから離れた場所。
凛は、隣を歩きながら言った。
「……優しいね」
蒼は少し照れたように笑う。
「まあ、放っておけなかっただけ」
凛は何も言わず、小さく笑った。
遠くで、アナウンスが流れる。
「まもなく花火大会が始まります̶̶」
凛が顔を上げる。
「花火、もうすぐだね」
蒼も空を見上げる。
「……ああ」
凛が少しだけ嬉しそうに言う。
「いい場所、知ってるんだ」
「人少ないとこ」
蒼を見る。
「行こ?」
「……おう」
二人は並んで歩き出す。
祭りの喧騒から、少しずつ離れていく。




