103 当日
花火大会当日。
夕方前。
蒼は部屋の鏡の前で、軽く服を整えていた。
Tシャツの裾を直し、少しだけ髪を触る。
(……なんか落ち着かねえな)
理由は分かっている。
今日は、凛との約束がある日。
そしてその前に̶̶
愛菜と会う。
蒼は小さく息を吐くと、スマホと財布をポケットに入れた。
「……行くか」
部屋を出る。
⸻
待ち合わせ場所は、花火大会会場近くの少し外れた公園の一角。
人通りはほとんどない。
メインの会場とは少し離れていて、
屋台の賑やかな音も、ここまで来ると少しだけ遠く感じる。
夕方の空気は、まだ少しだけ明るさを残していた。
蒼は指定された場所に立ち、周りを見渡した。
(……静かだな)
ざわめきはある。
でも、どこか落ち着いている。
そんな場所だった。
そのとき。
「蒼」
声がした。
振り返る。
そこには、愛菜が立っていた。
いつもより少しだけ雰囲気が違う。
私服も、どこか気合いが入っているように見える。
蒼は軽く手を上げる。
「おう」
愛菜も小さく頷いた。
「待った?」
「いや、今来たとこ」
短い会話。
それだけで、少しだけ沈黙が落ちる。
遠くから聞こえる人の声。
でも、この場所は静かだった。
蒼は視線を少し逸らしながら言う。
「……こっち、静かだな」
「うん」
愛菜は小さく頷く。
「ちょっと落ち着いて話せるかなって思って」
その一言で、蒼は少しだけ理解する。
(……やっぱりな)
軽く息を吐く。
また、沈黙。
でも今度は、さっきよりも少し重い。
やがて、愛菜が口を開いた。
「こうやってちゃんと話すの、久しぶりだね」
蒼は少しだけ苦笑する。
「……そうだな」
高校の頃は当たり前だった時間。
でも今は、少しだけ遠い。
愛菜は続ける。
「なんか、不思議な感じ」
蒼は小さく頷く。
「分かる」
風が少しだけ吹く。
愛菜の髪が揺れる。
蒼はそれをぼんやりと見ていた。
やがて̶̶
愛菜が、ゆっくりと蒼の方を向いた。
「ねえ、蒼」
その声で、空気が変わる。
蒼も視線を向ける。
「……ん?」
愛菜はほんの少しだけ間を置いて̶̶
「ちょっとだけ、いい?」
その表情は、真剣だった。
蒼は一瞬だけ息を止める。
(……来る)
そう思いながらも、ゆっくりと頷く。
「……いいよ」
その一言で、もう逃げ場はない。
遠くで人のざわめきが聞こえる。
でも、この場所だけは静かだった。
空は少しずつ、夕焼けに染まり始めている。
̶̶そして。
愛菜が、口を開いた。




