102 始まる前日
その日の夜。
蒼は自分の部屋のベッドに寝転び、天井を見つめていた。
エアコンの静かな音。
外から聞こえる、かすかな虫の声。
部屋の中は、やけに静かだった。
(……花火大会の前に、か)
愛菜の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
̶̶花火大会の前にさ
̶̶少し、時間もらえる?
あのときの声と表情が、やけに強く残っていた。
蒼はゆっくりと目を閉じる。
浮かんでくるのは̶̶
愛菜の顔。
高校のときの記憶。
一緒にいた時間。
楽しかったことも、全部。
(……愛菜は)
そこまで考えて、思考が止まる。
代わりに、別の顔が浮かぶ。
凛。
笑っていた顔。
少し照れたような表情。
海での時間。
砂浜でのやり取り。
「花火大会、行こう」
そう言ったときの、あの嬉しそうな顔。
蒼は小さく息を吐く。
(……なんだよ)
自分でも分かっている。
少しずつ。
確実に。
気持ちが動いていること。
でも̶̶
(……それでいいのかよ)
胸の奥が、わずかにざわつく。
そのとき、ふと別の言葉がよぎる。
̶̶そういうとこだよ
̶̶ちゃんと楽しんできなよ
小夜の声。
軽い調子なのに、妙に引っかかる言葉。
蒼は目を開ける。
天井を見つめたまま、小さく呟く。
「……どうすりゃいいんだよ」
答えは、出ない。
でも̶̶
ひとつだけ、はっきりしていることがある。
逃げられない。
今回だけは。
ちゃんと向き合わなきゃいけない。
蒼はゆっくりと体を起こした。
スマホに手を伸ばす。
画面には、凛とのトーク画面。
少しだけ迷ってから、指を動かす。
『花火大会、楽しみにしてる』
短い一文。
送信ボタンを押す。
すぐに既読がつく。
少しして、返信が来た。
『うん、私も楽しみ』
その一言に、胸が少しだけ温かくなる。
同時に̶̶
どこか、痛む。
蒼はスマホをベッドの横に置いた。
(……ちゃんとしないとな)
小さく息を吐く。
静かな部屋の中で。
その決意だけが、はっきりと残っていた。




