34 はなさない
数分後、公園に警察官が到着した。
江崎が事情を説明している間、倫太郎は野次馬から離れて公園の奥に消えた。
江崎は、「偶然見かけた。突然のことでよく覚えていない」などと言い、犯人の身長や服装を曖昧に答えていた。
江崎も、わかっている。
信じたくはないが、やはりあれは、麗奈なのだろう。
女性を打ったあのフォーム。体形。デートでバットを振っていた麗奈と重なる。
遠目であろうと、彼女を見つめ続けてきたこの目が、そう告げていた。
なにやってるんだよと、落胆と怒りが込み上げた。それでも、江崎の曖昧な証言にほっとしている自分もいた。
だが、このまま見過ごすわけにはいかない。
自首すれば減刑になるだろうか。
もしそうなら、自首させたい。
高志は、野次馬を抜けて倫太郎を探した。
まだ帰ってはいないはずだ。
倫太郎は、公園の奥まった場所のベンチに座っていた。
近づくと、犬が唸り声をあげた。
「おす」
声をかけた途端に犬が吠えはじめ、倫太郎は手をかざして黙らせた。
「高志、どうしてここにいるの?」
「おまえこそ。偶然じゃないだろ」
「僕は、頼まれたから」
「誰に、何を」
「言いたくない」
「言えって」
「やだ」
「どうしておまえは、いっつもそうやって!」
声を荒らげると、倫太郎が言い返してきた。
「高志も、いい年してすぐキレんの止めなよ」
大人げない一面をつつかれ、拳を握って口を閉じた。
「……ススムさんだよ」
「はぁ?」
さっそく切れ気味の声が出た。
「ススムさんが、奥さんを心配してたの」
導火線に火がついた。
「あいつ、今も麗奈と一緒にいるのに、奥さんの心配だと?」
「奥さんが通り魔に襲われるかもしれないって思ったら、心配するでしょ」
「え? さっきの襲われた女性って、ススムッチの奥さん?」
「それはわからないよ。暗くてよく見えなかったし」
「じゃあ、なんで今日……」
「ススムさん、ニュースを見てるうちに不安になったみたい」
「同じ市内の犯行ってだけで?」
「違う。子供の習い事の曜日とか場所で。麗奈さんに会うのを断られた日は、習い事の日だったって気づいたらしいよ」
「おまえまさか、さっきの犯人が誰かって……」
「たぶん、麗奈さん」
倫太郎は、さらりと言った。
「ススムさんさ、今日の麗奈さんの格好を見て、嫌な感じしたんだって。で、僕んとこにきた。今日、バレエの日だったし」
倫太郎は、犬の頭をなでながら続けた。
「家族のことも、いろいろ話したんだってさ」
「麗奈に? 馬鹿かよあいつ」
「『好きな人のこと知りたいから』って言われたみたい。女の気持ちってわかんないや」
「いや、普通は知りたくないだろ。その情報で、奥さんを狙ったのかもな」
「あ、うん。そんなこと言ってたな。何かあったら自分のせいだって気にしてた」
ため息が出た。
本当にあいつは馬鹿だ。
麗奈の嫉妬を想像しなかったのだろうか。いや、嫉妬されることに酔っていたのかもしれない。
「麗奈さんの引っ越しも、疑う理由の一つだったみたい。ススムさんの家って、この辺でしょ」
「そうなの?」
「うん」
「でも、本当に麗奈なのかな。朝のニュースじゃ、子供が一緒とは言っていなかったけど」
「そう? 僕がみた時は、子連れって言ってたけど」
「そっか……」
つぶやくように言い、麗奈との会話を思い出していた。
ベッドで横になり、顔を近づけて、麗奈が言った。
「男と女ってね、浮気された時の怒りの矛先が違うのよ。男が浮気されると自分の女に怒り、女の場合は、相手の女を恨むの」
「そうなんだ。――麗奈も?」
「私、浮気されたら、相手の女を殺しちゃうかも」
そう言って微笑む麗奈は、怖いくらいに美しかった。
冗談だと思っていた。
麗奈ならやりかねないな、と思いながら、彼女の前髪をそっと指でわけて、額にキスをした。
俺は、麗奈の美しい顔、わがままな言葉、身体――それ以外の何を見て過ごしていたのだろう。
週末だけの関係を疑いもせずに、彼女を知り尽くしているつもりだった自分が情けない。
真実を、他人の言葉で知らされた今、麗奈という女の本当の顔が、ようやく見えた気がした。
一連の事件の犯人は、麗奈である可能性は高い。
ススムを偏愛し、嫉妬に狂った末の犯行。
いかにも、麗奈らしい。
ススムの死で、妻への嫉妬も消えそうなものだが、きっと彼女は遂げるまでやめない。
狙った苗字を、ニュースで聞くまで。
執着心の強い女だ。
引っ越したのは、ススムのそばにいるためか、それとも、奥さんを狙ってか。
いわくつき物件でも躊躇なく契約した理由も、今ならわかる。
あの女にとって、いわくつきなど瑣末な問題なのだ。
麗奈の怖さを痛感して身震いすると、ふいに、記憶の引き出しが開いた。
桃子の、優しい笑顔。
夜空を見上げて、紫煙を吐くように細く長い吐息をついた。
――会いたいな。
しばらく黙ったままベンチに座っていると、突然、倫太郎が立ち上がった。
「タカシ、行くよ」
「そうだな、帰るか。でも警察はどうすんだ?」
倫太郎は、臭い物を嗅いだような顔をした。
「あのさ、犬への指示に返事するのやめてくれない?」
言われて気がつき、恥ずかしくなった。
「同じ名前なんだからしょうがないだろ。おまえが敬称つけて呼べばいいんだよ。年上を敬え」
倫太郎はリードをひき、犬に顔を寄せて言った。
「行こう、タカシ君」




