27 刺さる
指輪は――俺だぞ。
誰と間違えてるんだ?
恋人って、俺だよな?
立て続けにパンチを食らい、卒倒しそうになる。
「それに」
麗奈は、ネックレスをつまみ上げ、指輪とともに胸元へ引き寄せた。
「思い出すのが辛いから、これは捨てたのよ」
高志は、麗奈の切なげな瞳から、咄嗟に目を逸らした。
これ以上は聞くなと直感が告げ、耳を塞いだ。それでも、音は入ってくる。
すると、目の前に桃子が立った。
「高志君、部屋に戻ろうか」
ぼんやりと桃子の顔を見ていると、目の前の顔が、今にも泣きだしそうな表情に変わった。まるで、自分の感情がそこに映っているみたいに。
「倫太郎君」
下から男の声がした。
床に目をやると、麗奈の足元に、うつぶせのシンさんがいた。
皮のズルむけた血だらけの顔を上げ、言った。
「ネックレス捨てないよう言ってくれ。俺も大切にしているからって」
目に入るものも、耳に入る声も、現実に思えない。まるで、どこか遠くの出来事みたいだった。
何も理解できない。不快感だけが腹の底から染み出してくる。
桃子と倫太郎を見ると、二人とも困惑した顔で立っていた。
麗奈の恋人って、――シンさん?
頭が追いつかない。
シンさんが麗奈と関係していた。
それだけでも信じられないのに、その話を桃子の前でするなんて――。驚きが怒りに変わっていく。
「頼む! お願いだ」
口から血を流しながら、必死に頼み込んでいる。
倫太郎は困った顔をして、額を指でかいた。
やがて、口の中を切ったかの痛々しい顔で、シンさんの言葉を麗奈に伝えた。
聞き終えた麗奈は、瞳をうるませてネックレスと指輪を握りしめた。
高志は呆然と麗奈を見つめた。
心の針が、怒りと悲しみの両方に触れたまま、定まらない。
ぶつけたいのか、縋りたいのかもわからない。そのまま、思考が停止した。
呆然としたまま、一つだけ明瞭な答えが胸にあった。
今すぐここから消えたい。
耳を塞げないなら、離れるしかない。
高志は、805号室へ歩き出した。
途中、床に寝転ぶシンさんの首元に目をやると、血まみれのうなじに、ネックレスが光って見えた。
「なんなんだよ……」
心の声が、力なく喉から漏れる。
とぼとぼと歩いていると、背後から倫太郎の声がした。
「高志ごめん。俺、本当は……」
倫太郎がシンさんの言葉を伝えたのは、同情からだとわかっている。
未練たらたらの俺の話を、散々聞かされたのだから、複雑だったはずだ。
状況から考えて致し方ないとは思うが、今は、とても大人の対応で返せそうにない。
無言のまま歩いていると、背後から麗奈の声が聞こえた。
「ねぇ君、この間も高志って言ってたし、このネックレスもだけど、どうして高志やススムのこと、そこまで知ってるの?」
足が、止まった。
今、なんて言った?
ススム?
頭の中で、麗奈との記憶が倍速で遡る。
いつでも俺に向けられていた恋する大きな瞳。確かにこの目で見てきた。
曖昧じゃない。頭に焼き付いている。
見つめ合い、笑い合ってきた半年に、自分以外の恋人、シンやススムという人物が同時にいたとは思えない。
好かれているという自信で満ちていた。そう思わせてくれたのは、麗奈だ。
さっきの言葉からすると、浮気相手が俺であるように取れる。
まさか。まさか。
心を絞るようにして、思い出をすべて出しきったが、どこを探しても嘘や偽りは見つからなかった。
惹かれ合って重ねた唇。あの瞬間からはじまり、積み重ねてきた時間は本物だ。
出会いに不自然な点もない。偶然、ススムの知り合いで――。
ススム?
通り過ぎかけた名で、足が止まった。
まさか――ススムッチのことじゃないよな。
ネックレスを渡した恋人は、あそこで転がっているシンさんだろ?
わけがわからず、額に手をやった。
シンさんを見ながら記憶を辿っていると、散らばっていたものがじわりと寄り始め、やがて重なり合った。
ゆっくり振り返り、床の男に視線を落とす。
「おまえ……、ススムッチだろ」
シンさんは、微動だにせず、床に顔を伏せている。
「音読みにして、誤魔化してたのか」
怒りで声が震えた。
顔は潰れて判別できないが、先ほど聞いた男の声。あの声は、ススムだ。
なぜあいつが霊なんだ。なぜ恋人なんだ。考えようとするたび、怒りに潰されて頭が真っ黒になった。
男は、ずり、ずりと身体を引きずりながら近づいてきた。
ゆっくりと上半身が持ち上がる。腕立て伏せのような体勢だ。土下座のつもりか。
そのまま、何も言わない態度に腹が立ち、高志は声を荒らげた。
「ススムッチなんだろ!」
男はしばらくかたまっていたが、じれったくなる動きで顔を持ち上げた。
首から下がるネックレスが見え、引き千切ってやりたい衝動にかられた。
「ごめん、タカシッチ……」
愕然とした。
気が置けない仲で、ススムがいたから仕事も楽しめていた。生涯の友になると思っていた。
その男に騙されていたというのか。謝られたところで、許せるはずがない。
知る限りの汚い言葉でののしってやりたい。だが、どう言っても、きっとこの怒りは収まらない。
無言のまま、歯噛みして拳を握りしめた。
玄関口では、麗奈と倫太郎が話を終えたらしく、扉が閉まった。
麗奈がリビングへ行った後も、高志は廊下でその場に立ったまま、ススムを睨み続けた。
「高志君、私の話を聞いて」
桃子が遠慮がちに近づいてきた。思わず睨みつけると、桃子は表情をこわばらせたが、それでも、何か言おうとしていた。
言葉が発せられる前に、こちらが先に声を出した。
「この男がいる理由も知ってたの? 桃子ちゃんも、俺に嘘ついてたの?」
八つ当たりだと分かっていても、押さえられなかった。
桃子は黙って目を伏せた。
「いい、何も聞きたくない」
そう言ってリビングへと歩き出したが、途中で止まって踵を返した。
今は、麗奈の顔も見たくない。ススムを避けて壁沿いを歩きながら玄関へ進み、外廊下に出た。
いったい、この数日の努力はなんだったんだ。いや、麗奈と出会ってからの半年間はなんだったんだ。
死を受け入れられずに苦しみ、それでも麗奈を守ろうとしてきた。なんのための努力だ。ふざけるな! ふざけるな!
誰もいない廊下で、膝に手をついて身を折った。
声は出さず、全身に力を込めて叫んだ。




