26 目と口
桃子と外廊下に出ると、佐藤があくびをしながら頭をぼりぼりとかいていた。
倫太郎がなかなか現れず、迎えに行こうとしたとき、ようやく扉が開いた。
暗い表情の倫太郎が出てきて、その後ろには姉がいた。
佐藤は、スマホから目を離して姉を見るなり、「あ、ども」と、緊張した面持ちで言った。
「倫太郎、この子と?」
姉に聞かれて、倫太郎が小さくうなずいた。佐藤は、兄弟の顔を交互に見ている。
「ここ押すの?」
姉は、手にした四角いものを見ながら、倫太郎に聞いた。
見覚えがある。倫太郎の部屋の棚にあったチェキだ。
高志は、倫太郎の横に立って言った。
「よく連れ出したな。やればできんじゃん」
眉間に皺を寄せたままの倫太郎に言った。
「皆で、エレベーターの方に移動して」
倫太郎は、一つため息をついてから、床を見たまま言った。
「あっちで」
言った後にエレベーターの方へ向かって歩き出すと、佐藤が、倫太郎の腕をつかんだ。
「何すんの?」
「さ、佐藤君にお願いがあって。写真を、一緒に……」
「は? なんでおま……君と写真? 嫌だ、俺帰る。アレは明日でいいから」
佐藤は、不機嫌そうに廊下を歩きだした。
すると、姉が佐藤に声をかけた。
「え、ちょっと待って、君、転校するんでしょ。こいつ、思い出に写真撮りたいみたい」
佐藤が振り向き、首を傾げた。
「転校? しませんけど」
「はぁ?」
姉は倫太郎の顔を見た。
佐藤と姉の視線に挟まれた倫太郎は、狼狽した様子で一歩後ずさった。
高志も焦り、言い訳を考えねばと頭を巡らせていると、姉が何か考え込むような顔をして、口を開いた。
「私、写真部なんだけど、君みたいなかっこいい子を撮りたくて弟に頼んだの。お願い、撮らせてもらえない?」
佐藤は一度、エレベーターの方に顔を戻し、ゆっくりと姉に身体を向けた。
姉は、麗奈と見紛うような声で首を傾け「だめぇ?」と言った。
高志は、小声で倫太郎に言った。
「おまえ、姉ちゃんにそう言ってって頼んだの?」
倫太郎は首を横に振った。
この姉……意外だが、意外過ぎて信じられないが、バーバリーのバッグに犬のウンコをいれて気取っているだけの、お馬鹿さんじゃないのかもしれない。
意味はわかっていないだろうが、何かしらを察していると見た。いいぞ、ねえちゃん。
あっけなく姉の色気にやられた佐藤は、満更でもない顔で、「いいですけど」と言い、短い前髪を、太い指で直しはじめた。
その間に、桃子に立ち位置を指示した。
予定していた位置に倫太郎と佐藤を並ばせ、シャッターの合図を倫太郎に送った。
佐藤は、細く見せようとしているのか、チェキを構える姉に向かって身体を斜めにし、背筋を伸ばしている。
カシャ。
カメラから出てきた写真を引き抜いた姉は、それを倫太郎に差し出した。
「デブに渡して」
高志が言うと、倫太郎はおずおずと写真を佐藤に渡した。
佐藤は、前髪を直しながら写真に目を落とした。
二十秒ほどして、「うわぁ」と声を上げて写真を床に投げ捨てた。
姉がそれを拾い上げる。
「げっ、なにこれ」
高志は写真をのぞきこんだ。
倫太郎と佐藤が並んで写っている。以前と同じ、ねじれた老木のような影が、佐藤の身体に絡みつくように映り込んでいる。目や口の位置に黒い影が落ち、歪んだ顔のように見える。
胸の前で小さくガッツポーズをとった時、聞き覚えのある音が耳に飛び込んできた。
高志は、すぐに倫太郎に声をかけた。
「もう一枚! もう一枚撮ってって姉ちゃんに頼んで。急げ!」
倫太郎は、声の勢いに気圧されたのか、顔をこちらに向けると、珍しく素直にうなずいた。
佐藤は、もう一枚と言われた瞬間に嫌な顔をしたが、またもや姉の色気に落ちた。
カシャ。
「それもデブに!」
倫太郎は高志に言われた通りに佐藤に差しだしたが、佐藤は両腕を後ろに隠し、受け取りを拒んだ。
すると姉が、倫太郎の手から写真を引き抜き、佐藤の手に強引に握らせた。
徐々に浮かび上がる佐藤の引きつった顔を見て、高志は「おっし!」と声を出した。
背後には、ねじれた影だけじゃない。
外へ飛び出すような人影が写り込んでいる。
スーツ姿だと分かるほどではないが、確かに「人」だ。
しかも――
こちらを向いている。
目と、口。穴のように黒く開いたそれが、はっきりとこちらを見ている。
「ひぇっ」
佐藤が情けない声を上げた。
高志は、思わず笑いそうになった。
あいつ――乗ったな。
あの男と、ハイタッチしたくなった。
「倫太郎、俺の言葉を、そのままデブに言って」
うなずくのを確認してから、覚えられる長さで区切って言った。
倫太郎は覚えるのが精一杯らしく、高志の台詞を棒読みで伝えた。
「佐藤君、秘密にしてたんだけど、僕、霊能力があるんだ。変なもの写ってるでしょ? それは、この世に未練を残して死んだ人たちだよ」
棒読みを聞いていた姉が、手にしていた一枚目の写真を凝視して、潰れたゴキブリを見るような顔をした。
佐藤は、写真以上に顔を引きつらせながらも、強がるように、へ……へへ、とぎこちなく笑っている。
高志は続け、倫太郎が復唱した。
「嘘じゃないよ。後ろのは、パワハラを苦に飛び降りたサラリーマン。」
佐藤は、二重アゴを作って写真に顔を寄せた。みるみる顔が青ざめていく。
「こ、こんなの、細工だろ。てか、これ、お前に憑いてんじゃねーの?」
仕掛けを探すように、写真を裏返したり、空に透かしている。
高志は、倫太郎へ次の指示を出した。
「佐藤君」
佐藤は、写真から顔をあげた。
カシャ。
倫太郎は、佐藤一人の写真を撮った。
「なにするんだよ」
うわずった声が微かに震えている。
その写真は、浮き出てくる過程で、頭の形が一つではないのが見て取れた。
先ほど同様に、高志と桃子が佐藤を挟んで立っている。
「なんだよこれっ!」
気色の悪い三ショットを見て、大声を出した。太い腕を窮屈そうに持ち上げながら、せわしなく両肩を払っている。
倫太郎を見ると、どこか満足げな顔をしていて、思わず口元が緩んだ。
高志が写真に目を戻した時、違和感を覚えた。
佐藤の足元に、横長の黒い影がある。
はっとして振り返り、床を見ると、シンさんが横たわっていた。
まさか、撮影会に参加しにきたのか。
シンさんに声をかけようとした時、キィと、玄関扉が開く音が聞こえた。
805号室の扉がゆっくりと開き、不安げな表情の麗奈が顔をのぞかせた。
声を聞きつけたのか。
高志はすかさず声を上げた。
「倫太郎、これも言って!」
倫太郎は、その声にびくりとし、口を開いた。
「僕の能力が本物だっていう証拠を見せるね。こちらのお姉さん、リビングのゴミ箱に、大切な指輪が落ちていることに気づいてないんだ」
言い終えると、倫太郎はこちらの方を睨んできた。
どさくさに紛れて利用したのがばれたらしい。だが、このチャンスは逃せない。高志は続けた。
「お姉さんの守護霊が僕に伝えにきたんだ。お姉さん、ゴミ箱を見てもらえますか」
麗奈は、不審そうに顔をしかめた。
「説明しても怪しまれるだけだから、強引に取りにいってくれない?」
そう頼むと、倫太郎は激しく首を横に振った。
麗奈は、いきなり首を振り出した倫太郎を見て、開いていた扉を内側に引き寄せた。
すると、それまで黙っていた姉が口を開いた。
「倫太郎、それまじ?」
倫太郎が姉を見て答えた。
「……うん」
姉は、ゆっくりと空気を吸い込み、鼻から一気に、フンッと出した。
つかつかと麗奈の前に進み「失礼します!」と体育会系みたいな挨拶をすると、麗奈が掴む扉を強引に開き、中に入っていった。
「え、何、何よ」
麗奈が姉を追いかけていく。
三十秒ほどして、中から二人の足音が戻り、姉、続いて麗奈が姿を現した。
「これのこと?」
姉が、うさぎの人形を倫太郎に差しだした。首にはネックレスがかかっている。
「それだ」
高志が言うと、倫太郎は姉に頷いてみせた。
麗奈が、怒りをにじませて言った。
「あなたたち、なんなの。しかも君、留守中に部屋に入っているんじゃないでしょうね。それともまさか……盗撮」
言いながら一歩後ずさり、眉根を寄せた。
「そんなことしてません」
倫太郎が否定すると、佐藤が、もじもじしながら口を開いた。
「お姉さん、それ……、本当に大事なものですか」
麗奈は、人形と佐藤の顔を見比べながら、「え、ええ……そうだけど」と答えた。
佐藤は、倫太郎に真顔で言った。
「本当に、霊が知らせたのかよ」
「だから、そうだって言ってるだろ」
倫太郎は、高志の言葉を待たず、強気に応えた。その顔には、さっきまでなかった勢いがある。
「こ、この写真のよ、バケモンたちって……今もいるのか」
倫太郎は、佐藤の後ろを覗き込むようにコシバイを挟み、うなずいた。
「べったりくっついているよ。女性と、男が一人ずついる」
佐藤は首を左右に激しく振り、背後を確認しながら、語気を強めた。
「とれよ!」
倫太郎が口を開きかけたのを見て、高志は早口で割り込んだ。
「断れ。一生離れないとでも言ってやれ」
倫太郎は小さくうなずき、口を開いた。
「悪いけど払えない。しかも、男の方は、女々しくてまじでしつこいよ」
おい、黙れ。
「僕、悪い事なんてしてないんだけど」
佐藤は、この期に及んでしれっと嘘をつき、更に続けた。
「おまえに何かした? 言ってみろよ!」
反論しているうちに本来の姿を思い出したのか、逆切れして、倫太郎ににじり寄った。
「そ、それは……」
倫太郎も、一瞬にして元の体勢に戻ろうとしている。
まずい。
形勢を立て直そうとしたその時、姉が割って入った。
「あんた、さっきから何様のつもり?」
倫太郎の前に立ち、自分より背の低い佐藤を睨んだ。
「こいつの力がわかったら、とっととバケモン背負って帰れ。ここに二度と来んな」
佐藤は、色気とは程遠い姉の口調に驚いたのか、顔を真っ赤にして口をパクパクさせている。
「そのうち、こいつ学校行くけど、何かしたら、わかってるよね。霊能力も、誰かにばらしたら呪われるから気をつけな」
数秒前まで強気だった佐藤の顔は、頬肉が下がり、いまにも泣きそうだ。
普段はお山の大将気取りで偉そうにしているんだろうが、こんな話を鵜呑みにするあたり……所詮、ガキはガキだ。
「わかったよ、帰る。帰るけど倫太郎、ばけもの取ってくれよ」
姉は、佐藤の視線を遮るように、立ち位置をずらした。
「払ってほしかったら悪さすんな。あと、痩せろ」
「た、体型は関係ないだろ」
佐藤の目が潤みはじめる。こいつの場合、いい人になるより、痩せる方が困難だろう。
姉の一言が妙におかしくて、高志は声を出して笑った。
「帰れ、呪うぞ!」
姉が一喝すると、佐藤は、手にしていた写真をぐしゃりと握りしめ、逃げるように帰っていった。
倫太郎は呆然と立っていたが、どこかほっとした顔で、つぶやくように言った。
「ありがとう」
高志が首を振って応えようとすると、倫太郎が続けた。
「姉ちゃん……」
だけかよ。
その後、こちらにも礼の一つくらい来ると思ったが、倫太郎は尊敬の眼差しを姉に向けたままだった。
デブ撃退計画を実行した相手に、礼がないのは少し引っかかるが、むしろ、その徹底した態度が、少しだけ笑えた。
「姉ちゃん、どうして僕が、あいつから……アレだってわかったの」
「アレ? ああ、いじめのこと?」
おい、本人が濁しているんだからはっきり言うなよ。この女は、勘はするどく勇敢だが、いまいち人に対する配慮が足りない。
「そりゃ、わかるよ。学校いかなくなって、デブ来るたび落ち込んで、切れやすいし、挙句の果てに、死のうとしたじゃない」
デリカシーゼロ以下の姉の言葉は、脳を通らずに口から出てくるらしい。だが、その冷たい言葉に優しさが見えるから不思議と嫌な気にならない。
「それよりあんた、実はマジで霊能力者? やばくない?」
「たいしたことないよ」
倫太郎は、照れたように鼻の脇を指でかいた。
「本当は、お隣さんをのぞいていたり……」
「してない」
倫太郎は否定しながら、扉の裏に隠れるようにして立つ麗奈の前まで進んだ。
「お姉さん、ご迷惑をおかけしてすみません」
「私? あ、いや 話がまったく見えないんだけど、本当に、その……霊とやらが知らせてきたの?」
「はい、その指輪は、高志との大事な思い出ですよね」
高志は、倫太郎の横でうなずきながら麗奈の顔を見た。
「これ? 違うわ」
「え?」
そこにいた何人かが、同時に声をあげた。
「大事は大事だけど、くれたのは高志じゃない。これは恋人との思い出なの」
一瞬、麗奈の言葉が頭でばらけた。それを繋ぎ直した瞬間、頬をはられたような衝撃をうけた。




