25 あるはずのないもの
倫太郎の自殺騒動から三日が過ぎた。
麗奈は休日らしく、朝からめかしこんで出かけていった。
この間、倫太郎と二度ほど言葉を交わした。だいぶ落ち着いているように見える。口の利き方は相変わらずだったが、あいつの場合、態度の悪さが元気の証だ。
麗奈は、日暮れになって帰宅した。
Tシャツとヨガパンツに着替え、なにやら台所でごそごそと動いている。
少しして、大きなゴミ袋を持ってリビングに来た。
袋の中身に目をやると、見覚えのあるマグカップが見えた。
屈んでゴミ袋に顔を近づけると、カップの他にも、黒いスリッパや箸など、俺の物が詰まっていた。
捨てるの?
信じられない思いで後を追った。
寝室に移動し、クローゼットから男物のパジャマやパンツを取り出す。それをまとめて腕に抱えて、愛おしそうに抱きしめた。
――それは残すんだな。
麗奈は、ゴミ袋の口を広げて、それを袋に突っ込んだ。
え。
二人の思い出が……次々と袋に飲み込まれていく。
彼女には、前に進んでほしいと思っている。俺とのものを捨てることが、その一歩になるなら。それでも、生きていた証を処分されるのは、さすがにきつい。
立ち尽くしていると、麗奈は何を思ったのか、その場で袋を逆さにして中身を全部出した。
「どした?」
麗奈の前に座り、肩に手を添わせた。
俺の物に囲まれて、パジャマを手にした麗奈が、それを顔に寄せて泣き出した。
涙を流しながら後ろの棚に寄りかかった時、棚の端から何かが落ちるのが見えた。麗奈は気づいていない。
落ちた先はゴミ箱だ。
中を覗くと、紙くずに紛れて、小さなウサギの人形が見えた。
これか。
そう思った瞬間、人形の首元に、光るものが見えた。
ネックレス?
それだけじゃない。人形の下から、丸い物の一部がのぞいている。
ゴミ箱に顔を突っ込んで間近で確認した。
――指輪だ!
プロポーズの。
これは、さっき捨てなかったものだ。
高志は立ち上がり、倫太郎の部屋に走った。
「で、今度はゴミ箱をのぞけって? そんなことばかり言っていたら、いいかげん怪しまれるって。無理」
いつもの倫太郎節で、あっさりと断られた。
「でも、あれだけは捨てて欲しくない。人生をかけた大事な指輪なんだ。頼むよ!」
倫太郎は露骨に顔をしかめた。
「こんなこと言うの酷だけど、もう、そのままでいいんじゃないの? そんな大事な物だったら、麗奈さん自分で捨てられないでしょ。気がつかないうちになくした方が……」
「そうかもしれないけどさ。あれだけは……」
高志は深い嘆息をもらした。返事を待ったが何もなく、もう一度大きく息を吐いた。
「ああっ、もうわかったから! その負のオーラやめて。だけど、いきなり訪問して何ていえばいいの?」
「そうだな、とりあえず、この前の謝罪とか?」
「謝罪って?」
「この間、麗奈に襲いかかってたじゃん」
「襲ってないよ。あれは事故だ」
「嘘つくなよ。どんな偶然が重なったらあの体勢に持ち込めるんだよ。嘘で誤魔化されると、余計にむかつくんだけど」
「高志だって、偶然の事故で死んだんでしょ? 僕にだって防げないものはある」
「おまえなぁ。嘘つきはマジで嫌われるぜ。そんなんだから……」
言いかけて、飲み込んだ。
「なんだよ、いじめられるって言いたいわけ?」
飲みこんだ言葉があっさりばれ、思わず目をそらした。
「高志はさ、学校でいじめていた側の人間だろ、あいつとそっくりだ」
「あいつって、この間のデブのことか? 一緒にしないでくれ」
「姿見えないけど、高志もデブなんじゃないの。気は小さいし弱いしさ、そんなんだから……」
「なんだよ」
「なんでもないよ」
「もったいつけるなって。なんだって?」
「しつこいな、わかったよ。麗奈さんのところに行けばいいんでしょ」
「どうしていきなりそこに戻るんだよ」
倫太郎は、唐突にウォークマンのイヤホンを両耳に入れてボタンを押した。
音楽に合わせて顔を縦に振りながら、スウェットを脱いでジーンズに着替えている。
ウィンドブレーカーのファスナーを上げたタイミングで、突然、扉が開いた。
見ると、姉が立っていた。
倫太郎は、姉を見てイヤホンを外した。
「ねえ、あのデブが下に来てるんだけど」
倫太郎は、間髪入れずに応えた。
「いないって言って!」
少し前にインターホンが鳴ったのを高志は聞いていた。
「いや、もうあがって来るし」
姉は冷たく言い放ち、扉を閉めた。
倫太郎は、目に見えて動揺し、オロオロと部屋の中を歩き回っている。
「出るのやめたら?」
止めてはみたが、イヤホンのあるなしに関係なく、声は届いていない。倫太郎は、天井を仰いで大きく深呼吸をしてから、暗い顔で部屋を出た。
後をついていくと、倫太郎は、おばけ屋敷の扉を開けるかのように、怖々と玄関扉を押していた。開いた隙間から、肥満児佐藤が見えた。佐藤は、笑顔で手招きをしている。
倫太郎は、足に重りがついたような足取りで外廊下に出た。高志も後を追い、佐藤と向き合った。
「渡したばっか……ですけど」
倫太郎は、後ろ手で扉を閉めながら、弱々しく言った。
「やだなー、あれは先週分」
佐藤は、こ憎たらしい顔でにたにた笑っている。
「待っててください」
高志は、玄関に戻っていく倫太郎を追った。
「おい、金は渡すな。おまえ、デブに弱みでも握られているのか」
倫太郎は、何も言わずに廊下を進んでいく。
「聞け、俺が守ってやるから! だからやめろっ!」
怒鳴ると、ようやく倫太郎の足が止まった。
「助けてやるから、俺の言う通りにしてくれ」
返事はない。ただ、立ち止まったままだ。
この声が佐藤に聞こえてはいなさそうだが、倫太郎の耳に手をあて、小声で伝えた。
すると、倫太郎は即答した。
「姉ちゃんに? 絶対無理」
「無理じゃないって」
「そもそも、あいつは引き受けてくれない」
倫太郎は、唇を突き出している。
「やる前から諦めんなよ。急がないとデブが待ちくたびれて切れるぞ。俺は一旦離れるけど、すぐに戻る。だから言ったとおりにしろ」
高志は、言いながら玄関を出た。
外廊下には、佐藤が壁に寄りかかってスマホをいじっていた。
当たらないとわかっていても、ふっくらとした腹を思いきり蹴とばした。
805号室へ入り、駆け足で洗面所へ行った。桃子とシンさんが浴室にいた。
「桃子ちゃん、一緒にきて」
「どうしたの」
「俺たちで、あいつに光あててやろうぜ」
桃子は首をかしげたが、何かを察したような顔をして、すっくと立ちあがった。




