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24 誰の手

 高志と桃子は、倫太郎の部屋の隅に座っていた。

 倫太郎も反対側で、膝に顔をうずめて座っている。

 

 高志は倫太郎に目をやり、時折鼻をすすったり、小さく咳をした。


「桃子さん」


 倫太郎が小さな声で呼んだ。桃子は、すっと立ち上がった。


「桃子さんも……いじめられてたんですよね。卒業まで、どうやって過ごしたんですか」


 桃子は、倫太郎の横に移動して、寄り添うように腰をおろした。


「学校に行けなくなったとき、いつも授業のプリントを持ってきてくれる男の子がいたの。そのうち彼が、一緒に学校行こうって言ってくれてね」


 倫太郎は黙って聞いている。


「嬉しかった。でも、怖くて動けなかったの。行きたい気持ちはあったのに」


 桃子は、寂しげな顔をして続けた。


「ある時、思い切って、いじめられていることを打ち明けたんだ。そうしたら、彼、こう言ったの。『僕にどうしてほしいの?』って」


 倫太郎がゆっくり顔を上げて、桃子の方を見た。


「……冷たいですね」


「え?」


「それって『俺が何かしなきゃいけないの?』ってことですよね」


 桃子が薄く笑った。


「ちょっと違う……かな。私、誰にも頼れなかったの。誰かが間に入ったら、余計にややこしくなる気がして。あの時の彼もね、きっと、勝手に何かするんじゃなくて、私がどうしたいのか、ちゃんと聞こうとしてくれたんだと思う」


 倫太郎は膝に視線を向けた。


「それで……桃子さんは、何て答えたんですか」


 数秒、返事がなく、倫太郎は再び桃子の方を見た。


「『助けて』って、言ったよ」


「……」


「ずっと抑えていたその言葉を口にしたら、いつも真っ暗だった目の前に、光が射したの」


 顔を正面に戻した倫太郎は、何かを探すように宙を見た。


「光……」


「えぇ」


 桃子は、そこまで言うと、急に口を閉ざした。


 誰もが黙ったまま、一分ほどが過ぎ、桃子が静かに立ち上がった。


「高志君、そろそろ帰りましょう」


 桃子は、中途半端な会話のまま部屋を出ていった。


 高志は驚きはしたが、彼女の態度に冷たさは感じなかった。

 差し出された手に救われた桃子は、今度はその手を、倫太郎に出している。


 強引にでも倫太郎の手を掴んで、桃子の方へ引っ張ってやりたかったが、それはきっと間違っている。

 激流を前にして、「これはいい橋だから」と、こちらが勝手に橋を架けても、それが倫太郎にとって安全に渡れる橋とは限らない。

 設計も、一緒に作り上る仲間も、本人の意志で決めなければならない。


 高志は桃子の意を汲み、心を鬼にして立ち上がった。


「じゃーな倫太郎、俺も行くわ。おやすみ」


 考える時間を与えるため、できるだけゆっくりと歩いたが、倫太郎は目をふせたまま動かない。


 互いに無言のまま、高志は廊下に出てしまった。


 扉を振り返り、小さくため息をついて歩きだした。


「……カシ」


 背後から微かに声が聞こえて、即座に部屋の前に戻った。

 あえて一呼吸置いてから、ゆっくりと部屋に入る。


「なに?」


 素知らぬふりで訊き返した。


 話しかけられるのを待ったが、倫太郎はうつむいたまま黙っている。


 それでも待っていると、倫太郎の顔がゆっくりと上がった。

 高志のいる扉の方に、視線が向けられる。


 視線は合わないが、真剣なまなざしがこちらを見上げている。

 その状態で数秒向き合った後、高志は口を開いた。


「了解」


 倫太郎は、くっと眉根をよせて、膝に顔をうずめた。

 丸めた身体がやけに小さく見えた。

 


 805号室のリビングに入ると、桃子の姿はなかった。彼女に何かを伝えるべきか迷ったが、そのまま寝室に向かった。


 麗奈の隣に横になり、倫太郎の事を考えていた。


 この俺に、何が出来るだろう。


 麗奈の胸に顔をうずめたり、起き上がって部屋を歩き回っていると、突然、頭の中でパチッと音がした。


 そうだ。


 音が鳴らないが、左の手のひらに右の拳を叩きつけた。


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