七 身の引き方
異変は、その翌週に起きた。
帰り道の路地で、慎平は三人の男に囲まれた。殴られ、蹴られ、財布とタブレットのバッグを探られた。肋骨が二本折れた。
「余計な詮索はやめとけ、おっさん」
そう言い捨てて男たちが去ったあと、慎平はアスファルトに仰向けになり、雨上がりの空を見ていた。笑えるほど痛い。けれど、不思議と恐くなかった。
(俺の人生なんて、どうせゴミだ。でも、あの子の未来を守れるなら、使い切ってやる)
その夜、向かいの窓の青い光が、これまでにないほど速く、狂ったように点滅していた。
下書きには、たった数行。
〈九条さん、顔を見ました。血が出ていました。私のせいです〉
〈大丈夫です。たいしたことありません〉
〈もうやめてください。私のために、これ以上傷つかないで〉
〈やめません〉
慎平は、初めて強い言葉を書いた。
画面の向こうで、霧子は、声を殺して泣いていた。窓越しに、肩の震えだけが見えた。
(この人は、私のために命を使おうとしている。私がいる限り、この人は死んでしまう)
彼女はその夜、ひとつの決意をした。事件が終わったら、何も言わずに、この街から消える。あの人の優しさを、これ以上の傷に変えないために。
一緒に暮らしたいという夢は、その日、涙と一緒に畳んで、胸の奥にしまった。
互いに、そうして、「身を引く」ことを決めていた。互いに、それが相手のためだと信じて。




