五 雨の夜
その夜は、朝から雨だった。
深夜二時、パトカーのサイレンで慎平は目を覚ました。窓の外、アパート二棟の間の路地に、青い回転灯が滲んでいる。ブルーシートの下に、人の足が見えた。
津田裕司。五十二歳。貧困ビジネスと名義貸しで食っていた男が、背中を刺されて死んでいた。
翌日から、警察が聞き込みに来た。向かいの部屋にも。霧子は、津田に追われていた女として、あっという間に捜査線上に浮かんだ。
〈私じゃありません〉
下書きの文字は、乱れていた。
〈わかっています。信じます〉
〈でも、誰も信じてくれません。津田の後ろにいる人たちも、きっと私を探しています〉
警察と、裏の組織。両側から見張られて、霧子の部屋は完全な密室になった。下書きだけが、世界との唯一の出口だった。
数日後、更新された下書きの末尾に、これまでと違う温度の言葉があった。
〈もしこの事件が終わったら、ちゃんとした部屋で、普通の温かいご飯を食べたいです。……あなたと一緒に。そんな夢を、見てしまいました〉
慎平は、タブレットを胸に抱いたまま、動けなかった。
嬉しかった。息ができないほど。
そして次の瞬間、冷たい声が頭の中で言った。
(お前に、この子の人生を縛る資格があるのか)
返事の欄に、彼は何度も「俺もです」と打っては消した。最後に残った文字は、こうだった。
〈まずは、あなたの疑いを晴らしましょう〉




