第四話 元姑の頼み
アウスター子爵太夫人は、店の順番を守った。
午後の青鈴草薬店には、薬包を待つ客が四人いた。ベアトリスは最後に入り、銀髪から旅帽子を外すと、壁際の椅子へ腰を下ろした。
かつてなら、待たせる前にクララが動いている。
クララが用向きを先に聞き、使用人へ薬を渡し、屋敷の馬車を寒空に置かないよう手配した。ベアトリス自身が急がなくてよいと言っても、そうするのが家の嫁の役目だと考えていた。
今日、クララは先客の薬を順に作る。
「朝夕の食後です。熱が下がっても、三日は続けてください」
「眠気は出ますか」
「少し出ます。高い場所の仕事は休んでください」
客の疑問がなくなるまで説明し、代金を受け取り、次の名を呼ぶ。
ベアトリスの番が来たのは、窓から差す光が薬棚の下まで落ちたころだった。
「お待たせいたしました。どのような症状でしょうか、アウスター子爵太夫人」
その呼称を聞き、ベアトリスは膝の上で指を組み替えた。
「右の手首が痛むの。朝、衣服の釦を留めにくくて」
「腫れを確認してもよろしいですか」
許可を得て、クララは手首を支えた。熱は弱い。長旅で同じ姿勢を続けたためだろう。
「温める軟膏をお出しします。夜に薄く塗ってください。痛みが強くなるようなら施療院へ」
「あなたが作るのね」
「はい」
「そう。あなたの名で」
ベアトリスは棚の瓶を見上げた。どのラベルにもクララ・エーレンと書かれている。
「立派なお店だわ」
「町の方々に育てていただきました」
薬草を量り、石の乳鉢へ入れる。ベアトリスは世間話を続けなかった。乳棒が乾いた葉を砕く音だけが、店の奥へ落ちていく。
クララは急がない。
薬を買いに来た客が、話すかどうかを待つ時間も料金には入っている。けれど、話を解決することまでは含まれない。
「三年前のことを、謝らなければと思っていました」
ベアトリスが先に口を開いた。
乳棒を置き、クララは彼女を見る。
「あの夜は、あまりに急なことで。私も家を守ろうとしていたのです。あなたに苦労をかけるつもりではありませんでした」
謝罪の形をしているが、何をしたかは言わない。
クララは軟膏壺へ粉を移した。
「承りました」
「それだけなの」
「お薬は、もう少々お待ちください」
ベアトリスの組んだ指に力が入る。責めるための沈黙ではない。次の言葉を出すか迷っている。
「ギルベルトが、この町へ来ています」
「存じております」
「アルント院長に、面会を断られたそうね」
「私がお断りしました」
「あの子は、ようやく自分が間違っていたと分かったの。家を出てから、ずっとあなたの話をしている。リヴィアとも、もう夫婦として暮らせないでしょう」
クララは蜜蝋を加え、壺の縁についた薬を布で拭った。
前の夫婦が暮らせるかどうかを、元妻へ報告する意味。三年前と同じ構図が、形を変えて店の椅子に座っている。
ベアトリスは声を落とした。
「謝る機会だけでも与えてちょうだい」
「どのような機会でしょう」
「一度、会って話を聞いてほしいの。許してとは言いません。あの子が何を理解したか、それだけでも」
「会った後は、どうなりますか」
「それは二人で決めればいいでしょう」
二人。
ベアトリスの中では、クララとギルベルトが再び一つの問題を扱う組になっている。
三年前も同じだった。離縁を公表した息子と、新しい鍵を手にした女が作った混乱を、クララとギルベルトの二人で片づける話に置き換えられた。
「アウスター子爵太夫人。私は、離縁した日のことを忘れておりません」
「私もよ」
「あの日、お義母様は新しい夫人が慣れるまで、三か月残るようおっしゃいました」
ベアトリスの口が開き、そのまま閉じた。
「あれは、引き継ぎが必要で」
「はい。お家には必要だったのでしょう」
クララは軟膏壺へ蓋をする。金属の縁が合い、低い音がした。
「けれど、私には必要のない三か月でした。今度は、謝罪の場を整えることを求めておられます」
「同じだと言うの」
「私の時間を、アウスター家の問題を片づけるために使う点は同じです」
怒りを説明する必要はなかった。何を頼まれているかを並べれば足りる。
「その機会を用意する役目も、もう私にはございません」
ベアトリスはすぐに返さなかった。
店先の青鈴草は、傷んだ根を切ったばかりで花が少ない。葉の先には張りが戻っている。水を控えた土の表面は乾き、日の光を薄く返した。
「私はまた、あなたにさせようとしたのね」
クララは答えない。
「息子に謝らせることも、許すか決めることも、家が困らないよう終わらせることも」
ベアトリスは自分で言葉を置いた。
「あなたなら静かに済ませてくれると思っていました。三年前も、今日も」
クララは薬の用法を書いた紙を壺へ巻いた。
「朝は使わず、夜だけ塗ってください。銀貨一枚です」
ベアトリスは代金を出し、壺を両手で受け取った。
「頼みは撤回します。ギルベルトにも、これ以上あなたへ人を寄越さないよう伝えます」
「ありがとうございます」
「謝罪への返事は、頂けるのかしら」
クララは少しだけ考える。
「お薬を買いに来られたお客様として、またお迎えします」
家族としての答えは返さない。その線を、ベアトリスも理解したらしい。
「十分です」と言って立ち上がった。
店の扉が開く。入ってきたフェリクスが、太夫人へ道を譲った。
「アウスター子爵太夫人。お帰りですか」
「ええ。アルント院長、よい店を支えてくださってありがとう」
「店を支えているのは買い物をなさる方々です。私もその一人でして」
ベアトリスは初めて、わずかに笑った。扉の鈴が鳴り、馬車へ向かう銀髪が窓の外を過ぎていく。
フェリクスは何があったか尋ねなかった。
代わりに、革の書類挟みをカウンターへ置く。
「王都の施療局から返事が来ました。エーレン店主の解熱薬を、冬の備蓄に加えたいそうです」
「私の店だけで、王都の量を作るのですか」
「方法は三つあります」
フェリクスは紙を広げた。直営なら利益は大きいが、人を雇い調薬室を増やす必要がある。施療院との共同なら設備は使えるが、利益と責任を分ける。最後は見送る案。
どの紙にも、薬の考案者としてクララの名がある。
「どれを選んでも、薬への評価は変わりません。見送っても、次の冬に改めて申し込めます」
「フェリクス先生は、どれがよいとお考えですか」
「私の希望を先に聞くと、それを選びますか」
「仕事ですから、必要であれば」
「必要な答えは、あなたの店が無理なく続くことです」
クララは三枚の紙を見た。
王都の契約は欲しい。自分の薬が遠くの熱を下げるなら、作りたい。けれど、店を広げ、人を雇い、間に合わなければ誰かを困らせる。その怖さを口にすれば、能力が足りないと判断される気がした。
「どちらでも」と言いかける。
フェリクスは答えを待っていた。急かさない。紙を指すこともない。
クララは一度、店内を見回した。自分の名の瓶、乾き始めた青鈴草、先ほどベアトリスが座っていた椅子。
ここでは、黙ったまま相手の望みを選ぶ必要がない。
「怖いので、少し待ってください」
「では、待ちます」
「期限は」
「施療局には十日後と伝えています。九日目に、もう一度尋ねます」
彼は三枚の紙を重ねず、選べる形のままカウンターへ残した。
クララはその横へ、ベアトリスが払った銀貨を置く。過去から来た客の代金と、未来へ進む契約書。どちらも、自分が受け取るか決められる。
窓辺の青鈴草が、午後の光に花を少し持ち上げた。
待ってもらえることが、これほど静かな贅沢だとは知らなかった。




