第3話 狩人ラウア
「おっさん、ようやく起きたのか?」
「おっさん……」
これでも、二十五なのだが……彼女から見れば十分おっさんなのだろう。
「君が助けてくれたのか?」
「ああ、盗賊にでも襲われたのか?
成りからして貴族のようだけど……」
「グライデル伯――その名を聞いたことは?」
「う〜ん、ない! 俗世には疎いから」
「気持ちいいぐらいの即答だな」
この子は、こんな辺境の森で一人で暮らしているのか?
「なんで、こんなとこで可愛い女の子が……って顔してるな」
「別に、可愛いとまでは思っていないが……」
「ここで暮らしている理由は……話したくない」
彼女は、こちらを見ることなく毛皮の手入れを続けていた。
その手は止まらない。 だが、どこか拒絶するような響きがあった。
触れてはいけない傷だったのかもしれない。
「そうか。でも、助けてくれてありがとう」
彼女に少し違和感を覚えつつも、
今は誰かがいることで少しだけ安心できた。
✦
あっという間に数日が経過した。
気づけば、彼女の仕事を手伝うようになっていて、初めは苦戦していた毛皮の剥ぎ方や肉の解体も少しずつ様になってきた。
彼女は私に出て行けとも言わなかったし、
行く宛のない私も少しずつ、居心地の良さのようなものを感じ始めていた。
「今日は、ウチの特製、ヤヤックの丸焼きだ!」
こんがりと焼けた鶏肉が大皿に盛り付けられる。
香草と香ばしい肉の香りが食欲をそそる。
「今日はご馳走だな。
ラウア、特別な日なのか?」
「少し、お腹空いていたから……」
ラウアの口端から涎が垂れる。
「ほら、行儀が悪いぞ……拭きなさい」
布を手渡すが、ラウアは受け取る代わりに、
左側だけ編み込んだ髪を揺らしながら、
俺に口を差し出した。
「レイブン……拭いてよ!」
「まったく、仕方がない……」
満更でもなかった。
自分に子どもがいたら、こんな感じなのだろうか……いや、私の子にしては大きすぎるか。
「あっ……レイブンが笑った!」
「失礼な。私だって笑うことぐらいあるさ」
「仏頂面のレイブン!
これ、二つ名にするのはどうかな?」
「ははは、なら……その名を覆すぐらい笑ってみせよう」
私は喜劇のように、仰々しく両手を広げた。
マリアンヌとの傷をラウアが埋めてくれる気がした。
もちろん、彼女はマリアンヌではない。
それでも――隣で笑う彼女を見ていると、 少しだけ胸の痛みが和らぐ気がした。
名前以外は何も知らない。
血なまぐさい赤毛の少女。なぜ、彼女は見ず知らずの私をここに置いてくれるのだろうか?
――その日は、やけに明るい夜だった。
「ぐぁっ!?」
な、何が……喉が熱を帯びる。
状況もわからないまま、私の思考が定まらなくなる。
遠のく意識の中で――獣の唸り声が響いていた。
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「はっ!?」
冷や汗とともに飛び起きる。
「おっさん、ようやく起きたのかよ」
既視感のあるラウアのセリフに背筋に冷たいものが走る。
……私は……死んだのか?
「ラウアッ! 今日は何日だ?」
「おっさん……なんでウチの名前を知っている?」
彼女は皮を剥ぐ用の短剣を握りしめる。
「……と、申し遅れた、
私はレイブン・アゼリュート・グライデル伯――近隣の領土を治める伯爵だ。
君のことは風の噂で聞いていてね」
とっさに嘘をつく。
既に、時間の巻き戻りに順応してきている自分がいた。
「そんなはずは……いや、肉屋のおっちゃんか?」
ラウアはゆっくりと短剣を降ろした。
どうやら、渋々納得してくれたようだ。
「なんにせよ、助かったよ」
「う、うん……」
彼女は背を向けて、毛皮をなめし始めた。
……あの時、私は何に殺されたのだ?
魔物か……もし、あのまま時間が進んでいたらラウアはどうなっていたのだろう。
こんな辺境の森で、たった一人で生きてきた少女だ。
目の前の小さな背中を守りたいと思った。
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その晩、二人で食事の準備をしていた。
ラウアは私の背後で肉を捌いていた。
「しかし、おっさん。肉の解体や毛皮の剥ぎ方、どこで習ったんだ?」
ラウア……君から教わったんだよ……とは言えず。
「あ、ああ……友人に教わったんだ」
「ふ〜ん」
ラウアは明らかに私を不審がっている。
沈黙が続いた後、ラウアの気配が背後に近づく。
「おっさん……ウチを追ってきたのか?」
――背後から喉元に短剣を突きつけられる。
ひんやりとした感触が、首筋に伝う。
「君を追う、なぜだい?
……むしろ領土を追われたのは私の方さ。
それに、君を追っている者なら、森で気絶して君に助けられるのを待ったりするかい?
あまりにも、非効率な方法だとは思わないか?」
「むむむ……確かに……。
追放されたってことは、おっさんも、罪を犯したのか?」
もってことは、彼女は犯罪者なのか?
それでこんな辺鄙なところに一人で……。
「いや、言い方が悪かった。
私は貴族の責務から逃げて来たんだ」
「なるほど……確かに、おっさんは悪い奴には見えない。行く宛がないなら、しばらくここにいてくれていいよ」
ラウアはそう言って、私の喉元に当てていた短剣を離した。
背後を向く彼女の背中は、少し寂しそうに見えた。
前回とは違う――彼女は私と同じベッドで寝るようになった。
いや、敷き詰めた藁に毛皮を被せただけの簡易的な寝床……ベッドと呼ぶにはあまりにもお粗末だが。
「レイブン……ウチを抱きしめて……」
薄明かりの中、隣に寝ているラウアが温もりをせがむ。
彼女も――私と同じ孤独の痛みを抱える者。
そんな彼女を一人にはできなかった。
ラウアの小さな体を抱きしめつつも、
死への不安が脳裏によぎる。
私を殺した何かが解明できたわけではない。
その日から、私は手帳に日記をつけるようになった。死んだ日付を覚えておくためだ。
あと、数日のはず……。
私は来たる日に向けて準備を始めた。
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今夜は満月か……あの日も確かに、明るい夜だった気がする。
ラウアを抱きしめて息を潜めるが……何も起こらない。襲われた日が曖昧だったせいで、眠られない日が続いていた。
どうやら、知らぬ間に寝ていたようだ。
「ウグァァァァ!」
夜を裂くような獣の遠吠え、強い衝撃とともに、私は弾き飛ばされた。
……な、なんだあれは……魔物か?
部屋の中央で、毛むくじゃらの何かが揺れていた。
どうやら、こちらにはまだ気づいていないようだ。
私は、こっそり倉庫から拝借した、銀の斧を構える。
私だって貴族の端くれ……多少は武の心得がある。
一瞬の隙をつき、もがき苦しんでいる獣の首に斧を振り下ろした。
意外にも――呆気なかった。
獣は呻き苦しみ、次第にその体は小さくなった。
「……レイブン……」
獣は私の名前を呼びながら……事切れた。




