第2話 婚約者マリアンヌ②
昼下がり――私は身を潜めて、マリアンヌの一挙手一投足を物陰から見張った。
彼女はしばらく私を探し続けたが、使用人の一人に声を掛けられ立ち止まった。
……何を話している?
マリアンヌの膝から力が抜けた。
絨毯に崩れ落ちる彼女を見下ろしながら、使用人の口元だけが歪んでいた。
……こいつ、馬車に乗ってた使用人か。
そういえば、あまり見かけない奴だな。
下手な駆け引きは面倒だ。
私は使用人が離れた後、剣を携え絨毯の上に座り込むマリアンヌに手を差し伸べた。
「……レイブン」
彼女の蒼い瞳は揺れていた。
「私はある程度の事情は知っている。
だから、最愛の君になら殺されてもいい……」
私はそう言って、彼女の前に剣を置いた。
「レ、レイブン……なにを……」
「理由を話してくれ……」
マリアンヌは剣を拾い……抜いた……。
「ご、ごめんなさい。
私、貴方と婚約する前に……愛していた人がいたの……でも……政略結婚で、やむなく……」
「そうか……」
よくある話しだ……それでも、胸の奥に鋭い棘のようなものが刺さった気がした。
「それで?」
「あの使用人が……彼を人質に取ったと……貴方を殺さなければ命はないと……」
「わかった。なら、私に任せてくれないか?」
「えっ、でも……」
「頼む!」
私はマリアンヌに頭を下げた。
「は、はい……どうか、ヨシュアを助けてください!」
「ああ……」
マリアンヌがどちらを愛しているかは明白だった。
彼の命と、私の命――どちらが重いかはこれまでの彼女の行動が示してた。
そこからは、早かった。
私兵を呼び使用人を捕らえさせた。
口を割るまで、さほど時間はかからなかった。
父と小競り合いをしていた貴族の仕業らしい。
ヨシュアとかいう男が捕らえられている洞窟へ、マリアンヌと共に向かった。
私兵を使い傭兵を制圧したが――
既に彼は事切れていた。
――その晩、マリアンヌは自らの首にナイフを突き立て――自害した。
私も後を追うように、屋敷の屋上から飛び降りた。
✦
「レイブン……まだ起きないの?」
隣で私の体を揺らす彼女の温もりを、
離したくはなかった。
だが、マリアンヌの最愛の人――ヨシュアを助けなければ彼女は命を絶ってしまう。
自分が選ばれなかったことより……彼女を救いたかった。
昼まではマリアンヌにとって――私は、間違いなく婚約者だった。
私は、マリアンヌを強引に連れ出し、
最短で私兵とともにヨシュアが捕らえられた洞窟へ向かう。
もし……これでも、間に合わなかったら、
ヨシュアの死を永遠に偽装し続けよう。
そうすれば、マリアンヌにとっての一番は、私であり続けるのだから。
よこしまな誘惑が、私の心を穢す。
わずかな期待とは裏腹に――ヨシュアを助け出すことができた。
私は決めていた通り、マリアンヌとヨシュアを引き合わせた。
「えっ、ヨシュア……!」
「マリアンヌ!」
ヨシュアが人質として、捕らえられていたことは、今の彼女は知らない。
それでも、二人は互いに激しく抱き合っていた。
それが……答えだった。
「マリアンヌ……これを……」
私は、彼女にしばらくは生活に困らないだけの金貨を手渡した。
「レ、レイブン……事情を説明してください!」
「私とヨシュア……どちらか一方を殺さなければならないとしたら、君はどちらを殺す?」
「……それは……どういう……」
彼女の視線がわずかに泳いだ。
マリアンヌは、何も言わずヨシュアの手を取った。
「二人で静かなところで暮らすといい。
私といたら、君も彼も……また同じ目にまた合うかも知れない」
「あ、ありがとうございます!」
ヨシュアは爽やかで気のいい青年のようだ。
それが、余計に俺の胸を締め付けた。
「レ、レイブン……」
マリアンヌは、私を呼び止めたが……振り返ることはしなかった。
二人を馬車で近隣の町まで送らせた。
……私は、腰に携えた剣だけ持ち、その足で歩き出した。
あの屋敷には戻りたくない。
マリアンヌとの思い出――匂い――そのすべてが残った場所。
足が血豆に濡れても――私は歩き続けた。
貴族としての暮らしを送るつもりはない。
最愛の人から殺される恐怖……貴族であり続ければまた、同じ苦しみに苛まれるかもしれない。
……いや、これも杞憂か……
もう、何もかもどうでもいいのだよ。
マリアンヌになら、いくら殺されてもいいと思っていた……だが、不思議と絶望で死ぬほどの勇気は持ち合わせてはいなかった。
✦
どれだけ歩いたかはわからない。
気づけば目の前が真っ暗になっていた。
ふと、目覚めると……睡蓮模様の天井を……少しだけ期待した。
いつものように体を横に向けるが……当然、そこには誰もいなかった。
「ここは……」
むせるような血と獣の匂い――
年季の入った古びた狩人小屋か……。
目の前では、赤髪の少女が、血の残った毛皮をなめしていた。




