斜め
12月の終わり、年末が近づいていた。六時を過ぎ、外はもう完全な夜だった。店内灯の明かりが、テーブルの木目に落ちていた。
ドアを押した。ドアベルが鳴った。店主が頷いた。優子も頷いた。
女性はいた。本は、膝の上で伏せられていた。視線が合った。目元が動いた。
優子は向かいに座った。
店主が黙ってカップを取り出した。コーヒー豆を挽く音、湯を沸かす音、カウンターの内側で抑えた動作。これらは、もう優子にとって背景の一部だった。
店主が女性の前にコーヒーを置いた。
女性はカップを少しだけ自分のほうに引き寄せた。それから、取手の角度をわずかに直した。手前から見て、右側に向ける動きだった。優子と同じ向きだった。
女性はいつも、コーヒーが運ばれてくると、まずこの動作をする。
優子は今日、初めてそのことに気づいた。先週も先々週も、女性は同じことをしていたはずだった。だが、今日まで気づいていなかった。
優子のカップは、白地に青の線のものだった。優子も自分の取手を直した。
二人とも、同じ向きに揃えた。
優子のカップの縁に、薄く口紅がついていた。女性はそれを見ていた。先週もそうだった。自分のコーヒーを口に運んだ。
優子は、自分の身体が、いつのまにかわずかに斜めに向いていることに気づいた。女性もそうだった。二人とも、正面を向いていない。窓の方向に少し身体を傾けていた。
それは、いつからそうなったのだろう。
「年末年始は?」
女性が聞いた。
「家にいるかな」
声に、わずかな上向きの抑揚があった。意識して上げたのか、自然にそうなったのか、自分でも分からなかった。
「そうか」
女性は同じ調子で返した。
それきりだった。
女性がコーヒーを飲み終えた。立ち上がる動作も、いつものとおりだった。
「来年もよろしくね」
女性は言った。
優子は頷いた。「来年もよろしく」と返さなかった。返せなかった、というほどでもない。ただ、言葉が出なかった。
女性は出ていった。
優子はそのまま座っていた。コーヒーは、まだ少し温かかった。
外、年の瀬の空気がドアの隙間から入ってくる。優子の身体は、まだわずかに斜めを向いたままだった。




