仕事先
水曜日の十七時過ぎ。沙織は編集部の自分のデスクで、画面のレイアウトを確認していた。
午前の打ち合わせが長引いていた。それからずっと、画面に向かっていた。
「沙織さん、来週火曜の校了、夕方までに間に合いそう?」
隣の島の先輩編集者が、デスクの脇に立った。
「はい」
「ありがとう。お疲れさま」
「お疲れさまです」
時計を見た。十七時半を回っていた。
パソコンの電源を落とし、椅子の背にかけたコートを羽織った。首から下げたネックストラップは、コートの襟元に隠れた。社員証は、そのままぶら下がっていた。
エレベーターのドアが開いた。沙織は乗り込んだ。
階数表示が、五、四、三、と下がっていった。
一階のロビーは、外の薄暮が差し込んで、ガラスの壁が冷たく見えた。
沙織は通用口を抜けて、街路樹の下を歩いた。
三月の風は、まだ冷たかったが、空気の匂いは、少し違っていた。街灯が一つ、一つ、点り始めていた。
駅まで歩き、電車に乗った。三駅で降りた。
商店街を抜けて、いつもの通りに入った。
ドアの前で、一拍、立ち止まった。
「沙織さん」という呼びかけが、まだ、耳に残っていた。
それから、ドアを押した。
ドアベルが鳴った。
店主が顔を上げて、頷いた。沙織も頷いた。
奥のテーブル席に、女性が座っていた。
沙織は向かいに座った。
「アスカ」
沙織は言った。
口に出した瞬間、「沙織さん」と呼ばれていた自分が、薄く、遠ざかった気がした。
「うん」
女性は答えた。
店主がコーヒーを置いた。
二人とも、しばらく黙って、湯気を見ていた。




