カウンター
前の日、雪が降った。
朝、ベランダから見ると、街路樹の枝に雪が積もっていた。優子はそれをしばらく見ていた。
六時を過ぎて店に着いたとき、雪はもう半分ほど溶けていた。歩道は濡れていた。靴底の感触が、いつもより重かった。
ドアを押した。ドアベルが鳴った。店主が頷いた。
優子は店内を見渡した。
奥のテーブル席は空いていた。
女性は、カウンター席に座っていた。
優子は一瞬、足を止めた。それから、女性のほうへ向かった。
女性の隣の席に座った。
何も言わなかった。女性も何も言わなかった。
カウンターの中で、店主が黙ってカップを取り出した。コーヒー豆を挽く音、湯を沸かす音。これまでテーブル越しに聞いていた音が、今日は近かった。
優子のカップは、白地に青の線のものだった。
カウンター越しに、店主の手元が見えた。ドリッパーから雫が落ちる。一滴、二滴。雫の落ちるリズムは、規則的でも、不規則でもなかった。
二人の視線は、同じ方向を向いていた。
優子はカップの取手を直した。女性もそうした。二人ともの動きが、ほとんど同時だった。
女性の肩が、優子の肩から、ほんの数十センチの距離にあった。コートの袖が、近かった。
「雪、積もったね」
女性が言った。横顔のまま、前を向いて。
「うん」
優子も、横顔のまま答えた。
何かを、もう一言、続けようと思った。だが、適当な言葉が見つからなかった。
カウンターの内側、店主の動作が淡々と続いていた。優子はそれを見つめていた。女性も同じものを見つめていた。
しばらくして、女性がコーヒーを飲み終えた。優子のほうを向いて、何かを言いかけた。
口が、かすかに動いた。
女性の手が、カウンターの上、優子の手の方向にわずかに伸びた。
だが、その手は、途中で止まった。
引っ込めた。
「お先に」
女性は言った。
それから、立ち上がって、出ていった。
ドアベルが鳴って、店内が静かになった。
優子はそのまま、カウンター席に座っていた。
横を見ると、女性が座っていた席が、まだわずかに温かそうに見えた。




