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12/20

12降下

 完全に人々がいなくなってから。私は、魔術師の背中に縋りついた。


「…ご…ご無事で、良かった…!」


 どうして彼が回復したのかは、分からない。あの少年の声がした部屋を開錠したのが関係しているのかもしれない。筋道立った推測はできないけど、でも、彼はこうしてここにいる。立って、目を開けて、話をしていた。

 それが何よりも嬉しかった。


「そう。ありがとう。君も疲れただろう。僕も疲れた。今日はもう寝よう」

「は、はい」


 思っていたより強い力で引き剥がされ、手を取られたまま寝室に向かう。これまでずっと彼が滞在していたベッドは、布団がはみだし乱れた様相を見せていた。急いで起きた後の寝床、という印象を受ける。


 何の躊躇いもなく魔術師が着替え始める。びっくりして後ずさろうとして、それが目に入った。

 彼の背中に、歪な跡が刻まれていた。長く、太い線を引いたような、痛々しい跡。一つどころではない、背中全体に、幾つも幾つも残っている。

 言葉を失っていると、「流石にこの服で寝たら苦しいよ」と礼服を指して綺麗に笑う。疑問を差し込む隙はなかった。

 君も着替えなよと言われたので、一旦客間に戻ろうとすると、腕を掴まれた。


「戻るの面倒でしょ、貸すよ」

「あ、ありがとうございます」


 渡されたのは魔術師の寝巻きだ。一度も着たことがないのかと思うくらい使われた形跡がない。着替えのために部屋を出ようとしたらまだ腕を離してくれない。


「何で出ようとするの」

「そ、その…恥ずかしいので…」

「この状況で僕が君を襲うと思うの?」

「お…お化粧も!落とさないといけないですから…!」

「ああそう。それは失礼。確かに配慮がなかった」


 何だか妙な感じだ。髪が短くなって、印象は多少異なるけれど、笑顔は、見慣れたもの…だと思う。どう見ても、完璧に笑っている。

 そう、一番おかしいのは喋り方だ。音程は以前と同じ。無理して出している気配もない。けれど、あの明るさと、朗らかさが、ない。

 もし出会って最初にこの声を聞いていれば、何の違和感もなく受け入れただろう。しかし、かつての彼を知っている私には、どうしても違いがあるように感じられてならない。


「じゃあ待ってるから」

「は、はい」


 慌てて洗顔し身の汚れを落とし、普段着のポケットに手鏡の形状に戻ったお守りだけ入れてから戻ってきた。ローブ姿の魔術師は既にベッドの上で横になっている。ここ最近嫌になるほど見た光景。でも、もうあの時とは違う。

 そう、違うのだ。

 魔術師は元気になった。それだけで十分だ。何が違っていようと、気にすることじゃない。

 ゆっくりベッドのそばに移動すると、引き摺り込まれた。

 声を上げる暇もなく彼の腕の中に閉じ込められる。

 呼吸が止まるかと思った。


「あ…あの…魔術師様…!」

「嫌?」


 綺麗な笑顔で覗き込んでくる。何故か胸の奥がざわつく感覚がする。しかしそれどころではない。ベッドの中、魔術師に抱きしめられているような状況。全身から体温が伝わってくる。思考が入り乱れる。


「大丈夫。君の嫌がることはしないよ」

「い、嫌、というわけでは、なく…で…ですが…!その…!」

「何?はっきり言ってくれるかな。喋るのが嫌いなわけじゃないんでしょ」


 その言い方に、既視感を覚えた。身を捩るのをやめ、すぐそこにある彼の顔を呆然と見返す。

 魔術師は一切崩れない笑顔でこちらを観察していた。


「…あなたは…誰、なんですか?」

「妙なことを聞くんだね」


 不意に。

 魔術師から、表情が抜け落ちた。

 淡々と、聞き覚えのある抑揚で、感情のない声色で続ける。


「とっくに気づいているだろうに」

「な…何を」

「僕は最初にエルムと名乗った。でも君は、一度だって僕をエルムと呼んだことはない」


 絶句した。

 無意識だった。一度たりとも気づきもしなかった。


「最初から君は、”これはエルムではない”と判断していたんだ」

「そ、そんな…で、では…」


 思考をどうにかかき集めて、言葉にする。


「え、エルム…というのは、先生…のお名前、ですか?だから…」

「そうだね。あっちの黒髪も、エルムに違いない。でも僕もエルムだよ。だって見ただろう。顔が同じなのを」

「それは…あなたが、作られた人形だから…で、でも…今のあなたは…人形の…私の知っている、あの方では、ないように思えます」

「なるほど。魔力が高いとそういうことも分かるのかな。それとも人間的な勘かな。まあ半分正解だ」


 青年は体を起こし、首を傾けて無表情に私を見つめる。髪が短いから、彼が動作してもかつてのように柔らかく揺れるものはない。


「君が部屋を開けてくれたから、僕は戻ってこられた」

「じゃあ…三階の、部屋にいた人が、今のあなた、ということですか?閉じ込められていたあの人が…人形である魔術師様の体に、乗り移った、とか…?」

「なるほど。面白い考え方だ。そういう風に捉えることもできるかもしれない。でも不正解だな」


 全部僕だよ、と彼はあっさり答えを提示した。


「言っただろう。この館には、君と、僕しかいない。全部僕の一人芝居だ」

「な…何をおっしゃって…」

「残念だな。恋心を利用して盲目にすればもう少し騙せると思ったのに。やはり君はあの”魔術師”が好きだったんだね。僕が加わったから、もう君の好きな人とは異なってしまった。いいよ。出て行きたいなら引き留めない。もう君の好きな人はいない。また切り離すなんて面倒はごめんだ」


 何の表情も、感情も、表すことはなく。彼は会話を打ち切り、視線を逸らして再び身を横たえた。

 しばらくの沈黙が続く。私は動かなかったし、彼は微動だにしなかった。

 だが、時計の針が四半を超えたあたりで、彼は唐突に起き上がった。


「何。何でまだいるの。もう失望して見切りつけたでしょ。出て行くんじゃないの?」

「…失望する、理由が…ありませんから」

「あるでしょ。君の知っている人じゃないんだよ僕は。別人になったんだ」

「…でも、あなたは、今日…私を助けてくれたじゃないですか」

「今日?何もしてないよ。君が頑張ってたからその流れに乗っただけ。伯爵が乗っ取ろうと公爵が没収しようと別にどうでも良かった。情勢に抗うのは地下室にいる人たちの役目だから」


 内容の通り、彼は全く物事にこだわらない調子で言葉を吐き出す。

 思わず納得して頷いてしまいそうなほど、彼の言葉にも態度にも矛盾はなかった。だが。


「…それなら、どうして…あの時、怒っていたんですか?」

「何?」

「私が、父に…伯爵に、追い詰められた時」


 何度も何度も向けられてきた憎悪。お前さえいなければ、誰も不幸になることはなかったと咎めてくる視線。それを受けて、私は幼少から刻み込まれている恐怖に飲まれそうになった。

 その瞬間に、魔術師は私の前に進み出た。あの視線を遮るように、立ち塞がった。

 そうして、伯爵の私への扱いを大衆の面前であげつらい、最終的には父から”建前”を奪った。

 どうでもいいと、そう言うのなら、そんなことしなくて良かったのに。


 彼はしばらく沈黙していた。手元を見つめ、一切感情の動きを浮かべることなくじっと固まっていたが、やがてため息を吐いた。


「好きなんだろうねえ」

「え?」

「そうだね。不公平だ。怠惰だけ明かしても意味がない」


 首を振り、自分の中で何かを決めたのか、魔術師は寝床から立ち上がる。


「今から僕は君と、先生の嫌がることをする。面倒だけどそれが正しい、あるべき姿だ」

「何を、なさると…?」

「元に戻すんだよ。見限って出ていかないなら、最後まで見届けてくれると嬉しい」


 行こう、と平坦な声で部屋の外へと導いた。




 地下室の前に、降り立つ。

 私が何度開けようとしても開かなかった、竜の姿が彫られた扉は、魔術師が触れると何事もないように位置をずらした。

 中は思ったより暗く、目を凝らさなければ床が見えないほどで、彼が先導してくれなければ転んでしまうかもしれない。

 彼の後に続いて、影に踏み入れた。


「出て行け!!」


 途端に、怒号が届いてきた。

 その場ではない。もっと奥からの声だ。しかし凄まじい声量で、体が固まるのは必然だった。

 対して、隣にいる魔術師は平然と感想を述べる。


「うるさいな、雑音が」

「…お前が何故ここにいる。お前の解放を、誰が許した」


 距離が離れているはずなのに、声は、魔術師の呟きを拾う。戸惑う私に、魔術師は「ライラくん。あれも僕だよ。失望したかい」と確認してくる。

 確かに、声質だけは、魔術師のものと似ていた。魔術師がもう少し幼かったら、酷似していたのかもしれない。

 けれど、彼の怒鳴り声を一度も聞いたことのない私には、それは異次元のものに聞こえた。

 私が首を横に振ると、魔術師はそう、と頷いて、姿も見えない相手と会話し出す。


「そっちこそ、こんな地下室に閉じ込められるなんて哀れだね。まるで後追いだ。いつここに来たの?七年前でしょ知ってるよ。魔術師ぼくと協力して怠惰ぼくを閉じ込めたすぐ後だ」

「減らず口を叩くな、早く戻って責務を果たせ、お前は何のために生きていると思っている」

「先生と同じことを言うね、流石は同じ髪色をした同士。まああっちの黒髪は試作の君と違って最高傑作だし純然な僕そのものじゃないけど」

「何をのうのうと喋っている、何故人間と共にいる、繰り返したいのか、何も学ばないのか、人の姿をしているだけの化け物が!!」

「やめてくれるかな、大きい声で圧迫しようとするの。まあそのせいで怠惰ぼくと同じ末路を辿ってこんなところに閉じ込められたわけだけど。所詮は邪魔な雑音同士、仲良くできるんじゃないの」

「出て行け!!」

「駄目そうだね」


 まあいいや、声だけだから無視すればいいよと魔術師は私の手を引く。が、すぐに立ち止まった。


「魔術師様…?」

「何これ」

「え」

「体が動こうとしない。そんなに嫌かな、自分を晒すの。彼女に目の当たりにしてもらうのが手っ取り早いのに、反抗しようとするのやめてくれるかな。今は僕が主軸だっていうのに」


 言葉通り、魔術師の歩みはぴたりと停止していた。押しても引いても、彼の体が抵抗しているかのように、その場から離れようとしない。

 仕方ないねと呟いて、彼は淡々と私に告げる。


「悪いけど僕は動けなくなったから、君に見てきてもらうしかない。君一人で進んで。一番奥まで行けばさっきの声の人と会えるから。真っ直ぐ歩くだけだから迷わないはずだよ。ただ、道中他の僕もいるかもしれないし、見逃さないでね。全部見たら、戻ってきて。全部知ってまだ失望してなかったら、その時改めて未来の話をしよう」


 …まだ、理解は追いついていないが。

 彼が私に重要なことを伝えようとしているのは確かで、私はそれを、理解しないといけない。

 彼と共にありたいのなら、進むしかない。

 それまで繋がれていた手を離される。急速に冷える温度を惜しみ、じっと佇む彼を時折振り返りつつも、私は暗がりの中を歩いて行った。




 暗闇に目が慣れて周囲が伺えるようになってきた。

 床にも壁にも魔術の材料なのか鉱石や植物の標本、何かの鋭利な牙や鱗が収められた瓶が所狭しと置かれている。

 その中を、黙って進んでいく。地下の一室というよりは階層と呼ぶべきで、どこまで奥が広がっているのか、見当もつかない。


 彼が何を見せたいのか、誰と会わせたいのか。「全部僕だよ」という言葉の意味。奥から聞こえてきた、彼に似た声の怒り。人形という存在。

 …数刻前に目にした、人から心の一部を抜き出す魔術。


 薄々繋がっていく予想に気を惑わしながらも、前に足を動かしていく。

 やがて奥に真っ直ぐ伸びる通路の側面の壁に、牢屋の扉が現れた。


「あっ!救世主来たではないか!」

「助かるザマス〜!」


 聞き覚えのある声。見覚えのある姿。

 魔術師の、両親。金髪の男性と、黒髪の女性。

 そう。先ほど顔を合わせていたばかりの、公爵夫妻にそっくりな、二人組。

 彼らは、銀の鎖を巻き付けられた牢屋の中に閉じ込められ、しかし憔悴した様子は全くなく私に呼びかけた。


「鍵を開けてくれ〜!儂らは外に出たいんじゃ!」

「こんなとこに閉じ込められて道連れにされるなんてまっぴらごめんザマス〜!」

「…あなた達も…魔術師様、なんですか…?」


 私の問いかけに、二人は顔を見合わせ。盛大に騒ぎ始めた。


「なんじゃなんじゃ、ここに閉じ込められてると状況何も分からんからハラハラしてたが、種明かししたんか!」

「ひょっとして私達の姿形が公爵夫妻の模型だってこともバレたザマス?」

「いや〜悪趣味だと非難することなかれ!なんてったって向こう側のリクエストとも言えるからの〜!」

「ザマスザマス!顔型も声帯も満更でもなさそうに取らせてくれたんザマスよ〜!絶縁してるしお互い未練もないけど少しは息子への愛情が残っていたんザマスかね〜!」

「まーさか!そんなタマじゃないじゃろ!そっくりな偽物に勝手に行動される不利益と魔道具の売上収入を天秤にかけた結果じゃて!利害のことしか頭にない人種じゃからの〜!」


 わいわいと朗らかに、二人は会話している。本物の公爵夫妻を見てしまった後では強烈な違和感があるが、どちらも楽しそうだから何だか気分がほぐされてしまう。


「しかし種明かしってことはあのバカも覚悟決めたってことじゃな?」

「やあああっと前向きになったんザマスねえあのバカ」

「恋の力って偉大じゃの〜!派生して儂も思わず求婚してしまうほど漏れ出てたしの〜!」

「こっちの感情は本体に伝わらないのにあっちの余波は容赦なく流れてくるの理不尽だったザマスもんね〜!」

「受信機生活も終わりじゃ!ハッピーエンドまでもうちょっとじゃぞ〜!」


 盛り上がる二人に水を差すようで気が引けるが、ここで聞いておかなければおそらく答えが得られないだろうと予想して私は声を上げる。


「魔術師様は…何のために、自らの一部を切り離して、人形に入れていたんですか?」


 父から”建前”を取り上げたように。

 妹から”良心”を抜き出して、人形に組み込み指導役として誕生させたように。


 彼は、自分の要素を、バラバラに切って複数の人形に分け与え、それぞれで動かしていた。

 そんな夢みたいな推測を、私は二人に投げかける。

 途端に、空気が変わった。

 それまで賑やかだった二人は、嘘のようにぴたりとお喋りをやめた。二人で向き合っている状態だったのを終わらせ、落ち着いた雰囲気で私と視線を合わせる。


「…なんじゃ。そこまで種明かししとらんのか」

「バカザマスねえ」


 ため息を吐く勢いで、二人は首を振って説明を拒否した。


「儂らが説明するとややこしいからの。他のやつに聞いとくれ」

「そうザマスねえ。私達ちょっと進化し過ぎたからもう自分事のようには語れないザマス。本体から影響は受けるけど根底を揺らがされはしない。もう確立されてるんザマスよ」

「枝分かれした別人と言っていいからのう。他の奴らと違って儂らちゃんと外に出て他人と交流しとったから」

「…な…何のお話ですか…?」


 二人は揃って真面目な顔つきで私を見つめた。朗らかな振る舞いが失せると、途端に彼らはあの公爵夫妻と見分けがつかなくなる。少し恐ろしくなってしまったのを察知したのか、「怯えることはない」とご主人は穏やかな声色で諭した。


「エルムなんか単なる視野狭窄の若造じゃからの、恐れるに足らんわ。ま、奴の全部を知って、まだ好意的でいられるかどうかは保証しかねるぞい」

「そのためにも、話を聞いてくるザマスよ。この先にいるザマスから。各々言うことはバラバラかもしれないけど、結局どれも当事者には違いないザマスからね」

「ああでも、あの先生気取りのお邪魔虫はちょっと特殊じゃから気をつけるんじゃぞ」

「あいつだけは原液じゃないザマスからねえ」

「無事を祈っとるぞ」

「ご武運ザマス」


 そこまで言うと、二人は口を閉ざしてしまった。これ以上、何も語ってくれる気はないようだった。

 私は頭を下げ、礼をして先へと進む。




 進むにつれて、置いてあるものが変化してきた。それまでは自然界で採取できる素材だったが、次第に人形の手や足、体の部位が増えていく。中には外的要因と思しき損傷のあるパーツもあって、人形とわかっていなければ、解体殺人の現場と勘違いしてしまいそうな、おどろおどろしい光景だった。


 相変わらず、周囲は薄暗い。そんな中に浮かぶ、彼らの仮面はひどく不気味に見えた。


「やあ。久しぶりだねえ。顔をよく見せておくれ」

「ああ、ああ、可愛いお嬢さん!どうか御手に触れさせて!」


 豚の顔をした肥満気味の男性。

 山羊頭のメイド服の女性。

 私は彼らが閉じ込められている牢屋に駆け寄る。先ほどと同じく、開閉部分には鎖が何重に巻かれてあった。

 伯爵から取り出した”建前”を封じ込めた瓶の鎖と、同じ代物が。


「…あなた達も…魔術師様の、一部、だったんですね…」

「…そうか。エルムは、君に伝えたんだね」

「いいえ、まだ全ては、聞いていません。だから…聞かせてください。魔術師様に…何があったんですか?」


 コックさんが気落ちした様子で黙り込む傍ら、メイドさんは牢屋のドアを腕で揺すりながら訴えた。


「エルムは拒絶したのよ、人を。関わろうとするのをやめた。裏切られたから。理解できなかったから。関わっては駄目なものだと思い込んだ。一緒にいるべきじゃないって決めた。そんなの嘘なのに!」

「…何を…裏切られたんですか?」


 裏切られたわけじゃないよ、ただ、考えが及ばず、予想と違っただけだった。

 コックさんが静かに言って。豚の仮面を取った。それを見て、メイドさんも仮面を剥ぐ。


 言葉が出なかった。


 コックさんの顔は、魔術師と、同じものではなかった。

 どころか、判別できなかった。

 全体が焼け焦げていた。

 まるで炎を防いだ防具のように、黒く染まっていた。


 メイドさんの顔には。

 穴が、あった。

 大きく凹んでいた。

 明らかに、打撲の形跡だった。


「…元々ね。ボクと、この子は、恩人への贈り物だったんだ」


「ボクは大切にしてもらえた。大食らいのお兄さんは、料理を作ることができるボクを大層ありがたがって、作り手のエルムにも感謝をしてくれた。

 でも、この子の受取人である彼は、エルムの前では嬉しがったけど、家に帰ったら気味悪がった。こんな人形といたくないと、顔を潰して遠ざけた。

 それだけなら、別になんてことない。魔術は異端だったし、動く人形が怖がられるのは、仕方のないことだ。

 でも。戦争が激化して。お兄さんが戦死して。

 ボクらは、敵国に捕まって改造された。

 ボクらを複製して、たくさんの兵士が生み出された。攻撃されても怯まない、悲鳴も機密も発しない、ただ進軍するだけの人型。

 エルムは胴体を頑丈に作ってくれてたから、他の複製と違って、ボクらは最後まで壊れずに済んだ。そうして、戦争が終わって、エルムは迎えに来てくれた」


「エルムはごめんなさいって、謝ったの。君達を幸せにしてあげられなくてごめんなさいって。もうゆっくりしていいからねって、言った。それなのに、エルムはそれを破った。ワタシに、自分の一部を組み込んだ。だからこうして、指示されずとも動いて流暢に喋れるようになったし、私は、誰かに抱きしめてもらいたくてたまらなくなった」


 メイドさんが、服をたくし上げて素肌を晒す。色白い、平らな胸元、心臓の位置。そこに、何度か見たことのある黒い水晶玉が組み込まれていた。

 魔術師の一部を封じ入れた石。

 付属の煙は表面上に出ていない。おそらく、内部に吸い込まれているのだろう。そんな流れを感じる。


「エルムは、ワタシ達を受け皿にした。自分の持て余した一部を隔離するための道具に使った」

「ボクらは人形だ。使われるのが役目だから、構やしない。でもね、そのせいで、エルムはたまに動けなくなるんだ。一定時間以上切り離すと、反動がきて気力を失う。本体に戻さない限りその虚無はどんどん長くなっていく。なのに、エルムはずっと閉じ込め続けている。僕の、お腹が空いたっていう感情も…」

「私の、誰かに抱きしめてもらいたいっていう感情も」

「ボクらじゃどうにもできない」

「ワタシにはエルムを止められない」


 だからどうか。

 壊して欲しい。

 二人はそう願うと、格子越しに私の両手を握ろうとした。しかし、檻に巻きつく鎖が鈍く輝き、バチッという音を立てる。


「…これはね。内部と外部、どちらからの干渉も防ぐ代物だ」

「誰も破れない。作った本人のエルムにも」

「でも、君なら」

「あなたなら、できるかもしれない」


 待っているから。

 二人の言葉に背中を押され、私は再び奥へと歩き出す。




 人形のパーツが減って、今度は割れた破片があちこちに散らばり始める。

 透明な石の破片だ。踏まないように慎重に歩みを進める。

 足元に注意を払っていたから、その接近に気づかなかった。


 急に背後からきた衝撃に、息が止まりそうになる。つんのめるのをどうにか堪え、振り返って見下ろした。

 少女がいた。妹の”良心”を与えられた人形と、同じ姿をした女の子。


 彼女は、青色の瞳で私を見上げ、口を尖らせると「ぜーったい負けないんだから!」と甲高い舌足らずな声で叫び、私の手を取って強引に走り出す。進行方向は変わっていないが、途中で何か見落としているのではないかと気が気でない。

 あなたは誰なのかと息を切らして問いかけても、彼女は何も答えない。

 やがて、その一室で立ち止まった。


 仄かな光源の下、人形が並んでいる。魔術師に似た少年や男性の人形の他、私には見覚えのない人間の姿をしたもの、まだ頭部のついていないもの、目鼻のないつるりとした顔をしているものもいる。


 少女は私から手を離し、両手を振り上げる。


「ぜーんぶ、僕がつくったんだよ!」

「…あなたは…」

「だれもおよばない、かなうものなんてない、だって僕はうまれた時から天才だから!魔術において、僕をうわまわるひとはいない!そのはずなのに!」


 いつの間にか、少女は仮面をつけていた。蛇の顔を模した仮面だ。


「やめてよ!僕からとらないで!」

「何も、取ったりなんてしません。私は」

「うそつき!もういいよ、きらわれて自分から出ていくようにしむけるだけさ!」


 灯りが消えた。

 直後、別の場所に光が当たる。そこに浮かび上がっているのは、白い髪をした男の子だ。頭はあっても、表情はない。

 見慣れたものより幼い造形の顔を私に向けて、彼は、カタリと首を傾げた。


「これは、僕の物語だ」

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