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第5話 君みたいな人が好き

「ねえ、藤沢さん」


昼休み。

教室の後ろから聞こえてきた声に、俺は顔を上げた。


「ちょっと話があるんだけど」


声をかけられていたのは、ユリだった。

彼女の机には、いつものように新田アカリと工藤シホがいる。

そして、その三人を見下ろすように立っている女子がいた。

クラスの中心にいる、いわゆる一軍女子。

明るくて、可愛くて、男子からも人気がある。

そして何より。

渡辺ヨシの、今の彼女だった。


「……なに?」

ユリが小さく答える。

「ちょっと来てくんない?」

「えっと……」

「すぐ終わるからさ」

女子は笑っていた。

でも、その目は笑っていなかった。


「ここで話せばいいじゃん」

横から新田が口を挟む。

「ユリ、今ご飯食べてるし」

「別にアカリには関係なくない?」

「関係あるよ。友達だもん」


おお。

新田、言うじゃん。

思わず感心しかけたが、相手はまるで気にしていなかった。


「へえ。友達なんだ」

後ろにいた女子たちが、くすくすと笑う。

「じゃあ友達に聞いてみなよ。なんで人の彼氏に色目使ってんのって」


……は?

俺は思わず箸を止めた。

ユリも、目を丸くしている。


「……え?」

「とぼけなくていいから」

「わ、私、そんな……」

「ヨシが最近、藤沢さんのことばっか話してるんだよね」

女子の声が、少しだけ大きくなった。

「可愛いとか、守ってあげたいとか。あいつ、ほんと馬鹿だからさ」


なるほど。

ようやく状況が飲み込めた。


ヨシはモテる。

顔も悪くないし、運動もできる。自信満々で、女子への距離の詰め方もうまい。

俺とは昔から反りが合わないが、人気者なのは間違いない。

そのヨシが、ユリを気にしている。

しかも、今の彼女にそれが伝わっている。


……いや待て。

それ、ユリに怒ることじゃなくね?


「ちょっと、それヨシくんの問題じゃん」

今度はシホが言った。

「ユリ、何もしてないよ?」

「は? なんでシホがわかるわけ?」

「だってずっと一緒にいるし」

「じゃあ、見てないところでは何してるかわかんないじゃん」


……無敵かよ、その理論。


ユリは何も言わなかった。

ただ、膝の上でぎゅっとスカートを握っている。


「……ごめんね」

そして、小さく笑った。

「でも、私、本当に何もしてないから……」


その顔を見た瞬間。

胸の奥が、ちくりと痛んだ。


ああ。

この笑顔だ。

十二年前。

俺が別れを告げたときと、同じ笑顔だった。


*


「お前、さっきから何見てんの?」

隣で弁当を食べていたタクミが言った。


「……別に」

「絶対なんか見てただろ」

「うるせえな」


もう一度、ユリの方を見る。

一軍女子たちは、ようやく離れていった。

アカリが何かを怒ったように話している。

工藤シホもユリの肩に手を置いていた。

ユリは二人に向かって、何度も首を振っている。


たぶん。

大丈夫だから。

そう言っているんだと思う。


……大丈夫なわけないだろ。


「なあ、タクミ」

「ん?」

「藤沢って、前からあんな感じなの?」

「あんな感じって?」

「絡まれてるっていうか」

「あー……」

タクミは少し考えた。

「まあ、たまに見るな」

「……そうか」

「でも新田たちがいるじゃん。あいつら結構仲いいし」

「だな」


確かに、ユリには友達がいる。

新田アカリも工藤シホも、ちゃんと彼女を守ろうとしている。

でも。

あの二人だって、決してクラスの中心にいるわけじゃない。

相手が何人も集まってきたら、どうしたって限界がある。

それに、ああいう連中は。

誰かが庇えば、今度はその相手まで標的にする。


十二年前の俺は、そんなことにも気づいていなかった。

いや。

本当は、気づいていたのかもしれない。

ただ、面倒なことに関わりたくなかっただけで。


「……サトル?」

「ん?」

「お前、なんか怖い顔してるぞ」

「……そうか?」

「うん。なんか眉間にしわ寄ってるぞ」

「お前、藤沢のこと気になってんの?」

「そんなんじゃねえよ」

「へえ〜?」

「その顔やめろ!」


俺はタクミの肩を小突いた。

いつもなら、そこで笑って終わる。

でも今日は。

どうしても、ユリの笑顔が頭から離れなかった。


*


事件が起きたのは、その日の放課後だった。

部活に向かおうとして、教室に忘れ物を取りに戻ったときだ。

廊下の奥。

階段の踊り場から、聞き覚えのある声がした。


「だからさ、なんであんたなの?」


足が止まる。


「……ごめんなさい」


ユリの声だった。

俺は壁際から、そっと様子をうかがった。


そこには、ユリと一軍女子たちがいた。

昼休みの連中だ。


「ヨシに何言ったの?」

「……何も」

「じゃあなんであいつ、あんたのことばっか気にしてんの?」

「……わからない」

「はあ? ほんとムカつく」


女子の一人が、ユリの肩を小突いた。

ユリが一歩、後ろに下がる。

そのすぐ横には、階段があった。


「ちょっと! やめなよ!」


新田の声が響いた。

見ると、新田と工藤もいた。


「ユリ、もう行こう」

工藤が藤沢の手を引こうとする。

だが、一軍女子の一人がその前に立った。


「何? また友達ごっこ?」

「ごっこじゃないし!」

新田が言い返す。

その声は、少し震えていた。


「もういいじゃん。ユリ、何もしてないんだから!」

「だから、あんたには関係ないって!」

「関係あるって言ってるじゃん!」


……ああ。

こいつらも、怖いんだ。

それでも必死に藤沢を守ろうとしている。


一方のユリは。


「……アカリ、いいよ」


二人の間に入って、困ったように笑った。


「私、大丈夫だから」

「でもユリ!」

「……大丈夫」


まただ。

また、その笑顔。


ユリはいつも、そうやって笑う。

自分が傷ついても。

誰かが嫌な思いをしないように。

全部、自分で飲み込んでしまう。


……もういい。

俺は階段の方へ歩き出した。


「おーい」


全員が、こちらを振り向いた。


「あれ、永井くん?」

一軍女子の一人が目を丸くする。

「何してんの?」

「いや、こっちのセリフなんだけど」


俺はユリの隣に立った。


「何してんの、こんなところで」

「別に。女子同士で話してただけだけど?」

「へえ」


俺はユリを見る。

彼女は驚いた顔で、俺を見上げていた。


「……永井くん?」

「大丈夫?」

「……う、うん」

「そっか」


そして、もう一度女子たちを見る。


「じゃあ話終わったなら、藤沢連れてっていい?」

「は?」

「俺、藤沢に用あるんだよね」


一瞬、沈黙が落ちた。


「……え、何? 永井くんも藤沢さん狙い?」


女子の一人が、にやにやと笑った。


……ああ。

十二年前の俺なら。

ここで慌てて否定していただろう。

周りにからかわれるのが、何より嫌だったから。


でも。


「だったら何?」


口にしてから、自分でも少し驚いた。

女子たちが固まる。


「……え?」

「別に、誰と仲良くしたってよくない?」


俺は肩をすくめた。


「つーか、ヨシが藤沢のこと好きなら、ヨシに言えばいいじゃん」

「……っ!」


ヨシの彼女の顔が赤くなる。


「そういうことじゃないんだけど!」

「じゃあどういうこと?」

「それは……!」

「藤沢、何もしてないんだろ?」


誰も答えなかった。


「だったら、もういいじゃん」


正直、少し怖かった。

だって、相手はクラスの中心にいる連中だ。

ここで変に目をつけられたら、面倒なことになる。


でも。

そんなことを気にして、ユリを傷つけたのが。

十二年前の俺だった。


「行こうぜ」

俺はユリに声をかけた。

「新田と工藤も」

「……え?」

「一緒に帰るんだろ?」


新田が一瞬ぽかんとして。

それから、勢いよく頷いた。


「う、うん!」

工藤もユリの手を取る。

「ほら、ユリ!」

「……うん」


俺たちは、その場を離れた。

背後から何か聞こえた気がしたが。

振り返らなかった。


*


校舎を出たところで、新田が大きく息を吐いた。


「……はあああ! 怖かったぁ!」

「アカリ、声大きいって!」

工藤が慌てて止める。

「だって! マジで怖かったんだもん!」

「……うん。私も」


二人は顔を見合わせて、笑った。

俺も思わず笑ってしまう。


「いや、二人ともすげえよ」

「え?」

「あんな連中に、ちゃんと言い返せるんだから」


新田は少し照れたように鼻をこすった。

「だって……ユリ、友達だし」

「うん」

工藤も頷く。

「放っとけないよ」


その言葉に。

ユリが、少しだけ俯いた。


「……ありがとう」


小さな声だった。


「二人とも、いつもごめんね」

「だから謝んなくていいって!」


新田が笑う。


「ほんと、ユリはすぐ謝るんだから!」


……そうだな。

俺も、そう思う。


「じゃあ、私たち先に帰るね!」


新田が手を振った。


「永井くん、ユリのことよろしく!」

「え、あ、ちょっと!」


ユリが慌てる。

だが、二人は笑いながら校門の方へ走っていった。


……おい。

なんで俺に任せるんだよ。

まだそんな仲じゃねえぞ。


まあ。

少しだけ、ありがたかったけど。


*


「……永井くん」


隣を歩くユリが、小さく口を開いた。


「さっきは……ありがとう」

「ん? ああ」

「……助けてくれて」

「別に、大したことしてないよ」

「……でも」


ユリは俯いた。


「……迷惑、かけちゃった」


また、それか。

俺は少し考えてから、口を開いた。


「なあ、藤沢」

「……うん?」

「今まで、ずっと我慢してたんだね」


彼女の足が止まった。


「……え?」

「さっきの連中さ。今日だけじゃないんだろ?」

「……」


ユリは答えなかった。

でも。

その沈黙だけで、十分だった。


「……そっか」


俺は隣に立ったまま、続けた。


「頑張ってきたんだな」


その瞬間。

藤沢の顔が、くしゃっと歪んだ。


「……っ」


慌てて俯く。


「……そんなこと、ないよ」

「あるだろ」

「……私、何もできなくて」

「うん」

「アカリとシホにも、いつも迷惑かけて……」

「うん」

「……だから、私が我慢すれば」


「藤沢」


俺は、そっと呼びかけた。


「もう、我慢なんてしなくていいよ」


ユリが顔を上げる。


「……え?」

「嫌なことは嫌って言っていいし、辛かったら泣いたっていい」

「……」

「一人で抱え込む必要なんかないんだよ」


俺は少し笑った。


「新田も工藤もいるしさ」


そして。


「俺だっているんだから」


ユリの目が、大きく開いた。


「……永井くん、も?」

「うん」

「……いいの?」

「何が?」

「……頼っても」


その声は。

今にも消えてしまいそうなほど、小さかった。


胸が、ぎゅっと締めつけられた。


十二年前。

俺は、この子に何をしてしまったんだろう。

こんなふうに、誰かを頼ることさえ遠慮してしまう子に。

自分の都合だけで、別れを告げた。


……馬鹿だな、俺。


「もちろん」


俺は笑った。


「いつでも頼ってよ」

「……っ」


ユリの目に、涙が浮かんだ。

慌てて袖で拭う。


「……ごめん、なさい」

「ほら、また謝った」

「……あ」


二人で、少し笑った。


俺は続けた。


「でもさ」

「……うん?」

「我慢ばっかりするのは、よくないと思うんだけど」


ユリが、じっと俺を見る。


「それでも、辛いことがあっても、周りの人のこと考えてさ」

「……」

「ちゃんと笑おうとして、前向いて頑張れるのって」


俺は少し照れくさくなって、頬をかいた。


「すげえ強いことだと思うんだよね」


ユリは、何も言わなかった。

ただ、大きな目で俺を見つめている。


「だからさ」


俺は、彼女の目を見て言った。


「俺、藤沢みたいな人、好きだな」


……あ。

言ってから、少し恥ずかしくなった。


いや、別に変な意味じゃない。

人として、だ。

辛くても周りを思いやれる。

そんな優しさと強さを持っている人間は、素直に尊敬できる。

それだけの話だ。


……それだけの、つもりだった。


「……す、き?」


ユリが、小さく繰り返した。


「ん?」

「……私、みたいな人が?」

「うん」

「……本当に?」

「本当だよ」


俺は笑った。


「嘘ついてどうすんだよ」


ユリは俯いた。

耳まで真っ赤になっている。


「……そっか」

「うん」

「……そっかぁ」


もう一度、同じ言葉を繰り返す。


そして。

ほんの少しだけ、笑った。

今まで見たことがないくらい。

嬉しそうな顔だった。


「……ありがとう、永井くん」


その声は、少し震えていた。

でも、さっきまでとは違う。

何かを必死に我慢するような震えではなかった。


「……私」

「ん?」

「……もう少し、頑張れそう」

「いやいや」


俺は慌てて手を振った。


「だから、無理すんなって話!」

「……ふふっ」


ユリが笑った。


「……うん」


そして、小さく頷く。


「……わかった」


その笑顔を見て。

俺は、心の底からほっとした。


ああ。

よかった。

今度は、ちゃんと守れた。


十二年前には、できなかったことが。

少しだけ、できた気がした。


――ただ。

このときの俺は、ひとつだけ気づいていなかった。


俺が伝えたかった「好き」と。

彼女が受け取った「好き」が。


ほんの少しだけ、違っていたことに。


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