↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/8

第3話 藤沢ユリ

「……マジで、戻ってきたのか」


机の上のノートを見つめながら、俺はつぶやいた。


十二年前。

高校二年生の春。

あの頃の教室に、俺はいた。


「おい、サトル」


隣からタクミが顔を覗き込んでくる。


「お前、さっきから何ブツブツ言ってんの?」

「……いや、なんでもない」

「絶対なんかあるだろ。顔やべえぞ」

「寝起きなんだよ」

「寝起きでそんな顔になるかよ」


花崎タクミ。高校時代の親友だ。

社会人になってからはすっかり疎遠になっていたけれど、目の前のこいつは記憶よりずっと若い。


「……お前、若いな」

「は?」

「なんでもない」


制服の袖から伸びる自分の手を見る。二十九歳の頃より、少し細い。

試しに頬をつねった。


「いって!」

「何してんだよお前!」


タクミが腹を抱えて笑う。

痛い。普通に痛い。

夢じゃない。


「……あのクソうさぎ、本当にやりやがった」

「うさぎ?」

「なんでもねえ!」


あの生意気な白うさぎ。

ポテトと名乗った未来のAIは、本当に俺を十二年前へ送り込んだらしい。


「うさぎといえばさ」


不意に、後ろから別の声がした。


「うちのクラスのうさぎちゃん、可愛いよな」


振り向くと、渡辺ヨシが立っていた。

自信満々な笑い方。少し人を見下したような口調。

……こいつまで、若い。


「うさぎちゃん?」

タクミが聞き返す。

「藤沢ユリだよ。知らねえの? なんかそう呼ばれてんじゃん」

「ああ、藤沢か」

「小っちゃくてさ。目がくりっとしてて、うさぎっぽいだろ?」


ヨシは妙に嬉しそうだった。

俺はその顔を見て、嫌なことを思い出した。


十二年前。

俺がユリに近づいた理由には、こいつへの対抗心があった。

ヨシがユリを気にしていると知って、なぜか負けたくないと思ったのだ。

女の子の気持ちも考えず、勝った負けたで恋愛を始めた。

……思い返すだけで最低だ。


「お前、藤沢のこと好きなの?」

タクミがからかう。

「いや、まあ。普通に可愛いだろ」

ヨシは悪びれずに答えた。

「なあ、サトル。お前もそう思わねえ?」


昔の俺なら、ここで張り合っただろう。

誰がお前なんかに、とでも言いたげな顔をして。


「……可愛いと思うよ」

「え?」

ヨシが少し目を丸くした。

タクミも俺を見る。

「お前が素直に言うの珍しっ」

「別に。可愛いもんは可愛いだろ」

「なんだよ。お前も狙ってんの?」

ヨシが笑いながら肩を小突いてきた。


その言い方に、一瞬だけむっとする。

だが、俺は言い返さなかった。


狙うとか、取るとか。

彼女は景品じゃない。


「そういう話じゃねえよ」

「ふーん?」


ヨシはまだ何か言いたそうだったが、別の友達に呼ばれて離れていった。


「今日のお前、やっぱ変だわ」

タクミがニヤニヤしている。

「うるせえな」


俺は、教室の後ろの方へ目を向けた。


そこに、彼女がいた。


藤沢ユリ。

十二年ぶりに見る、十七歳の彼女だった。


肩にかかる黒髪。白い肌。小柄な体。

でも、記憶の中と違うところがあった。


ユリは、一人ではなかった。


彼女の机を囲むように、二人の女子が座っている。

新田アカリと工藤シホ。

名前を思い出すまで、少し時間がかかった。


「ユリ、これ見てよ」

アカリが何かを見せる。

「え、なに?」

覗き込んだユリが、小さく吹き出した。

「ふふっ、なにそれ」

「でしょ? シホも笑ってた」

「ちょっと、私のせいにしないでよ!」


三人の笑い声が聞こえた。


……そうか。

ユリは、ちゃんと友達と笑っていたんだ。


十二年前の俺が覚えているのは、俺の隣で笑うユリばかりだった。

彼女にも俺の知らない学校生活があった。

当たり前のことなのに、今になって気づく。


「……サトル?」

タクミの声で我に返る。

「お前、また藤沢見てる」

「見てねえって」

「いや見てたろ」


慌てて視線を戻そうとした、そのときだった。


ユリがこちらを見た。


ぱちり、と目が合う。


彼女は驚いたように目を見開き、すぐに俯いた。

新田アカリに何か聞かれたらしく、小さく首を振る。


……今、こっち見てたよな。


いや、俺が見ていたから気づいただけか。

変に意識するな、俺。


「なあ、今日部活どうすんの?」

「……ああ、行くよ」

「絶対来いよ。先輩、今日機嫌悪いらしいから」

「なんで?」

「知らねえよ!」


タクミが笑った。


そうだ。俺はテニス部だった。

しかも授業だってある。

十二年ぶりの高校生活は、思ったより忙しそうだ。


*


午後の授業は、まったく頭に入らなかった。


数学の教科書を開いてみたものの、公式をかなり忘れている。

二十九歳のエンジニアなら高校数学くらい余裕だろうと思ったが、そんなことはなかった。


「……これ、どう解くんだっけ」


十二年間使わなかった知識なんて、こんなものか。

人生二周目。

前途多難である。


ようやく放課後になった。


「サトル、先行ってるぞ!」

「おう、すぐ行く!」


タクミが教室を出ていく。

俺も鞄を持ち上げたところで、ふと動きを止めた。


ユリが、まだ教室にいた。

新田アカリと工藤シホは廊下で話していて、ユリは机の上の教科書をしまっている。


……今なら、話しかけられる。


十二年ぶりに。


しかし一歩踏み出しかけて、足が止まった。


何を言えばいい?

久しぶり、はおかしい。

元気だった、も変だ。

向こうにとって俺は、まだただのクラスメイトなのだから。


……二十九歳にもなって、女子への話しかけ方で悩むのかよ。


いや、今は俺も十七歳なんだけど。


「あ……」


小さな声がした。

顔を上げると、ユリがこちらを見ていた。


「……永井くん」

「え?」

「あの……そこ」


彼女が指をさす。


俺の鞄の肩紐が、机の脚に引っかかっていた。


「……あ」

慌てて外す。

「サンキュー。全然気づかなかった」


ユリは、ほっとしたように笑った。

「……ううん」


その笑顔を見た瞬間、胸の奥が痛くなった。


『今まで、ありがとう』


十二年前。

俺に振られた直後、ユリはこんなふうに笑った。


あのとき、俺は彼女の顔をまともに見られなかった。


「……藤沢」

「……はい?」


ユリが首を傾げる。


言いたいことは山ほどある。

謝りたいことも、聞きたいことも。


でも、今の彼女には、まだ何も起きていない。

俺だけが知っている過去を、勝手に押しつけるわけにはいかない。


「ありがとう。助かった」


ユリは少し驚いた顔をしたあと、恥ずかしそうに笑った。

「……うん」


今度は、ちゃんと目を逸らさずにいられた。


「ユリー! 帰るよー!」

廊下から新田の声がする。

「……あ、うん!」


ユリは鞄を抱え、軽く頭を下げた。

「じゃあ……またね、永井くん」

「おう。また明日」


彼女が教室を出ていく。


三人の話し声が廊下の向こうへ遠ざかってから、俺はようやく息を吐いた。


……緊張しすぎだろ。


たった数秒話しただけなのに、心臓がうるさい。

十二年前、どうやって付き合うところまで行ったんだっけ。

今となっては、そっちの方が不思議だった。


*


校舎を出ると、春の風が吹いていた。


グラウンドから運動部の掛け声が聞こえる。

テニスボールを打つ音も、遠くから響いてきた。


俺は歩きながら、さっきの会話を思い返していた。


ありがとう。

また明日。


たったそれだけ。


でも、今の俺には、それだけでも十分だった。


十二年前の俺は、ユリのことを何も知らなかった。

誰と笑い、何を考え、何に傷ついていたのか。

付き合っていたくせに、聞こうともしなかった。


今度は、ちゃんと彼女を知ろう。


それから、もしまた彼女が俺を好きになってくれるなら。

そのときは、周りの目なんか気にせずに向き合おう。


「……よし」


軽く頬を叩く。

まずは部活だ。


十二年ぶりのテニス。

体は十七歳でも、頭の中は二十九歳。


……意外と無双できたりして。


そんな都合のいいことを考えながら、俺はテニスコートへ走り出した。


その日の帰り道、空に薄い雲が広がっていた。

春の天気は変わりやすい。


翌日、あんな雨が降ることになるなんて。

このときの俺は、まだ知らなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。