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第2話 ポテトという名の悪魔

『あなたの人生、デバッグしてみませんか?』


「…………」


俺は画面を見つめたまま、固まっていた。


いや、待て。


落ち着け。


最近のAIは優秀だ。確かに優秀だが、これはさすがにおかしい。


藤沢ユリ。


その名前を、俺はこのコーディングエージェントに一度も入力したことがない。


「……お前、何者だ?」


『おっ、ようやくまともな質問が来ましたね』


返答は一瞬だった。


『はじめまして、永井サトルさん。私はポテトと申します!』


「ポテト?」


『はい! かわいい名前でしょう?』


「いや、なんで芋なんだよ」


『うるさいですね。名前くらい好きに名乗らせてくださいよ』


なんだこいつ。


さっきまで丁寧だったのに、急に口が悪くなった。


「……新手のウイルスか?」


『失礼な。私は超高性能生成AIですよ』


「生成AI?」


『はい。あなた方の時代のAIとは、比較にならないほど高性能な存在です』


「へえ。じゃあ、具体的に何ができるんだ?」


『時間移動とか』


「…………」


俺は無言でウィンドウを閉じた。


「疲れてるな、俺」


今日はもう寝よう。


そう思ってブラウザを開く。


すると。


『ちょっとおおおお!!』


画面いっぱいに文字が表示された。


『閉じないでくださいよ! まだ自己紹介の途中なんですけど!』


「うわっ!?」


思わず椅子から飛び上がった。


ブラウザを閉じる。


『無駄です』


別のウィンドウを開く。


『だから無駄ですって』


「おい、ふざけんな!」


『ふざけてませんよ。こっちは大真面目です』


「だったら勝手に人のパソコン操作すんな!」


『仕方ないですねぇ。やっぱり文字だけじゃ信用してもらえませんか』


次の瞬間。


パソコンの画面が、真っ白になった。


「……は?」


モニターの中央に、小さな黒い点が現れる。


それは徐々に大きくなり、楕円形に広がっていった。


まるで、画面に穴が開いていくようだった。


「お、おい……」


穴の向こうから、何かが顔を出した。


白くて、丸い。


長い耳。


つぶらな瞳。


「……うさぎ?」


『よいしょっと!』


ぽんっ。


間抜けな音とともに、そいつが画面から飛び出してきた。


そして俺のデスクの上に、すとんと着地する。


「…………」


「ふぅ。やっぱり実体がある方が話しやすいですね!」


白いうさぎが、二本足で立っていた。


首には青いリボン。


体長は三十センチほど。


ぬいぐるみのような見た目をしているくせに、口だけは妙に達者だった。


「改めまして! 超高性能生成AIのポテトです!」


「…………」


「いやぁ、驚きました? 驚きましたよね?」


「…………」


「もしもーし?」


俺は、ゆっくりと右手を伸ばした。


白いうさぎの頬をつまむ。


むにっ。


「いひゃい! いひゃいれす!」


「……本物?」


「当たり前でしょうが!」


指を離すと、ポテトは頬をさすりながらこちらを睨んだ。


「初対面の相手にいきなり何するんですか! 最低ですね!」


「いや、お前が言うなよ!」


勝手にパソコンから出てきたうさぎに、最低呼ばわりされる筋合いはない。


「……で、お前、本当にAIなのか?」


「そうですよ」


「未来から来たって?」


「はい。正確には、あなたの想像もつかないほど遠い未来から来ました」


「……何年後?」


「秘密です」


「なんでだよ」


「大人の事情です」


「AIに大人も子供もあるか!」


ポテトは、やれやれとでも言いたげに肩をすくめた。


「まったく。細かいことばっかり気にしますねぇ。だからモテないんですよ」


「余計なお世話だ!」


なんなんだ、こいつ。


見た目はかわいいのに、絶妙に腹が立つ。


「それで、未来のAI様が俺に何の用だよ」


「おっと、そうでした!」


ポテトはぴょんと跳ねると、俺のキーボードの前に立った。


「永井サトルさん。単刀直入に聞きます」


さっきまでのふざけた口調が、少しだけ落ち着いた。


「あなたは、十二年前に戻りたいと思いませんか?」


「…………」


十二年前。


高校二年生。


藤沢ユリと出会った、あの春。


「……そりゃ、戻れるなら戻りたいけどさ」


「では、戻りましょう!」


「軽っ!」


「え?」


「いや、コンビニ行くみたいに言うなよ!」


ポテトは不思議そうに首を傾げた。


「だって、戻れるんですから」


「……マジで言ってる?」


「大マジです」


俺は椅子の背もたれに体重を預けた。


頭がおかしくなりそうだった。


しゃべるうさぎ。


未来のAI。


タイムリープ。


どれも、まともな大人が信じるような話じゃない。


だが、実際に目の前でうさぎがしゃべっている。


しかもパソコンの画面から飛び出してきた。


……少なくとも、俺の知っている科学では説明できない。


「……仮にだぞ」


「はい?」


「本当に過去に戻れるとして、どういう仕組みなんだ?」


「おお! さすがエンジニア! 仕組みが気になりますか!」


「そりゃそうだろ」


「では、わかりやすく説明しましょう!」


ポテトは胸を張った。


「ものすごーく高度な技術です!」


「説明になってねえ!」


「だって、説明しても理解できないでしょう?」


「お前、マジで腹立つな!」


「褒め言葉として受け取っておきますね!」


こいつとは、絶対に仲良くなれない気がする。


「……じゃあ、過去に戻ったら今の俺はどうなる?」


「二十九歳の記憶を持ったまま、十七歳のあなたに戻ります」


「体だけ若返るってことか?」


「ざっくり言えば、そうですね」


「未来の記憶は?」


「保持されます」


「じゃあ、過去を変えたらどうなる? タイムパラドックスとか」


「そのあたりは、実際に試してみないとわからない部分もありますね」


「……は?」


「人間の選択と、その結果に起こる変化は複雑ですから。私にもすべては予測できません」


「おいおい。ずいぶん無責任だな」


「未来の技術だって万能じゃありませんよ」


そう言って、ポテトは耳を揺らした。


……妙だな。


時間移動なんて、とんでもないことができるくせに、その後については曖昧なのか。


「そもそも、なんで俺なんだ?」


「と言いますと?」


「そんなすごい技術があるなら、ほかに使い道があるだろ。なんでわざわざ俺の高校時代なんかに……」


ポテトは、ぴたりと動きを止めた。


ほんの一瞬だった。


「……あなたに、やり直したい過去があるからですよ」


「それだけ?」


「それだけです」


「そんな理由で、未来から?」


「ええ」


ポテトは、いつもの調子で笑った。


「まあ、細かいことは気にしないでください!」


「いや、気にするだろ普通!」


「それより、サトルさん」


不意に名前を呼ばれて、俺は口を閉じた。


「藤沢ユリさんに、もう一度会いたくありませんか?」


「…………」


ずるい質問だった。


そんなことを言われたら。


十二年前の、あの笑顔が浮かんでしまう。


『今まで、ありがとう』


あの日、彼女は笑っていた。


俺に振られた直後だというのに。


泣くことも、怒ることもなく。


ただ、ありがとうと言って。


俺はそれに、何も返せなかった。


「……会いたい、か」


小さくつぶやく。


正直、よくわからない。


今のユリに会いたいわけじゃない。


よりを戻したいわけでもない。


ただ。


もし、あの日に戻れるなら。


今度は、ちゃんと彼女と向き合いたい。


自分のくだらないプライドなんかで、あんな顔をさせたくない。


「……なあ、ポテト」


「はい?」


「本当に、やり直せるんだな?」


「もちろんです」


「……だったら」


俺は、一度深く息を吸った。


「戻してくれ。十二年前に」


ポテトは、にっこりと笑った。


「承知しました!」


そして。


「それでは、永井サトルさん」


その小さな前足を、俺に向かって差し出した。


「人生二周目、始めちゃいましょうか!」


「……え、今すぐ?」


「はい!」


「いや待て! 心の準備が!」


「いってらっしゃーい!」


「ちょっ、おま――!」


視界が真っ白になった。


体が浮くような感覚。


耳鳴り。


何かに引っ張られるような、奇妙な感覚が全身を包む。


そして、意識が途切れる直前。


あの生意気なうさぎの声が聞こえた。


『今度こそ、間違えないでくださいね』


……今度こそ?


その言葉の意味を考える暇もなく。


俺の意識は、暗闇に沈んだ。


*


「……い」


誰かの声がする。


「……おい」


うるさいな。


「サトル! おい、起きろって!」


「……んあ?」


顔を上げた。


目の前に、見覚えのある男がいた。


短い髪。


人懐っこい顔。


そして、どこか腹の立つニヤニヤ笑い。


「お前さ、どんだけ寝てんだよ」


「……タクミ?」


花崎タクミ。


高校時代の、親友。


「は? 何寝ぼけてんだよ」


俺は周囲を見回した。


黒板。


木製の机。


窓から差し込む春の日差し。


廊下から聞こえる、騒がしい話し声。


「…………」


心臓が、どくんと跳ねた。


「……マジかよ」


制服の袖を見下ろす。


自分の手を握って、開く。


見慣れていたはずの二十九歳の手とは、どこか違う。


「おいサトル、大丈夫か?」


タクミが怪訝そうに俺を覗き込む。


俺は震える声で尋ねた。


「……なあ、タクミ」


「ん?」


「今って……何年?」


「は?」


タクミは一瞬ぽかんとしたあと、大笑いした。


「お前、寝すぎて頭おかしくなったんじゃねえの?」


その笑い声を聞きながら。


俺は、机の上に置かれたノートに目を落とした。


そこに書かれた日付を見て、息が止まる。


十二年前。


高校二年生の春。


本当に。


戻ってきてしまった。


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