第七話:うさぎと仕組まれた玲央のお見合い
「――玲央、今夜は空けておけ。大事な先客との会食がある」
朝の御堂家。静謐を通り越して、冷気すら感じるダイニングルーム。
父・厳一郎は、新聞から目を離すことなく、事務的な報告でもするかのように告げた。
玲央は無言でコーヒーカップを置き、父の横顔を見つめる。
そこにあるのは、血の繋がった息子への慈しみではなく、完成間近の製品を検品するような冷徹な眼差しだ。
「何の会食ですか。明日は重要な模試の結果が出ますが」
「模試などという数字遊びの話はしていない。御堂の未来に直結する『商談』だ。お前はただ、そこに座って『御堂の跡継ぎ』としての価値を証明すればいい。白鳥家を納得させるだけのな」
父の言葉には、玲央の意志が介在する余地など一ミリもなかった。
「……承知しました」
玲央は短く答え、パンを一口も口にすることなく席を立った。
◇◇◇
その日の蒼成学園。
玲央は授業中、一度もペンを握ることなく、窓の外に広がる曇天を眺めていた。
頭の中を支配しているのは、朝の父の言葉。
そして、カバンの中に忍ばせた、うさぎが落とした「スーパーの特売チラシ」の感触だ。
(……商談、か)
玲央は自嘲気味に息を吐く。
これから向かう先にあるのは、冷え切った贅を尽くした空間。
そこには、あの「二十円引き」のシールに一喜一憂し、必死に家計を守ろうとする、あの少女のような「生きた体温」など、ひとかけらも存在しないことを彼は知っていた。
「……御堂君。今日は一段と、魂がエクトプラズムのように抜けておりますわよ?」
休み時間。廊下ですれ違いうざま、うさぎが心配そうに覗き込んできた。
いつもの完璧な「お嬢様スマイル」を貼り付けてはいるが、その瞳は隠しきれない不安で揺れている。
「……別に。昨日、妙な変装をした不審者に付きまとわれたせいで、少し寝不足なだけだ」
「ぶっ……! げ、げふん! ど、どこのどなたか存じませんが、きっとその方も……なにか、国家予算を左右するような、深い事情があったんですのよ!」
うさぎは顔を真っ赤にして、泳ぐ視線を必死に明後日の方向へと向かわせる。
嘘をつく時にピクリと動く左の眉。
それを見た瞬間、玲央の胸に溜まっていた重苦しい《《澱》》が、ほんの少しだけ軽くなった。
(……お前は、今日も一生懸命だな。嘘をつくことにさえ、全力で)
だが、その直後、朝の父の言葉が呪縛のように蘇る。
『御堂の価値を証明しろ』
玲央はうさぎから視線を逸らし、何かを言いかけた唇を噛んで、何も言わずにその場を立ち去った。
その背中は、うさぎの目にはいつになく小さく、孤独に見えた。
◇◇◇
数時間後。都内最高級ホテルの最上階。
夜景を切り取ったような巨大なガラス窓が、贅を尽くしたプライベートダイニングを囲んでいる。
父に連れられて足を踏み入れた玲央の目に飛び込んってきたのは、重厚な円卓を囲む、もう一組の親子だった。
「白鳥家が一人娘、白鳥麗華と申します。御堂代表、お待ちしておりましたわ。……そして玲央様。お初にお目にかかります」
凛とした声とともに、完璧な角度で一礼する少女。
そこには白鳥財閥の当主。
そしてその隣で、非の打ち所のない気品を纏い、まるでスポットライトを浴びる《《プリマドンナ》》のように輝く美少女――白鳥麗華がいた。
「玲央。……こちらが白鳥麗華様だ。白鳥代表とも話しているが、両家にとってこれ以上ない良縁となるだろう」
父の言葉が鼓膜を叩いた瞬間、玲央の全身に戦慄が走った。
良縁。商談。価値の証明。
バラバラだったパズルのピースが、最悪の形で組み合わさる。
(……お見合い!? 嘘だろ……。これがお前の言っていた『商談』かよ!?)
玲央は、目の前の麗華を、そして隣で平然としている父親を、激しい怒りとともに凝視した。
自分の人生、自分の感情、 exterior(外側)の評価、そして昨日うさぎとの間に流れたかすかな温もりさえも。
すべては父という支配者の手のひらの上で転がされていたのだ。
(親父……ハメやがったな……!!)
声にならない絶叫が、玲央の胸の内で激しく渦巻く。
麗華は余裕の微笑みを崩さず、玲央に向けて吸い込まれるような、それでいてすべてを見透かすような視線を向けた。
「玲央様。……わたくしに相応しい|殿方《non-translatable》は、この世界で貴方様だけ。……今日という日を、確信を持って心待ちにしておりましたのよ?」
その声は鈴を転がすように美しく、そして残酷なまでに「正解」だった。
玲央には、その微笑みが、自分を閉じ込める新しい《《黄金の檻》》の扉が閉まる音のように聞こえた。
(第七話 完)




