第六話「うさぎと孤独な狼の檻」
「ふふ、最新のトレンドは常にチェックしておりますの。……お嬢様の嗜好も、時代と共にアップデートが必要ですから」
蒼成学園の休み時間。うさぎは教室の自席で、優雅な手つきでスマホを操作していた。
その視線の先にあるのは、流行のブランドサイト……ではなく、スーパー『アポロ』の公式LIMEから届いた「夕方四時、卵一パック九十八円(先着百名様)」という血湧き肉躍るタイムセール通知だ。
「うさぎ、何見てるんですの? 画面をスワイプする速度が尋常ではありませんわよ」
親友のくるみと奈緒が、最新スイーツ雑誌を手にやってきた。
うさぎはコンマ一秒の速さで画面を伏せ、完璧なお嬢様スマイルを貼り付ける。
「ええ、もちろんです! わたくし、先ほどまで《《流動性の高い市場価値の変動》》をリアルタイムで監視しておりましたの。……この輝き、一瞬でも見逃すわけには参りませんから」
「かっこいい……! さすがうさぎ、経済の動きにも敏感なんですのね!」
感心して去っていく二人を見送り、うさぎは小さく安堵の溜息をつく。しかし。
「……『キャベツ一玉九十八円』。すごい市場価値だな、白姫。お前の『監視』、今日も絶好調じゃないか」
「……っ!?」
背後から降ってきた冷ややかな声に、うさぎの肩が跳ね上がった。
振り返ると、そこにはいつの間にか席を立っていた玲央が、面白そうに目を細めて立っていた。
「み、御堂君! 殿方がレディの通信端末を覗き見るなんて、マナー違反です!」
「覗くつもりはなかったよ。……ただ、お前の指の動きが必死すぎて、ついな」
玲央はそれだけ言うと、ふっと息を吐いて教室を出ていった。
その表情には、昨日あの屋敷で見せたような「死んだ魚の目」の面影は微塵もなかった。
◇◇◇
その日の放課後。動揺を引きずっていたうさぎは、廊下でクラスメイトとぶつかり、カバンの中身を盛大にぶちまけてしまった。
「ああっ……! ご、ごめんなさい!」
慌てて拾い集めようとしたうさぎの指が、凍りつく。
床に散らばったのは、赤ペンで「鶏肉・底値」と大きく囲ったスーパーのチラシ、表紙に『生活防衛』と書かれたボロボロの家計簿、あるいは隼斗が勝手に忍ばせたのであろう、ページが折れ曲がった少女漫画。
(終わった……。今度こそ、学園でのわたくしは死んだわ……)
絶望するうさぎの前で、誰かがそのチラシを無造作に拾い上げた。
「これ、白姫さんの? ……『今晩のおかず:ちくわの磯辺揚げ』って、思い切り赤ペンで書いてあるけど」
顔を上げると、そこにはまたしても玲央がいた。
彼はチラシと家計簿をパラパラと眺め、うさぎの手にそっと戻した。
「そ、そ、それは! わたくしが個人的に支援している慈善団体の、献立表です! 決して、わたくしの家のご飯ではありません!」
「……ふふっ。嘘つく時、左の眉が動くんだね。面白いな、君」
「なっ……!?」
初めて向けられた、年相応の悪戯っぽい笑み。
玲央はうさぎの混乱を置き去りにしたまま、軽く手を挙げて歩き去った。
◇◇◇
夕暮れの公園。
特売のネギが袋から大胆にはみ出した「主婦モード」のうさぎは、そこで意外な光景を目にした。
ベンチに座る玲央の隣で、隼斗と小花が楽しそうに笑っている。
見れば、小花が膝を擦りむいており、玲央が手際よく絆創膏を貼ってやっているところだった。
「あ、お姉ちゃん! 遅いよー!」
「お兄ちゃん、とっても優しかったんだよ!」
駆け寄ってくる弟妹を制し、うさぎは戸惑いながら玲央の前に立った。
「……御堂君。また……助けてもらったみたいで」
玲央は立ち上がると、うさぎの提げたパンパンの買い物袋と、その不格好なジャージ姿を真っ直ぐに見つめた。
「……やっと来たか。お前が来ないと、この子たちが『最強の姉ちゃんのカレーを食わせるまで帰さない』ってうるさくてな」
「……っ。な、何を……」
恥ずかしさで顔を赤くするうさぎに、玲央は静かに、しかし確かな声で告げた。
「……白姫さん。その格好、学校のよりずっといいじゃん。……お前は、《《本物》》だな」
最も隠したかった泥臭い姿を、「いいじゃん」と肯定された。
玲央の瞳には、昨日の「檻」の中では決して見せなかった、穏やかな光が宿っていた。
「……何よ、あいつ。……調子が狂います!」
玲央が去った後、うさぎは真っ赤な顔で弟妹の手を強く引いた。
胸の奥が、夕焼けよりも熱い。
手の中の買い物袋には、クーポンで勝ち取った節約食材と、それ以上の「何か」が詰まっているような気がした。
(第六話 完)




