第五話「うさぎのお姫様な探偵ごっこ」
「やられる前にやる……。これこそが、戦国を生き抜いた(自称)白姫家の鉄則です!」
蒼成学園の屋上、うさぎは眼下の校門を鋭い眼光で見下ろしていた。
先日の「玄関先での最悪の対面」以来、うさぎの精神は限界に達していた。御堂玲央。あの男がいつ、自分の「主婦モード」を学園中に触れ回るか分からない。
「弱みを握られたままではいられません! あちらがナイフを持っているなら、わたくしは《《ミサイルの発射ボタン》》を手に入れるまでです!」
うさぎの言う「ミサイルの発射ボタン」とは、すなわち玲央の弱みのこと。
放課後、彼女は学園近くのコンビニへ立ち寄り、おばあちゃんの古いドラマライブラリーで予習した「尾行の三種の神器」を調達した。
◇◇◇
「ふっふっふっ……完璧です」
路地裏の鏡で自分を確認し、うさぎは満足げに頷いた。
大きなサングラスに、顔の半分を覆う白いマスク。怪しさ満点だが、本人は「都会に溶け込む隠密スタイル」だと信じて疑わない。
その手には、コンビニの袋。
中には「二十円引き」の黄色いシールが誇らしげに貼られたあんパン。そしてもう一つは、牛乳パックだ。
牛乳については、うさぎに譲れない一線があった。
棚の奥まで手を伸ばし、《《最も消費期限が遠いもの》》を厳選。
「安ければいいというものではありません! お腹を壊して家事に支障をきたすなど、主婦失格です!」
という、プロの危機管理である。
「ターゲット確認。……追跡を開始します!」
校門を出た玲央の背中を、うさぎは一定の距離を保って追う。
電柱の陰に隠れ、これみよがしにあんパンをかじり、牛乳をストローで啜る。
時折、玲央が足を止めると、うさぎは慌てて電柱と一体化し、険しい表情で斜め上を凝視して「張り込み中の刑事」を演じた。
しかし、玲央が辿り着いた場所を見た瞬間、うさぎのストローを吸う口が止まった。
そこは、高級住宅街の中でも異様な威圧感を放つ、巨大な石壁に囲まれた屋敷――御堂財閥の本邸。
門を開けた玲央を迎えたのは、父親ではなく、非の打ち所のない礼法で頭を下げる《《老執事》》だった。
「お帰りなさいませ、玲央様。……旦那様が、奥の書斎でお待ちです」
玲央の背中が、わずかに強張るのをうさぎは見逃さなかった。
うさぎは庭の木陰に身を潜め、屋敷の奥、重厚な扉の向こう側から漏れ聞こえる冷徹な声に耳を澄ませた。
◇◇◇
「今日の模試の結果を見た。……二位だと?」
書斎の主、玲央の父の声は、血の通った人間のものとは思えないほど冷たかった。
「御堂の跡継ぎが、庶民と同じ地を這うような真似は許さん。……次はないと思え。お前は御堂というブランドを維持するための《《部品》》であることを忘れるな」
「…………申し訳ありません」
玲央の瞳から、学園で見せるあの鋭い光が消えていた。
そこにあるのは、感情を一切拒絶し、ただ命じられるままに動く「檻の中の狼」の、空虚な色だった。
(なに……あの家。氷河期でも来てるんですか……?)
うさぎの胸に、ちくりとした痛みが走る。
自分が必死に守っている「家族の温かさ」とは真逆の、冷え切った檻。
衝撃のあまり、うさぎが手に持った牛乳パックを強く握りしめた、その時だった。
「……その、値下げシールのあんパン。うまいか?」
「ふぐぇっ!?」
聞き慣れた低い声が、すぐ真後ろから降ってきた。
驚きすぎて、うさぎの口からストローが飛び出す。
振り返ると、いつの間にか屋敷を抜け出した玲央が、幽霊のように立っていた。
「あ、あ、あら! 御堂君! 奇遇です! わたくし、丁度このあたりに支援している慈善団体がありまして……! その、炊き出し用の試食品の味を、自ら確かめていたところでして!」
(値札まで見られていましたかぁぁぁ!!)
玲央はうさぎの苦し紛れの嘘を鼻で笑うこともなく、静かに自分の家を見上げた。
「お前も偽物なんだな。……それとも、あの中にいる連中が偽物で、消費期限にこだわってあんパン食ってるお前の方が、本物なのか?」
玲央の問いかけには、いつもの皮肉ではなく、自分自身への嫌悪が混じっているように聞こえた。
サングラスの奥で、うさぎは言葉を失った。
目の前の「王子様」が抱えている孤独の深さは、彼女が用意したどんな言い訳よりも重く、冷たかった。
(第五話 完)




