第四話「うさぎと白姫家のご馳走」
「御堂……君……っ!? なんで……なんでここが……っ!」
うさぎの顔からは、今度こそ完全に血の気が引いていた。
雨に濡れて玄関先に立つ玲央の瞳には、今の自分の姿が鮮明に映っているはずだ。
学校指定のスカートの下から、膝の抜けたグレーのジャージが覗く不格好な「主婦モード」。
鼻の頭は赤く、髪はボサボサ。おまけに、鼻水を止めるために口に咥えていたティッシュが、間抜けにペラりと揺れている。
(終わった。今度こそ、あたしの人生は幕を閉じたわ……!)
絶望に打ちひしがれるうさぎの前で、玲央は相変わらずの無表情を崩さなかった。
「どうした、そんな顔して。幽霊でも見たような顔だな」
「な、ななな……何しに来たのよ……!」
「拾ったんだよ、これ。階段でぶつかった時に、落ちただろ」
玲央が差し出したのは、探し求めていた《《銀のコンパクト》》。
雨粒を弾いて鈍く光るその姿を見て、うさぎの目から思わず涙が溢れそうになった。
「あ……ああ、あたしの……! 探してたのよ、これ……っ!」
「大事なものなんだろ。……おばあちゃんから、って書いてあったしな」
玲央はうさぎの手にそっとコンパクトを握らせると、ふう、と小さく息を吐いた。
「……わざわざ届けに来てくれたの……?」
「……まあ、気になったからな」
その時、玄関の奥から元気な声が響いた。
「お姉ちゃーん、誰か来たのー?」
「あ、隼斗! 小花! 来ちゃダメ……っ!」
うさぎの制止も虚しく、まだ幼い弟と妹がパタパタと駆け寄ってくる。
二人は、玄関に立つ見知らぬ「美形な男子」を、じーっと品定めするように見つめた。
「……何、お姉ちゃんの彼氏?」
「隼斗、バカ! 彼氏なわけないでしょ、ただのクラスメイトよ!」
「ふーん。でも、お姉ちゃんがこんなに慌てるなんて、やっと春が来たのかと思ったよ」
「小花まで……っ! 黙りなさい!」
あわてふためくうさぎに対し、玲央は幼い二人と同じ目線に合わせるように腰を落とすと、少しだけ口角を上げた。
「……そうだな。俺も学校でこんな『お姉さん』は見たことがない。別の人かと思ったよ」
「うぐっ……!」
玲央の言葉が、うさぎの胸にグサリと刺さる。
「それじゃ。……返したから、俺は行くよ」
玲央が踵を返し、ドアを開けた。その瞬間――。
ザーーーッ!!
バケツをひっくり返したような豪雨が、叩きつけるように降り始めた。
「…………」
玲央が絶句し、足を止める。
「あら……やっぱり降ってきたわね」
うさぎは冷静に空を見上げた。主婦としての気象予報能力は正確だった。
「……これ、すぐには止みそうにないな」
玲央が困ったように呟いた、その時だった。
ぐぅぅぅぅぅ~~~っ。
玄関に、玲央のお腹の音が盛大に鳴り響いた。
沈黙。
玲央はかつてないほど気まずそうな顔で、あらぬ方向を向いた。
「……ここ、探してて……食い損ねたんだよ」
「……」
うさぎは腕を組み、目の前の「命の恩人(兼・秘密の目撃者)」を見つめた。
学校で見せるスカした態度とは裏腹に、雨に濡れ、お腹を鳴らす彼は、どこか捨てられた犬のようにも見えた。
(……仕方ないわね。恩人をこのまま雨の中に放り出すなんて、お姫様の……ううん、白姫家の名が廃るわ!)
「御堂君。……ちょうど今、夕食ができたところよ。食べていきなさい」
「えっ、いや、家族団らんだろ。悪いよ」
「いいから! 人の好意は素真面目に受けるものよ。……ほら、入った入った!」
うさぎは玲央の背中を強引に押し、ズルズルと家の奥へと引きずっていった。
◇◇◇
「さーてと。改めまして……」
「「「いただきまーす!!」」」
白姫家の食卓に、四人の声が揃った。
並んでいるのは、うさぎが先ほどのスーパーで勝ち取った(そして玲央に拾われた)鶏肉で作った特製カレー。
ジャガイモと玉ねぎがゴロゴロ入り、愛情という名の「安売りへの執念」がたっぷり詰まった一皿だ。
「わーーっ! やっぱりお姉ちゃんのカレーは最高だよ!」
「給食なんて目じゃないね!」
隼斗と小花が、競うようにスプーンを動かす。
玲央は、目の前の光景を不思議そうに見つめていた。
心の底から姉を慕い、出された料理を世界一の馳走のように食べる子供たち。
そして、エプロン姿で「ほら、野菜も食べなきゃダメよ」と甲斐甲斐しく世話を焼く、クラスメイトの少女。
玲央は一口、カレーを口に運んだ。
「……うまいな」
「……当たり前でしょ。あたし、料理だけは自信あるんだから」
「……愛情がこもってる味がする。……うちでは、こんな料理、食べたことないな」
うさぎは一瞬、手を止めた。
彼の横顔に、一瞬だけ見えた孤独。それは、学園の誰も知らない「御堂玲央」の断片だった。
「ねーねー、お兄ちゃん。本当にお姉ちゃんとは何でもないの?」
隼斗がまた余計なことを聞く。
「ああ。あえて言うなら、クラスメイト……かな」
「なんだ、つまんないの。お兄ちゃんカッコいいから、お姉ちゃんにもやっと王子様が来たと思ったのに」
「こら、隼斗! お兄ちゃんを困らせないの!」
うさぎは顔を真っ赤にして叫んだが、玲央はふっと笑った。
学校で見せる冷徹な笑みではなく、等身大の、普通の高校生の笑顔だった。
「お姫様か……。……悪くないかもな、こういうのも」
「……御堂君。さっきのスーパーのこと、あと今の姿のこと……学校では、言わないでくれるわよね?」
うさぎは祈るような気持ちで尋ねた。
玲央は、手元にある空っぽになったカレー皿を見つめ、それからうさぎを真っ直ぐに見つめた。
「……言わないよ。こんなに一生懸命な『お姫様』のこと、誰かに教えるのはもったいない」
「……っ!」
うさぎの頬が、カレーの熱さとは別の理由で熱くなる。
◇◇◇
雨はいつの間にか上がり、窓の外には澄んだ夜空が広がっていた。
玄関で見送るうさぎに、玲央は軽く手を挙げた。
「じゃな、白姫。……また明日、学校で」
「ええ……。また明日」
玲央の背中が見えなくなるまで、うさぎはずっとその場に立ち尽くしていた。
手の中には、おばあちゃんの鏡。
そこに映る今の自分は、確かにお姫様ではないかもしれないけれど――。
(……あいつ、意外といい奴かもね。……なんて、思わないんだから! ぐふふ、いつか絶対惚れさせてやるんだから!)
白姫うさぎの「腹黒い」日常は、ここから加速していく。
(第四話 完)




