表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/13

第三話「うさぎと黄昏のスーパー大戦」


「ちょっとそこ退いて!」


「隙ありッ!」


夕暮れ時のスーパー「アポロ」。

タイムセールの開始を告げるベルの音は、うさぎにとって《《聖戦》》の火蓋だった。


校門を出た瞬間にブレザーのボタンを外し、袖をまくり上げ、お姫様の仮面を脱ぎ捨てた彼女は、今や一介の「戦士」と化していた。


標的はただ一つ、ワゴンの中に鎮座(ちんざ)する「半額シール」の貼られた鶏肉パックだ。


(これさえ……これさえ手に入れば、今夜は予算内で豪華なカレーが作れる……!)


周囲はベテラン主婦たちの怒号と熱気が渦巻く阿修羅場(あしゅらば)

うさぎは人混みのわずかな隙間を突き、獲物を狙う鷹のようにワゴンへダイブした。


しかし、執念で最後の一パックに指をかけたその瞬間、背後から突き飛ばされた主婦の圧力に耐えきれず、うさぎの体は大きくよろめいた。


「あだっ……!」


掴んでいたはずのパックが手から滑り落ち、タイルの床を無情に滑っていく。

あぁ、あたしの、白姫家の今夜のメインディッシュが!


パックが止まったのは、喧騒から少し離れた場所に立つ、一人の男子生徒の足元だった。

泥一つつかない清潔なスニーカーの前で、無様に裏返って転がる鶏肉。


うさぎが這いつくばったまま、恐る恐る顔を上げると――。


そこには、エコバッグを片手に、死ぬほど冷ややかな目で自分を見下ろしている御堂玲央がいた。


「……何やってんだ、お前」


「な、なっ……!? み、御堂、君……っ?」


玲央は溜息をつくと、足元に転がった肉をひょいと拾い上げ、呆然としているうさぎに差し出した。


「ほらよ。……必死だな、白姫」


その一言が、うさぎの心に鋭いナイフのように突き刺さる。

ボサボサに乱れた前髪、膝についた埃、臨戦態勢剥き出しの今の無様な姿。


(見られた! よりによって、あいつに! 終わった、あたしの学園生活、完全に終わったわ……!)


うさぎは奪い取るように肉をひったくると、真っ赤な顔のままレジへ突進した。

パニックになりながらも、しっかり「半額」であることを確認して会計を済ませるあたりが、彼女の腹黒いまでの現実主義だった。


そのまま玲央が声をかける間もなく、脱兎のごとくスーパーを飛び出した。


◇◇◇


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


息を切らして玄関を開け、リビングへ転がり込む。


「あ、お姉ちゃんだ! おかえりー!」

「お姉ちゃん、変な顔ー!」


隼斗と小花が駆け寄ってくるが、今のうさぎには返す言葉もない。


(明日、どんな顔して学校に行けばいいのよ……『鶏肉おばさん』とかあだ名をつけられたらどうしよう……!)


震える手で、乱れた前髪を直そうと制服の内ポケットに手を入れた、その時だった。


「……ない」


いつもそこにあるはずの、銀の冷たい感触がない。

おばあちゃんの形見、銀のコンパクト。


「嘘……嘘でしょ……?」


スーパーでの《《社会的死》》に続き、唯一の心の拠り所まで失った。

うさぎは力なく床に膝をつくと、なりふり構わずリビングを這いずり回り始めた。


「どこ!? どこにあるのよぉ!」


制服のスカートを床に擦りつけ、四つん這いになってソファの下に顔を突っ込む。

埃を被るのも構わず、お尻を突き出してベッドの隙間をまさぐり、さらに脱ぎ捨てたストッキングを裏返し、ゴミ箱の中までひっくり返す。


(あれは、おばあちゃんが『どんな時でも自分を失わないように』ってくれた、あたしの魔法の道具なのに……!)


涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、一心不乱に床を這う姉の姿を、隼斗と小花は引き気味に、呆然と見つめていた。


「お姉ちゃん……なんか、すごい格好になってるよ? お尻、丸見えだよ?」


「……うるさいわね! 鏡よ! あたしの鏡がないのよ!」


結局、鏡は見つからなかった。

絶望の淵に沈みながらも、弟妹の「お腹すいた」攻撃に抗えず、うさぎはよろよろと台所へ立った。


◇◇◇


制服のスカートの下にジャージを履き込み、裾をたくし上げた「主婦モード(リアル)」。

髪はほどけかけ、適当な輪ゴムで一束にまとめただけのボサボサ頭だ。


鼻を真っ赤にして、涙を拭ったティッシュを口に咥えたまま、魂の抜けた手つきで玉ねぎを刻む。


(鏡もなくて、あいつにも見られて……もう、いい大学とか玉の輿とか、全部どうでもいいわ……)


包丁の音だけが、虚しく響く。

それは学園の「お姫様」とは一ミリも重ならない、あまりにも泥臭く、必死な「生活者」の姿だった。


「二人とも……できたわよ……」


死んだ魚のような目で、食卓にカレーを並べる。


「わーい! カレーだ! お姉ちゃん、今日のはお肉がいっぱいだね!」


「……しっかり食べなさい。……お姉ちゃん、明日からしばらく、旅に出るから」


「どこに?」


「……誰もあたしを知らない、遠いエデンへ……」


スプーンを口に運ぶ気力もなく、うさぎが机に突っ伏した、その時だった。


――ピンポーン。


「……誰よ、こんな夜に。……はい、ただいまぁ……」


半分幽霊のような足取りで、うさぎが玄関のドアを開ける。


そこには、自分を地獄に突き落とした「狼」が、今度は鏡を手に立っていたのだ。



(第三話 完)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ