第14話「うさぎの不安と消えた仕送り」
両親が海外転勤となって、あたしが『ハミング・デリ』で働くようになってから、早くも数ヶ月が経っていた。
平穏な(フリをしていた)高校二年生の終わりも過ぎ、季節は巡って三年生。
相変わらず学園では「白姫さま」としてお姫様モードを崩さず、放課後はエプロンを締めてハミング・デリで汗を流す二重生活。
あの御堂玲央にバイト先を突き止められるという心臓に悪いハプニングはあったものの、なんとか綱渡りの日常を保っていた。
――はずだった。
「あれ……? おかしいな」
自室の机の上、通帳を握りしめたまま、あたしは首を傾げた。
スマートフォンのバンキングアプリの画面を何度更新しても、数字はピクリとも動かない。
「今月の生活費……まだ振り込まれてない」
冷たい汗が、すっと背筋を伝っていく。
思えば、ここ数ヶ月ずっとそうだった。
毎月決まった日に届くはずの生活費が、三日遅れ、一週間遅れ、だんだんと遅れ気味になっていたのだ。
そのたびに結衣さんに頭を下げてハミング・デリのシフトを増やしてもらい、なんとか食い繋いできたけれど……。
(『うさぎ。あんたの親、本当に大丈夫なの? 海外で何かトラブルにでも巻き込まれてんじゃないの?』)
シフト表を見ながら、怪訝そうに眉をひそめていた結衣さんの顔が脳裏をよぎる。
「最近いつも遅かったけれど、ここまで遅れたことなんてなかったよね……」
残高の数字を睨みつける。
これじゃ、今月あたしが稼いだバイト代を全額突っ込んでも、弟妹の給食費や光熱費を払ったら一銭も残らない。
隼斗と小花に、ひもじい思いをさせるわけにはいかないのに。
「まさか、お父さんとお母さんに何かあったんじゃ……!?」
心臓の鼓動が早鐘を打つ。
と、とにかく電話だ。確かめなきゃ。
緊急時以外は国際電話料金が高くつくから絶対に掛けるなと、両親からきつく言い含められていた衛星携帯の番号。
背に腹は代えられない。震える指先で発信ボタンを押した。
『トゥルルルル……トゥルルルル……』
コール音がやけに耳に障る。
早く出て、お願いだから……!
『カチッ』
「あっ、お父さん!? お母さ――」
『――ただいまおかけになった電話番号は、お客様のご都合により契約解除となっております』
無機質な機械の音声が、鼓膜を容赦なく切り裂いた。
「…………っ!?」
画面を見る。間違いなくいつもの番号だ。
契約解除……? お客様のご都合……?
血の気がサーッと引いていくのが自分でも分かった。
「そ、そんな、まさか! うそでしょ!?」
手がカタカタと震えて止まらない。
落ち着け、落ち着くのよ、うさぎ! きっと何かやむを得ない事情があるのよ!
電波が届かないとか、支払いの手違いとか、そういうやつに決まってる!
「そ、そうだ……! お父さんたちの会社に電話してみればいいんだわ!」
あたしは隣町にある両親の勤務先、『凸凹興産』本社の代表番号へと急いで発信した。
お願い、誰でもいいから出て……!
『トゥルルルル……カチッ』
「あっ、もしもし! 凸凹興産さんですか!?」
『――ただいまおかけになった電話番号は、お客様のご都合により契約解除となっております』
「…………っ!!」
目の前が真っ白になった。
スマホを取り落としそうになるのを、必死に指に力を込めて食い止める。
うそよ。
そんなはず、ない。
だって、あんなに真面目なお父さんとお母さんが……!
「……会社に行かなきゃ」
考えるより先に足が動いていた。
とにかくこの目で確かめないと、何も信じられない。
あたしは震える手で、バイト先であるハミング・デリの番号をタップした。
『はい、ハミング・デリ』
受話器の向こうから、聞き慣れた結衣さんのハスキーな声が響く。
「あっ、結衣さん! あたしです!」
『どうした、うさぎ? もうすぐシフトの時間だろ』
「すみません! き、緊急で凸凹興産へ行かなきゃいけない用事ができちゃって……! 今日のバイト、少し遅れます! 本当にすみません!」
『はあ!? あんたが遅刻だと? 一体なにが――』
「すみません、失礼しますっ!」
ガチャリ、と一方的に通話を切ってしまう。
店長相手に前代未聞の無礼をしでかしたことすら、今のあたしの頭からは完全に吹き飛んでいた。
(……あいつ、切りやがったな。しかし……凸凹興産だと? まさか……)
通話が切れた受話器を握りしめ、結衣が険しい眼光で呟いたことなど、知る由もなかった。
・・・
幼い頃、両親の忘れ物を届けに何度か訪れたことのある、隣町のビル。
プシューッ!
電車のドアが開いた瞬間、あたしはホームを駆け出していた。
改札を弾かれたように飛び出し、アスファルトを蹴って一目散に向かう。
(きっと何かの間違いよね)
荒くなる呼吸の中、心の中で何百回も同じ言葉を繰り返す。
(そうよ、電話回線の工事中だったとか、そういうオチに決まってるわ!)
目の前の景色が猛スピードで後ろへ流れていく。
商店街を抜け、交差点を渡り、見慣れた路地へ飛び込む。
「そうだ……この角を曲がって、その先にある茶色のビル……そこがお父さんたちの……!」
勢いよく最後の曲がり角を曲がった。
そして――。
「…………っ」
あたしの足は、地面に縫い止められたようにピタリと止まった。
声が、出なかった。
視界に飛び込んできたのは、静まり返った茶色のビル。
そして、そのエントランスのガラス扉一面に、これでもかと言わんばかりに貼り巡らされた――おびただしい数の『赤紙』。
各所からの差し押さえ通知の赤紙が、夕方の風にパタパタと虚しく揺れている。
正面の扉には、役所や管財人の名義で『破産手続開始』と大書された無慈悲な告知書が貼り出されていた。
かつて温かな人の気配に満ちていた会社は、今、完全に死んでいた。
「うそ……でしょ……?」
カサリと乾いた音を立てて、あたしの足元から力が抜けていく。
「それじゃ……お父さんと、お母さんは……?」
呆然と立ち尽くすあたしの背後から、コツコツと杖をつく足音が近づいてきた。
近所に住んでいると思しき、見知らぬ老人が足を止めてビルを見上げている。
「……ん? お嬢ちゃん、この会社の関係者かい?」
「あ、あのっ……! ここで働いていた人たちはどうなったんですか!?」
縋り付くように声を張り上げるあたしに、老人は痛ましげに目を細め、小さく首を横に振った。
「ここの社長は昔から人を疑わないお人好しでなぁ……。なんでも、うまい融資の話に乗せられて莫大な借金を背負わされた挙句、破産しちまったそうじゃ。会社はご覧の通り差し押さえ。経営陣はみんな夜逃げ同然で消えちまったよ」
「そんな……! じゃあ、社員の人たちは……!?」
「さぁてな。給料も未払いのまま、みんな音信不通で行方不明だとよ。……気の毒にのう。真面目で、悪い人たちじゃなかったんじゃが……」
深いため息を残し、老人は夕暮れの街へとゆっくり立ち去っていった。
「そんな……お父さん……お母さん……」
カラン、と鞄が地面に落ちた。
頭の奥で、カチリと何かが崩壊する音がした。
学園で必死に繕ってきた「白姫さま」のプライドも、将来への淡い希望も、すべてが音を立てて吹き飛んでいく。
残されたのは、誰もいない冷え切った家。
そして、何も知らずにあたしの帰りを待っている――まだ幼い隼斗と小花の無邪気な笑顔。
「あたし……あたしたち、これから……どうやって生きていけばいいのよ……ッ!?」
夕陽が赤黒く差し込む廃屋のビルの前で。
白姫うさぎは、愕然と両膝をついて崩れ落ち、ただ一人、涙を流すことしかできなかった。
(第14話「うさぎの不安と消えた仕送り」おわり / 第15話へ続く)
メインヒロインの白姫うさぎが歌う、の第14話挿入歌です
『赤紙の黄昏とゼロの残高』
架空アニメ 「うさぎと狼」 第14話 挿入歌
歌:白姫 うさぎ
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