第15話「うさぎと結衣と女の覚悟」
日はすっかり沈んでいた。
両親が勤めていた凸凹興産の倒産と、社長以下社員全員の行方不明……。
それは、あたしの心をへし折るのには十分すぎる現実だった。
「これからどうしよう……」
家で、あたしの帰りを待っている隼斗と小花の笑顔が頭に思い浮かぶ。
あたしは何かにすがるように、重い足取りで『ハミング・デリ』に向かっていた。
そういえば今日はバイトのシフトの日だった。
今はそんな大事なことすら頭から抜け落ち、気付いた時には店の前に立ち尽くしていた。
すでにお店は閉店後で、奥から漏れる明かりがガラス越しにわずかに揺れているだけだった。
ポケットから合鍵を出そうとしても手が震えて、鍵穴にうまく入らない。
カチャカチャと情けない音を立てて、ようやく鍵を開けて店のドアを押した。
カランカランカラン。
従業員用の鍵で店のドアを開けると、結衣さんと湊さんが弾かれたように駆け寄ってきた。
「うさぎ!」
「お前、連絡もなしに今日はいったいどこ行ってたんだよ!」
「…………」
「うさぎ……?」
「結衣さん、湊さん……」
「うさぎ!」
「お父さんとお母さんの会社が……」
「!」
「お父さんもお母さんも、行方不明で……」
「…………」
「電話も止まってて……隼斗と小花が、お腹を空かせて家で待ってるのに……あたし、今月の食費だってもう……」
「…………」
「あたし……あたしたち、これからどうすればいいの……? あたし……あたし……っ」
「うさぎ……」
「うっ、うわあああああああああああああん!」
張り詰めていた糸が完全に切れて、あたしはその場に両膝をついて泣き崩れてしまった。
「大丈夫、大丈夫だから。おれたちがついている」
湊さんが慌てて駆け寄り、背中に手を添えて必死に慰めてくれる。
一方の結衣さんは、目の前で泣き崩れるあたしの姿を見つめながら、わなわなと奥歯を噛み締めていた。
(あの馬鹿ども、自分の娘に……子供たちに一体どんな思いをさせてるのよ……!)
結衣さんは深呼吸をひとつすると、湊に言った。
「湊、店じまいしときな」
「え? あ、おい姉さん——」
「うさぎ。今日の無断遅刻については不問にしてやる。……ちょっと、あたしについて来い」
結衣さんはあたしを奥の店長室へ入れると、机の上の帳簿をパタンと閉じた。
そして、ティッシュの箱を差し出しながら、静かに言った。
「……涙を拭きなさい。せっかくのかわいい顔が台無しだわ」
差し出されたティッシュで顔を覆うあたしを、結衣さんは真っ直ぐに見据える。
「……いい、うさぎ。あなたの両親がどうなったか、会社がどうなったか、そんなのあたしには関係ないわ。でも、あなたが今、自分の他に隼斗と小花を食べさせていかなければならない。それだけは紛れもない事実よ」
「……わかってます。でも、あたし……どうすれば……」
「泣いてる暇なんてないのよ」
結衣さんは一歩踏み込み、あたしの両肩を痛いほど強く掴んだ。
「学校? 委員会? 恋? そんなものは全部、生活に余裕がある人達のすること。今のあなたにそういったものは優先できることじゃないわ」
「…………っ!」
「同情で飯を食わせる気はない。あたしが欲しいのは即戦力よ。時給計算は終わり。今日から正社員扱いで給料を払う。その代わり、あなたの時間と体力は全部うちが買い取る。……【女だろ、覚悟を決めな】。」
結衣さんの厳しい、けれど真っ直ぐな眼差し。
それが、あたしの胸の奥を激しく貫いた。
あたしは袖で乱暴に涙を拭った。
「……はいっ!!」
「声が小さい」
「やります!! あたしが稼ぎます!!」
結衣さんはふっと息を吐き、机の前に腰を下ろして、静かに腕を組んだ。
「……勘違いしないで。あたしはあなたを中卒で終わらせるつもりはないわ。高校は、死ぬ気で卒業しなさい。それからもっと先、夜間でも何でも大学に行きたいって言うなら、その時はシフトを最大限配慮してあげる。……わたしはあなたの将来までは買い取らない。それはあなたが、自分で守り抜くものなのよ」
「……っ、ありがとうございます……っ」
「その代わり、言った通り学業以外の時間は全部あたしが買い取る。あなたが店に出て働いている間、あの子たちを家に一人にさせない。……あの子たちを昼間は店の従業員室にいさせなさい。昼飯はあなたと同様、うちの賄いをお腹いっぱい食べさせる。これは店長命令よ」
「……はい……!!」
「それから、今のアパートの家賃なんてもう払えないでしょう。……今日から三人まとめて、うちに来なさい」
「えっ……!?」
「外出時以外は、あの子たちはあなたの目の届く範囲にいさせるわ。お昼は賄い、そして夜はあなた共々、うちであたしや湊と一緒に夕食を食べさせる。それで、あなたも安心できるだろうし、まだ小さい二人にとっての不安要素もなくなるはずよ。あの子たちの学校もこちらの小学校へ転校させる。手続きは全部あたしがやってあげる。なに、心配するな、あの二人ならすぐにこちらに慣れて友達もできるはず。それに、うちにいればあなたが弟妹の様子を見に往復する手間も省けるし、あなたも安心してうち(店)で働ける。うちのエースに安心して実力以上のものを発揮してもらう、こっちにもメリットがあるんだから、遠慮なんて無用よ」
保護者としての単なる義務感なんかじゃない。
本気であたしたちの命を、生活を案じてくれているからこその言葉だと痛いほど伝わってきた。
「結衣さん……っ、うっ、うわあああああああああん!」
店長室のドアの隙間から覗いていた湊さんも、腕を組みながらうんうんと力強く頷いている。
あたしは結衣さんと湊さんの人の温かさに包まれて、再び涙が止まらなくなっていた。
◇◇◇
その夜のうちに荷物をまとめ、ハミング・デリのすぐ隣にある結衣さんの家へと移り住むことになった。
惣菜店を繁盛させているやり手社長の住まいだけあって、新築の匂いがまだ微かに残る、立派な二階建ての一軒家。
薄暗くて狭いアパートで寄り添うように暮らしていた隼斗と小花は、結衣さんが用意してくれた真新しい部屋に足を踏み入れた瞬間、目を真ん丸にして歓声を上げた。
「……すげーっ! 自分の机がある!」
「ふわふわのベッドだーっ!」
ずっと一緒だった二人に、初めて与えられた自分の部屋。
靴下の裏を真っ黒にしたまま跳ね回る弟と妹の姿を見て、あたしの目頭がまた熱くなった。
そして、階下のリビングからは湊さんの声が聞こえてきた。
「ほら、ふたりとも! 今夜はごちそうだぞ! 今日からここが自分たちの家なんだ。遠慮なんかしないで、お腹いっぱい食べるんだ!」
降りていくと、ハミング・デリの厨房から運ばれてきた数々のごちそうが、テーブルいっぱいに並べられていた。
湯気の立つ美味しそうな料理に、隼斗と小花が目を輝かせて手を伸ばそうとした、その時だった。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴り響いた。
「うん? いったい、こんな時間に誰だ?」
湊さんが怪訝そうにドアを開ける。
そこに立っていたのは、仕立ての良いブレザーを着て、どこか不機嫌そうな御堂玲央だった。
「げっ! お前、なんでここに……!?」
「……何でと言われても」
「あたしが呼んだのよ、悪い!?」
「ねっ、姉さん!?」
奥から結衣さんが顔を出して、湊の頭を軽く小突いた。
「湊、彼にだけ情報をあげないのはフェアじゃないでしょ。……さあ、座んなさいようさぎのナイト様」
「・・・ったく、ナイト気取りかよ」
「うるさい」
玲央は靴を脱いで上がってくると、壁際に立つあたしをじっと見つめてきた。
その目は、値踏みするようにあたしの手足と、赤く腫れた顔を見ている。
「……思ったより元気そうだな」
「……あたりまえでしょ。このあたしを誰だと思ってんの」
掠れた声で言い返すと、玲央は少し微笑みながら安堵の表情をし、ダイニングテーブルの端の椅子を引いて腰を下ろした。
「腹が減った。何か食わせてくれ」
「はあ!? おまえの分なんか用意してねえよ!」
「玲央お兄ちゃん、向こうで一緒に食べようよ~。まだまだごちそういっぱいあるから!」
「こっ、こら、小花、余計なこと言うな!」
「美味そうだな。いただこう」
「あっ、こら! 勝手に食べ始めるな!」
「ふふ…今日は三人の歓迎会よ。みんなお腹いっぱい食べなさい」
狭いリビングで、湊さんと玲央の言い合いと、かわいい弟や妹の笑い声と食器の音がめちゃくちゃに混ざり合う。
それを結衣さんが豪快に笑いながら見守っていた。
ソースとお出汁の香ばしい匂い。立ち昇る湯気。
小花が唐揚げを頬張って口の端につけたタレを、隼斗がティッシュで拭いてあげている。
あたしは椅子の背もたれをぎゅっと握りしめた。
どうしてだろう。
今は遠く離れて、どこにいるのかさえわからない実の両親よりも、
目の前で喧嘩したり、笑い合ったりしているこの人たちのほうが、
今の私にとっては、ずっと……大切な家族に思えた。
(第15話「うさぎと結衣と女の覚悟」おわり / 第16話へ続く)
メインヒロインの白姫うさぎが歌う、の第15話挿入歌です
『あたたかい食卓と涙の温度』
架空アニメ 「うさぎと狼」 第15話 挿入歌
歌:白姫 うさぎ
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