第十一話:うさぎと消えた両親と茶色い地図
「……えっと、ここよね? 住所は間違ってないはずだけど……」
放課後の商店街。蒼成学園の制服を着たうさぎは、場違いなほど高級感のある佇まいで、一枚の「ぐちゃぐちゃに折られた地図」を手に立ち止まった。
目の前には、オープンしたばかりの真新しい看板。
『ハミング・デリ』。
「……えっと、一応、結衣さんには連絡しておいたけれど」
うさぎは自分に言い聞かせるように呟き、昨夜のあまりに理不尽な出来事を思い出し、こめかみを押さえた。
◇◇◇
(回想:昨夜・白姫家)
麗華とのパーティーを終え、玲央との「共犯関係」に少しだけ浮ついた足取りで帰宅したうさぎを待っていたのは、異様な熱気だった。
「おかえり、うさぎ! いやあ、ギリギリ間に合ったよ!」
リビングでは、父親が世界地図を広げ、母親がサファリルックでパスポートを振り回している。
「間に合ったって何がよ。その格好……」
「転勤だよ! 社長がさ、『この地図の茶色い部分に眠るレアメタルを調査できるのは君しかいない!』って泣きついてきちゃってさ」
父親が指差したのは、国名すら記載されていない、ただ「茶色く塗られただけの僻地」。
「今夜の便で発つから、あとのことは結衣ちゃんに電話してあるから! ほら、これが連絡先と地図!」
「ちょっと待ちなさいよ! 今夜!? ネットは? そもそもそこ、どこなのよ!!」
嵐のような説明。反論の隙を与えない《《エクストリームな出国》》。
「ふざっ……ふざけんじゃないわよぉおおお!!」
バキィッ!!!
うさぎが握りしめていたのは、あの大物国民的キャラがどら焼きを食べる時に愛用しているような、分厚くて立派な湯飲み。
それが、およそ女子高生の力とは思えない轟音とともに、粉々に砕け散った。
◇◇◇
(現在)
「……思い出すだけで血圧が上がるわ。本当に、あの人たちに育てられたのが信じられない……」
うさぎは粉砕した湯飲みの感触と、あの凄まじい反動を右手に感じながら、ハミング・デリの自動ドアを押し開けた。
「いらっしゃいませ。……ってお前、そんなヒラヒラの格好して何しに来たんだよ。冷やかしなら帰れ……って、なんだ、うさぎか」
入り口すぐのカフェブースから声をかけてきたのは、エプロン姿の羽鳥湊だった。
数年前よりずっと精悍になった彼の姿に、うさぎは一瞬気圧される。
「湊さん……。久しぶり」
「……ああ。つーかお前、学校ではそんな『お嬢様』みたいな格好してんのか? 似合わなすぎて爆笑もんだな」
「……っ! あんまりからかうと、ひっぱたくわよ?」
うさぎは精一杯の「お嬢様スマイル」を保ちつつも、声を低くして警告した。
「怖っ。相変わらずだな。……ほら、店長が奥で待ってるぞ。案内してやるよ」
湊はニヤリと笑うと、うさぎを促して厨房の奥へと進んだ。
「店長、うさぎが来ました」
湊の声に、店長の結衣が顔を上げた。
案内を終えた湊は、そのまま自分の持ち場であるカフェブースへと戻っていく。
「ひさしぶり、うさぎ! やっと来たわね」
結衣は仕事の手を止めずに、テキパキと言葉を続ける。
「両親から話は聞いてるわよ。あんな無茶な要求、あんたの《《労働力》》でも提供してもらわないと、とてもじゃないけど引き受けられないわ」
「ありがとうございます、結衣さん……。本当に、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いいのよ。はい、これ、あんたのシフト表とエプロン。あんたが店を開ける時間分を働いてくれるのが、今回の契約の条件よ」
◇◇◇
数日後。
ハミング・デリの休憩室では、慌ただしく昼食を摂る三人の姿があった。
店舗で一番の料理の腕前を遺憾なく発揮し、惣菜コーナーを完璧に回し切るうさぎを見て、結衣と湊は顔を見合わせた。
「……助かったわ、うさぎ。まさか今日、カフェのバイトが急に休むなんて予測不能だったけど、あんたがいてくれて本当に命拾いしたわ。ねえ、湊?」
「本当だよ。姉さん一人じゃ回んなかったしな。うさぎ、悪いけどこの後の休憩が終わったら、そのままカフェの方のヘルプも入ってくれよ。その代わり、今日の惣菜分は全部終わらせてからでいいからさ」
「……えっ!? 結衣さん、惣菜の後にカフェもですか? 湊さん、それじゃあ、あたしに休憩する暇なんてないじゃないですか!」
「期待してるわよ、うさぎ」
結衣の不敵な笑みに、うさぎは再び《《血涙》》を流しながら、紺色のエプロンの紐をキツく結び直した。
◇◇◇
その頃、蒼成学園では――。
「……あいつ、どこに行った。貸しを返させると言っただろう」
校門の前で、玲央が苛立たしげに時計を眺めていた。
玲央の瞳には、かつての孤独な「狼」の輝きが戻りつつあった。
「白姫……逃げられると思うなよ」
黄金の檻を抜け出したうさぎの、サバイバルな放課後が今、本格的に幕を開ける。
(第十一話 完)




