第9話 ファナティック
この世界に生まれた者は力を授かる。
固有、才能、天賦、奇跡。時代と場所によって呼ばれ方は違うが、聖アラ・メリニア帝国では加護と呼んでいる。
"竜の吐息"が語源のようで、竜を神のごとく奉っているこの国らしい。
この加護はあまねく者に与えられ、物理法則からかけ離れた現象を引き起こし、また、三本目の腕のように扱うことができる。だが、必ずしも有用な力が与えられるとは限らない。
空を飛び怪力を振るう超人がいれば、水中で長く息を止められるだけの者もいて。私のように、小物を転移させることしかできない場合もある。
この程度であれば努力で習得できる魔法だと知った時はさすがに落胆してしまった。加護だけで巨万の富や、死体の山を築く者がいると言うのに。不公平この上ない。
しかし、その不公平に抗い、賢く振舞った者たちがいた。同じようにささやかな転移魔法を与えられた者たちが集まり、"転送魔法・ブラックマーケット"という魔法を開発したのだ。
小麦が一袋余っていて、財産が欲しい農家がいる。宝石を持っているが、家族が飢えている貴族がいる。その仲介をするようになったのが闇屋の始まりだった。
二人の闇屋がいれば距離に関係なく、また、政権にバレて税を取られることなく取引をすることができる。三人、四人と増えれば、人々の余りをやり取りする市場が広がる。
大して役に立たない魔法でも、かすかな手数料をもらって身を立てることができるように構築したシステム。それこそがブラックマーケットなのだ。
盗品。
奴隷。
密造酒。
外国の薬物。
金持ちが犯罪に加担した証拠。
法律で禁止された魔法の巻物。
戦争ばかりが続く激動の時世というのもあったのだろう。我々の魔法でありとあらゆるものが流通することになった。
ブラックマーケットがただのしけた転移魔法に戻るのは、きっと戦争が終わって平和な時代を迎える時だろう。
土砂降りだ。
黒い雲は昼の空を覆い、外套に打ち付ける雨によって景色には灰色のノイズがかかっていた。立っている場所が崖の内なのか外なのか判別がつかなくなる。
「ねえ、あなた。ミゾン・デューでもお会いましたわね」
少年が差す傘の下にいるからか、女の細面だけが雨に邪魔されずくっきりと見えた。あの町ですれ違った憲兵、ジャンヌ・ド・エルヴェシウスだ。
「ミゾン・デュー? 行っていませんね。人違いでは」
口角を上げて話すだけで、声色の柔らかさは変わるものだ。化粧は落ち、黒い肌と赤い巻き毛に戻っている。それでも同一人物だと言うか。
「私はただ、墓参りにきただけですよ」
「そうかしら」
ジャンヌと少年は一歩ずつ近づいてくる。自分が緊張しているのが分かる。
「憲兵さんが何か御用なのでしょうか」
「同じ服装、靴も履き変える余裕はなかったようですわね。それに、やっぱり――」
ジャンヌは私の顔に鼻を寄せた。ぴたりと蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。少年の視線は私を刺すようだ。
「シンゴの言う通りね。お化粧の匂いがしますわ」
「……」
駄目だったか。
「セドリック、あなたを国家反逆罪の疑いで逮捕します」
だが、ここで黙って捕まるわけにはいかない。「シンゴ、手縄を」とジャンヌが言った瞬間、唱える。
「元素魔法、煙幕」
「魔法干渉、消失」
私の巻物は、傘を差している少年によって妨害された。
「抵抗するな」
高めの声で警告された。シンゴと呼ばれた少年の表情には軍人らしい硬さがある。
「シンゴは優秀な猟犬なの。従った方が良くてよ」
言いながらジャンヌは、シンゴの雨に濡れる明るめの髪を撫でた。少年の、白い肌にそばかすの乗った顔が、ばつが悪そうに少し歪む。
「……分かった」
そう言うと、ジャンヌは傘を受け取った。両手の空いたシンゴは縄を取り出し、大人しく前に差し出した私の両手首を手錠縛りにしていく。
ふたりの後ろに、六名の憲兵の影が見えた。ジャンヌとシンゴを含めて八名か。
国家憲兵は民間人だけでなく、軍人も摘発する。当然のように魔法や秘跡によって抵抗されるため、こいつらは妨害魔法の類を備えているのが普通だ。
魔法干渉や秘跡干渉によって反撃の芽を摘み、数の優位でスムーズに仕事をする。それがこいつらのやり方だ。
憲兵を相手取るなら補足される前に逃げる。それが鉄則なのだが、まだミアンと合流できていない。このまま崖から離れるわけにはいかないのだ。時間を稼がなくては。
「連行しなさい」
「エルヴェシウス中尉殿」
「何かしら?」
「中尉殿とふたりで話がしたい」
ジャンヌは私を数秒見つめると、シンゴだけ残して他の憲兵を下がらせた。私が大した抵抗をしてこないと思っているか、どんな抵抗をされても逃がさないという自信か。
さて、
「私は聖アラ・メリニア帝国海軍、リュシエンヌ大隊、コマンド・パラディンの黒菖蒲小隊に所属するドニだ」
セドリックは偽名だ、と流れるように言うとシンゴの表情が明らかに揺れた。ジャンヌは無表情で縦巻きにカールされた金髪を弄りながら、
「階級は?」
「軍曹」
「味方ということですわね?」
「ああ」
海軍に所属する聖騎士、つまりミアンと同じ特殊部隊だと伝えた。黒菖蒲も実在する小隊で、情報収集を専門とする工作員の集まりだと軍人たちに知られている。
私が所属しているというのは、もちろん嘘だが。
「聖都より密命を帯び、ミゾン・デューにて任務にあたっていた」
「任務の内容は?」
「機密だ」
「人払いをさせておいて」
陸軍管轄の憲兵であり階級が上であるジャンヌと、伍長であるシンゴに知られるわけにはいかない。そんな迷いを見せる。ふたりの顔に交互に視線を向けてから、
「……分かった。ミゾン・デューに敵国の工作員が潜んでいると情報があったのだ」
「潜入捜査というわけね」
頷く。
「ミアンは?」
「青薔薇小隊からの協力者だ」
私の即答を聞いて、ジャンヌは地面を眺めながら指に髪を絡ませている。シンゴは動揺しているのが丸わかりの声で、
「貴様が軍属である証拠は?」
「はっ、持っているわけがないだろう。貴殿らに追い詰められなければ誰にも言わないつもりだった」
鼻で笑いながら答え、真顔を作ってから言う。
「リュシエンヌ伯爵に確認していただきたい」
本当にされてしまっては困る。ドニなどという男は田舎の町にしかいない。だが、聖都にいる伯爵に連絡を取るならそれなりに時間がかかるだろう。
ジャンヌは地面から目線を上げ、私を冷たく見る。
「味方だと言うなら、どうして逃げましたの?」
「貴殿らが追うからだ」
「では、ミアンがヨランド中佐の暗殺を考えているという話は」
「我々が中佐殿を……? それはクヴァルツという女が吐いた嘘に違いない。私とミアンはクヴァルツこそが敵国の工作員だと睨んでいた」
「――なるほど。私たちと貴方たちで相打ちするように仕向けたというわけですわね」
「おそらくな」
クヴァルツは敵対する工作員である私をミゾン・デューから排除するため、憲兵に虚偽の通報をした。結果、私とミアンはジャンヌに追われることになった。
そんなストーリーをでっちあげる。さすがに信じてくれるとは思わないが、疑心暗鬼にでもなってくれればバンザイだ。ついでにあの銀狐は捕まって皮を剝がれればいい。
「なるほど、なるほど。ですが、問題ありません」
「何だと?」
「聖帝はこの戦争に勝利するからです」
「どういう意味だ」
ジャンヌが言いたいことを理解できなかった。聖アラ・メリニア帝国は西ナーヴァとの戦争に勝利すると?
もしや私が知らないうちに終戦が決まったのか?
「開戦の折に、聖帝は仰られました。『これは主のご意思による聖戦である』と。聖帝は主の御使いであり、主のお言葉を伝える預言者。であるならば、我が国には主が味方なさっています」
「だから勝利する、と?」
「ええ」
この戦争の行く先は誰にも分からない。それが私の認識だ。いや、戦争でどちらが勝つなど当事者にだって分からないはず。
「そのご意思を実現するために、我々は身命を賭して戦っているのではないのか?」
「違いますわ。聖帝はこの戦争に必ず勝利するのです。私たちや貴方が何をしようと、例え何もしなくとも」
戦士が戦わずとも、特殊部隊が工作をしなくとも勝てる? 神風が吹くとでも思っているのか?
「た、大勢は……戦局は変わらないと言いたいのか?」
この問いはおそらく的外れである。それを理解しながら、それでも聞いてしまった。おそらくこの女は、そんな次元の話をしているのではない。
「はい。我々の勝利は決定事項です。私や貴方のはたらきは些事でしかないのです」
「ならばなぜ中尉殿は戦う!? 我々の戦いに意味がないのならば……」
「主により剣の加護を与えられたからですわ」
「あっ……」
こいつヤバイ。
聖帝信仰の権化みたいな女だ。
神は全知全能で完全無欠だ。その神が聖アラ・メリニア帝の味方についているのだから、それはもう何もせずとも勝つだろう、と。
与えられた加護を主からの使命だと感化される者はいる。ジャンヌは、加護により剣を与えられたから軍人であることが使命だと考え、それを実行するまでと言った。
しかも、それすらやってもやらなくても結果は変わらないとのたまう。
噂通りならこの女は仲間や家族まで牢屋送りにしている。しかし、そこに"主の意志"より他の意味や価値を見出していない。
「それに、秘密任務なのでしょう? 私に海軍であることがバレた時点で、あなたの任務は失敗ではなくて?」
舌打ちで返事をする。正論を吐く脳みそがあるのに、なぜそこまで思考停止できる。
「中尉は軍人より修道女の方が向いているな」
「連れて行きなさい」
皮肉を言ったつもりだったが、鉄面皮は崩れない。シンゴに縄を引っ張られて歩く。まずいな。ここまで話ができないか。
下手げに魔法を使っても妨害を受ける。何か、一瞬でも隙ができれば。
ジャンヌが立ち止まった。次いでシンゴが足を止める。
なんだ――?
見間違いでなければ、先ほどまでジャンヌとシンゴを含めて憲兵は八人だったはずだ。それが今、九人になっている。
別の憲兵が合流したのか。たったひとりで。いや、それより、あの背格好、立ち居振る舞い、どこかで見たことが。異変に気が付いた憲兵がひとり、九人目に歩み寄った。
「おい、貴様――」
最後まで言うことなく、憲兵の顔面に拳が叩き込まれた。
「な――ッ!」
九人目は倒れゆく憲兵の鞘からサーベルを抜き放ち、近くにいたもう一人の大腿を切り裂き、返す刀で別の憲兵の鎖骨にサーベルのみねを叩きつけた。
「このッ!」
憲兵が斬りかかったが、九人目は頭を下げて避ける。目深に被った軍帽が宙を舞った。短めのポニーテールにまとめた黒髪が雨のなかを踊る。
いつの間にか斬りかかった憲兵が手首を抑えている。取り落とした得物のサーベルは芝生に沈んでいた。
あっという間に四人を無力化した謎の人物に気圧されて、残った二人の憲兵はサーベルを構えたまま動けない。
その顔は――
「ミアン……?」
「お待たせ、セドリック」




