第10話 ダイヴ トゥ ザ インレット
あっという間に四人を倒した謎の人物は、残った二人の憲兵からサーベルを向けられても落ち着いている。
軍帽で隠れていたその顔は――
「ミアン……?」
「お待たせ、セドリック」
いつものように余裕そうな微笑を浮かべるミアンが立っていた。
「その縄斬ってあげる。こいつら倒したらね――秘跡、ソブレ・ラス・オラス」
「秘跡干渉、消失!」
秘跡を邪魔するために二人の憲兵とシンゴが妨害魔法を使った。身体能力の強化をかき消されながらも、ミアンは構う様子もなく斬り込む。
「秘跡、シェーヌ・アン・オール!」
少し離れている憲兵の手に金色の鎖が現れ、空を飛ぶとミアンのサーベルに絡みつく。そのまま引っ張って得物を奪おうとするが、
「欲しいの? なら、はい」
ミアンは手首の返しだけでサーベルを投擲し、それが鎖を持った憲兵の肩に突き刺さった。
もう一人の憲兵が斬りかかるが、剣筋を見切ったミアンは手首を掴んで投げ飛ばし、そのまま腕を折る。
雨音のなかに憲兵どもの絶叫とうめき声が混じる。
殺すつもりなら容易くできたはずだが、ミアンに倒された憲兵は息をしている。手心を加えながら六人もの軍人を無力化したのだ。
全滅必至の戦闘で生き残ったのは偶然ではない。そう思えた。
ミアンは気安く、ジャンヌとシンゴに向かって言う。
「早く仲間の手当した方が良いんじゃない?」
「お気遣いありがとう、ミアン。でも、役に立たない憲兵は不要でしてよ」
素っ気なくジャンヌは答える。
「ジャンヌ様、ここは僕が」
「どきなさい、シンゴ」
前に出ようとしたシンゴを制して、傘を手放すと、手を天にかざした。
「聖剣召喚、ヴィクトワール・ティムダール」
空に金色の魔法陣が広がった。その中央から剣の柄が現れ、ジャンヌはそれを掴むと抜き放つ。
サーベルだ。
美しい装飾があしらわれ、刃は景色に溶けるほどに鋭い。あれに比べると軍人が振り回していた物が駄菓子屋で売っているおもちゃに思える。
ジャンヌとミアン、二人の距離が縮まっていき、戦端が開かれた。ジャンヌがワルツを踊るように斬りかかり、ミアンは拾ったサーベルで攻撃を防ぐ。
が、その刀身はヴィクトワール・ティムダールによって叩き折られた。
「へえ――ッ!」
さすがのミアンの表情にも驚きが浮く。矢継ぎ早に繰り出される二太刀目を避け、
「秘跡、ソブレ・ラス・オラス!」
三太刀目の横なぎを避けたミアンは、その瞬間に相手の軸足を蹴手繰る。しかしジャンヌはびくともしない。
「動くなよ」
言いながらシンゴは私を見ていない。ジャンヌとミアンの方を固唾を飲んで見ている。
今だ。
「そうはいかない。元素魔法、火矢」
「チッ! 魔法干渉、消失!」
「魔法改変、閃光」
「なにッ――!?」
すかさず巻物を使う。シンゴの手元からまばゆい閃光がほとばしる。こいつの使った魔法妨害を、さらに妨害して閃光弾に書き換えた。
強烈な光に目が眩んだシンゴに体当たりを食らわせて、得意の魔法を使う。
闇屋のなかにはブラックマーケットを使って、物を一時的に預かる連中がいる。余っている倉庫や土地などをコインロッカーのように活用するのだ。
特徴は少額で利用できることと、返却がすぐにできる点だ。
ミアンの剣を返却。手首を縛っているロープを裂き、
「ミアン!」
戦っている彼女の方へと投げる。回転しながら飛ぶ直剣を容易く受けったミアンは、サーベルと切り結んだ。
チカッと雨の中に火花が散る。
「クソッ――!」
「もう少し寝ててくれるか」
フラフラと立ち上がるシンゴの足首を掴んでひっくり返す。
今後、憲兵から付け狙われるとするなら、できればここでジャンヌを無力化したい。殺さずとも数週間は医者の世話になるくらいに。
踊るような足さばきで果敢に攻めるジャンヌに対し、ミアンが距離を取った瞬間を狙う。
「元素魔法、ファイアアロー」
飛んだ火矢は雨のなかで弱りながらも、ジャンヌの腹に直撃した。踏み込んだミアンが肩に強烈な突きを放つ。
だが、憲兵の小隊長は止まらない。何もなかったかのようにミアンを攻め続ける。
無傷だと?
「こいつッ!」
腹に衝撃が突き刺さった。シンゴに殴られたと分かった時には、頭に血が上り、息ができなくなる。視界が戻ったか、まずいな。
そのままもう一発を横っ面にもらい、視界が飛ぶ。若いとは言えシンゴは現役の軍人、喧嘩など逃げの一手である私が勝てるわけがない。
星が飛ぶような視界で見たのは、濡れた雑草と緩んだ泥。それに絶海を見渡す崖際の景色だ。
やるしかない。
シンゴは馬乗りになって言葉をぶつけてくる。
「大人しくしろよ!」
「そうはいかなくてね」
懐の巻物に触れる。
「元素魔法、煙幕」
着ている服のなかから煙が噴き出すと、たちまち辺りを白く埋め尽くしていく。馬乗りになっているシンゴの顔すら見えなくなった。できるだけ体をずらして振り下ろされる拳を避ける。
「闇魔法、影像」
囁くように唱える。
煙のなかで私に狙いをつけようとしたのだろう。シンゴは私の胸倉を手探って掴むと、顔を近づけてきた。
その表情が驚愕に染まる。
「ジャンヌ様――?」
魔法によって私の姿はジャンヌのものになっていた。煙から現れたのが自分の上司で面食らったのだろう。よく考えれば目の前にいるはずがないのに、シンゴは動きを止め、力を抜いた。
「すまない」
私の手首を縛っていた手縄を、動きの止まったシンゴの首に巻き付け、渾身の力で絞める。嗚咽に似た音が、シンゴの口から洩れた。
みるみるうちに彼の顔が赤く染まり、首をかきむしるように縄を外そうとする。シンゴの背後に立つように体勢を入れ替え、立ち上がらせた。
煙が晴れていく。
服がボロボロになり、まとめていた髪がほどけているミアンに対し、ジャンヌは無傷だ。あのままではおそらく、ミアンは勝てない。
叫ぶ。
「ジャンヌ! 剣を下ろせ! シンゴが死ぬぞ!」
ジャンヌは剣を止めて、私たちの方を見る。シンゴは激しく抵抗しながら、
「ジャンヌ様! 僕に構わず!」
憲兵の小隊長の瞳には、何の熱もなかった。
「ええ、そうさせてもらうわ」
シンゴの体がその言葉にビクリと痙攣する。
「役に立たない憲兵は要りません」
それだけ言うと、またミアンへと斬りかかり始める。
「どうやら君の飼い主は、君のことをどうも思っていないようだ」
哀れだ。
シンゴがジャンヌに憧れているのは確かだ。それが尊敬か恋慕かまでかは分からないが。例え特別扱いされていようと、役に立たなければ見捨てられる。
結局はその辺で転がっている他の憲兵と変わらない。
この年の多感な男子にはつらいはずだ。
もうそこまで強い力で絞めているわけではないのに、抵抗が明らかに弱っている。
「せめてセドリックを抑えていてね。シンゴ」
役に立て。
絞め殺されてでも。
三行半を突きつけるような台詞に、シンゴが咆えた。
私の腹に肘鉄を捻じ込んで腕を振りほどく。手加減しすぎたか。
「クッ、また腹……」
シンゴは獰猛な顔でサーベルを抜き放ち、私に斬りかからんと腕を振り上げる。酸素が足りないのか、足がふらついていて緩慢な動きだった。
一歩踏み出し、シンゴの体を抱きとめる。暴れる彼を抑えながら、
「ミアン!」
「セドリック……?」
「高いところは平気か?」
そう言いながら笑って見せ、シンゴの体を引っ張る。
崖の方へ。
「何してるの!?」
ミアンの顔から目を離さない。ついに崖の端から足を踏み外した。ぐらりとバランスを崩し、充満する根源的な恐怖に耐える。
最後に見たのは、立っているだけのジャンヌと、剣を投げ捨てて駆けだすミアンの姿。
二十メートル先の海面へと真っ逆さまに落ちる。片腕でシンゴを抱きしめ、もう片腕をまっすぐに伸ばして。
「うわああああッッ!!」
シンゴの悲鳴を耳元で聞きながら、迷いなく落ちてくるミアンが見えた。
約二秒。
着水の衝撃が、すべての感覚を奪っていく。氷に突っ込まれたかのようだ。
衝撃か、体温を失ったか、すでに体は麻痺し始めている。一刻も早く、あの場所へ。シンゴは気絶したようで、海のなかでは砂袋のように重い。抱えたままでは無理か。
見捨てるしかないかとそう思った時、首元を掴まれ、ぐい、と身体が持っていかれた。水のなかで焦点が合わなくても分かる。ミアンだ。
彼女の手首を掴み返し、指を向けた。
暗い海のなかで、星空のように青く光っている方を。
察したミアンは私とシンゴを連れたままグイグイと海のなかを泳いでいく。酸素を寄越せと喚く脳みそに逆らって奥歯を噛みしめ、必死で足を動かす。
ついに手足が砂を掴み、海面から顔を出した。
「っはあ――! はぁ、はぁ……ハァ……何とかなったな……」
「何とかなった、じゃないわよこの馬鹿。ああ、もう、ありえない……なによここは……」
「ハハ、隠し入り江だ。昔見つけてな」
崖が波によって削られることでできた洞窟だ。空が見えない地形は暗いはずだが、波が青色に光っているから明るい。
「もしかして、あそこから飛び込むのは初めてじゃないの?」
「まあな。またここの世話になるとは思わなかったが」
あの崖は高い波に長年削られ、横から見れば海に対して庇のように突き出す、巨大なオーバーハングを形成している。
もしジャンヌが崖際から見下ろしたとしても、陸側にある入り江は絶対に分からない。
気絶したシンゴを砂浜に仰向けにして、心臓マッサージと人工呼吸をすると、すぐに水を吐いて呼吸が安定した。
頑丈な奴だ。
「この青色の光は……イカ?」
「ああ、ホタルイカだろう。ちょうど産卵時期だしな。こいつらがいなければ、この入り江を見つけられなかった」
波打ち際には小さなイカが大量に漂っている。網で掬えばいっぱいに獲れるだろう。
「ホタルイカ? クラーケンの仲間じゃない?」
「そ、そうなのか?」
「魔石が光ってるように見えるけど」
一匹手に乗せてよくよく見てみると、足が八本しかない。額の辺りにある固い砂粒のようなものが青色に光っているし、私の知るホタルイカではなかった。
「本当だな。なるほど、先入観があったようだ。やはり元の世界とは違うな……」
「なに言ってるの?」
「ああ、いや、なんでもない」
「ねえセドリック。悠長におしゃべりするのは良いけど……このままじゃ私たち、凍死しない?」
言われてから、海水でずぶ濡れの服に体温が奪われ続けている現状を思い出し、くしゃみをした。
「まあ、低体温症で死ぬだろうな」
外はすっかり夜になっていた。
満潮になった波から逃げ、なけなしの金を使ってブラックマーケットで薪と小鍋を買い、火を熾してクラーケンを茹でて喰う。
海水で茹でているから塩辛くてしかたがないが、我慢して噛んでいると旨みが出てくる。味噌か醬油があれば言うことなしだが、ブラックマーケットでは見たことがない。
シンゴは眠ったままだ。
「ホントに便利ね、その魔法」
「金ありきだがな」
同じように胡坐でイカを喰っているミアンが言った。濡れた憲兵服を乾かしているから下着姿だ。できるだけ見ないように鍋で揺れる水面に目を凝らす。
服も買ってやれれば良かったのだが、さすがに金がなかった。それを伝えるとミアンは気にしていないと言う。軍人の気質か、私を男と見ていないのか、その辺りは分からない。
「これからどうするの? ずっとここにいるわけにもいかないし」
「ああ、それなら――」
海の方を見る。
約束の時間はとうに過ぎているが、やっとランタンの淡い光が見えた。入り江に入ってくる小舟にミアンは警戒するが、乗っているのはオールを扱う白髪の爺さん一人だ。
白々しく爺さんは言う。
「やあ、セドリック。こんなところで奇遇じゃないか」
「レミ爺、海の様子はどうだ?」
「雨は止んだし、今夜は機嫌がいいみたいだよ。すっかり凪いでる」
「そりゃよかった」
周りに憲兵の姿はない、とレミ爺は言っている。どうやらジャンヌたちは引き上げたようだ。我々が死んだと思ってくれていれば良いのだが。
「イカは?」
「好きに獲ればいい」
ミゾン・デューで私が教えたのだ。この入り江にくれば大量のイカが獲れるぞ、と。
すっとぼけた調子でレミ爺は言う。
「セドリックと、そこのお嬢さん。漁が終わったら乗ってくかい?」
「当然」
「行き先は?」
「スランエルフ半島だ」




