第7話 酔狂とジェンダルムス
「頭痛い……」
「頑張ってくれ」
何とかミアンを揺り起こし、ふらつく彼女に肩を貸して宿から出た。
かつてはレンガ造りの家が並ぶ美しい港町だったミゾン・デューは、魔法の爆撃によって叩き壊されてからは廃墟でごみごみとしている。
月明りが作る影から影に縫うように歩き、二階のほとんどが吹き飛んでいる空き家に逃げ込んだ。ミアンを床に転がしてマッチを擦り、ささやかに火を熾したところでほっと息を吐く。
細く白い煙が立ちのぼり、夜空に消えていく。
「ねえセドリック」
「朝まで寝ていろ。酔いが醒めたら町から出る」
「国家憲兵の姿が見えたけど、私の気のせい?」
「いや、確かにいた」
道すがら、見慣れない軍服を見た。
空色の上着に、歩兵のような赤色の脚絆ではなく深い紺色の革ズボンを履いた三人組が出す威圧感は、見捨てられたこの町に似つかわしくなかった。
あれは軍属にして軍の秩序維持と、民間に対する警察活動を任務とする国家憲兵の姿だ。
不良軍人のキーリス程度なら簡単に撒けたのだが、憲兵となると話は別だ。急いで持ち出した小物類を木床に並べていく。
ミアンは四つん這いで壁の方に近づいていく。
「寝ていろ」
じっとしておけば平気、と返答したミアンは壁にできた隙間から通りを見下ろし始めた。
「何でバレたんだろ」
「クヴァルツだよ。密告しやがった。あのクソ」
「何で?」
「知るか。あの女が考えていることなんて分かるはずがない」
そう吐き捨てる。どこの世界に弟子の情報を売って小銭を得る師匠がいるのだ。私の苛立ちをよそに、ふぅん、とミアンは気の抜けた返事をする。
「ああ、ヤバいかも。あれはジャンヌの部隊ね」
「なんだと?」
「聞いたことない? "人狩りジャンヌ"」
「ジャンヌ・ド・エルヴェシウスか?」
白いペーストの入った小瓶の蓋を取りながら聞くと、そうそれ、とミアンは素っ気なく答えた。
「確か……エリートばかりの国家憲兵に入って、たった5年で小隊長に抜擢されたのだったか?」
聞きかじりの噂話を呟くと、そうなんだ、とミアンは相槌を打って、
「侯爵令嬢だけど、コネだけじゃなくて実際優秀みたい。徹底した捜査で大物の貴族とか悪党を捕まえまくってるって話。仲間と……家族まで牢屋に送ったって」
私は嫌い、とミアンが呟いた。
「それで人狩りか」
ため息を吐く。タイミング的に狙われているのは我々なのだろう。厄介な奴に目を付けられたものだ。
ため息を吐きながら作業をしていると、ミアンがこちらを見ているのに気が付いた。暗く、よく見えないが、怪訝な顔を浮かべている。
「ねえセドリック、さっきから何やってるの。まさか化粧?」
「……そのまさかだ」
「え、気持ち悪い」
「違う。変装のためだ」
白色のドーランを顔に塗りたくっている私に、うわあ、と不気味なものを見るような目を向けてきた。確かにこの国で化粧をする男性は珍しく、軟弱だと侮蔑の対象にする向きもあるが、私の目的は違う。
「ミアン、人狩りはどうやって我々を探す。魔法探知を使っているのではないか?」
「まあ、そうだろうけど」
「では姿を変える魔法を使えば居場所がバレる」
「だから変装?」
「そうだ」
国家憲兵が探しているのはおそらく、"直毛の黒髪に白い肌の女性騎士"が、"巻き毛の赤髪に黒い肌の少年"を連れた二人組だろう。
「連中が諦めるまでミゾン・デューに隠れた方が良いと思うか?」
「ジャンヌは諦めないでしょうね。町を巡回して、魔法を使って探知に引っかかった奴を片っ端から捕まえる。見つかるまで止めない」
「参ったな……」
魔法は使えない。巻物も同様だ。時間を追うごとに憲兵の数は多くなり、町の封鎖は進んでいくだろう。さっさと準備を済ませて、この町から出なければならなくった。
「熱ッ……」
「どしたの?」
「アイロンだ。熱し過ぎた」
「何それ?」
嫌悪感を隠そうともしないミアンを無視し、火で暖めた鉄板で髪を挟んで縮れた毛を矯正していく。私が爺だった時、孫娘が数十分も鏡の前でヘアアイロンを使っていたのを思い出した。
あの時は何が楽しいのかと呆れたものだが、それが役に立つとは。
「憲兵は何人組で行動している?」
「三人一組。私を警戒しているようね」
「なるほどな。ミアン、君の位は?」
「女性にレベルを聞くのは失礼って教わらなかった?」
身体に宿る魔力の総量によって決まるレベルは、五十くらいまでは年齢とともに上がっていき、そこから成長しづらくなる。
魔石を砕けば内包された魔力を吸収してレベルが上がるが、実年齢から十も離れることは稀だと聞いた。つまり、レベルを知れはその者の年齢がある程度分かってしまう。
女が歳を知られたくないのはこちらの世界でも共通なようで、聞いても渋られる傾向にはあった。
くだらない。大体、手の皮膚の潤いと目元の皺で歳などある程度分かるのだ。隠して何になる。
「言ってる場合か」
「二十四」
「そうか」
最前線で戦っていた聖騎士だという話だったから、もっと高いと思っていた。まあ、そんなものなのかもしれない。
「年齢の方ね」
「は? いや、もしもの時に憲兵どもを蹴散らせるかどうか――」
「二人なら瞬殺できる。三人はちょっと無理ね」
なぜ年齢を先に言った。なぜそうも言いたくない。
毛を焼き殺す勢いでやっと直毛に近くなった髪を指で梳かし、黒色のインクに炭と灰を混ぜた液体をまぶしていく。
「ミアン」
「分かった、言う。四十八!」
「…………嘘では」
髪を染める手が止まった。レベル四十八?
実年齢の二倍ではないか。一体どんな環境にいればそんなことになるのだ。驚きを通り越して背筋が寒くなってくる。
「本当。歳と離れてもせいぜい十個くらいでしょ。だから四十八って言うと三十代くらいに思われる。『若く見えますね』って言われるのが嫌なの」
「それは……どう申し上げたものか。若く見えるぞ」
きっとミアンに睨まれて、「ちゃんと二十代に見えると言う意味だ」と言い訳をして目を逸らす。その気になれば私など指先ひとつで抹殺できるだろう。猛獣と同じ檻にいる気分だ。
「もういいわ。それで、これからどうするの」
「国家憲兵まで出てきたのだ。諦めるつもりはないのか?」
クヴァルツから情報は漏れているだろうし、計画書の束はキーリスの手に渡った。ここからの旅は国家憲兵に追われながらの、過酷なものになる。
ただ、ミアンは素直に休暇を終えて軍に戻り、私はどこへなりとも姿をくらませば終わる話だ。嫌疑は疑いのまま闇に消えるだろう。
ミアンは通りを見下ろしたまま、少し黙っていた。甲冑ではなくリネンのドレスを着る、どこか華奢に見える背中に言葉をかける。
「今なら引き返せる」
「私は覚悟の上。セドリックこそどうするの。お金も払ってないし、やめてもいい」
「君がその気なら、付き合うよ」
彼女はまた少し黙った後、ありがと、と夜に消え入りそうな声を返した。
憲兵に捕まればどうなるか分からない。良くて強制労働、悪ければ火あぶりか。今のやり取りはともすれば我々の命運を左右するものだったのだが、凪いだ海のように静かなものだった。
さて、
「どうだ。違和感はないか」
首元や手元まで白く塗り終えたし、髪も終わった。鏡もなく手探りだったから、一度ミアンに見てもらった方が良いだろう。
振り返ったミアンは眉をひそめると、「もっと子供らしく笑ったら?」と言った。




