第6話 暗殺心中
「標的は君の上官、か」
うん、とミアンは呻くように頷いた。酔っているのだ。
彼女は一夜にして二十名もの仲間を喪ってしまった。家族のように思っていたのだろう聖騎士隊は皆、スランエルフで散った。
つらかっただろう。
ひとりだけ生き残ってしまったことも。
彼女の絶望は私の想像を絶している。
「現役の前線指揮官を殺害する、か」
「うん」
自分たちを捨て駒にして死地に向かわせた指揮官の殺害、それが今回の依頼だった。
「であれば私の仕事は、ヨランドの居場所への密航と、復讐を遂げた後の逃亡の手伝い、といったところか」
「ああ、そうね。脱出しないといけないんだ」
「ミアン、君は……」
不意に胸が締め付けられた。
貴族出身の前線指揮官ならばそれなりの要人だろう。計画が明るみに出れば抵抗が予想されるし、当然、追われる身になるだろう。
ヨランドを殺せたとしても、その後どうするつもりだったのだ。その場で捕まって処刑されるつもりだったのか。
「そうだ、お金の話もしないと」
「後ででいい」
「そうは言っても――」
よしんば復讐を遂げたとして、その先がない。諦めさせた方が良いだろうか。
ヨランドを殺しても仲間は戻ってこないぞと、天国の仲間はそんなこと望まないぞと、糞の役にも立たないくだらない説教を垂れればいいのか。
真面目で従順であることが正しいこととは限らない、などと言った舌の根の乾かぬ内に。
「うっ……ちょっと失礼」
「トイレはあっち」
口元に手を当てて席を立つ彼女に、クヴァルツは指を指しながら気安い声で言う。ミアンの白い素肌は青ざめていた。酒の飲み過ぎだ。
ふらふらとした足取りを見送ってから、平然と酒を飲み続ける師匠を睨む。
「ミアンの話したことは間違いないのか?」
「ええ。スランエルフに派遣されていた青薔薇小隊が壊滅したって話は本当みたい。ヴァーニーダ砦の生き残りが聖都凱旋に参加していたって情報も本当」
「なるほど」
話の裏は取ってあるのか。たとえば、ミアンが実は敵国である西ナーヴァの工作員で、ヨランドを暗殺するために私たちを欺いて利用しようとしているのではない。
「ヨランドが指揮官に就任してから前線が下がっているのも事実のようね」
「ふむ。私はこれから計画書を作る。クヴァルツ、必要な物を用意しろ」
あら、とクヴァルツは驚いたような表情を浮かべたあと、にんまりと笑った。
「引き受けるのお?」
「気色が悪い」
この師匠は私が断らないと踏んで話を持ち掛けてきた。何を今更すっとぼけている。いつものことだが、いつも苛々とさせられる。
「ミアンは涼しい顔をしているが、腸は煮えくり返っているのだろう」
「そうかしら? 私に話した時はもっと怒っていたし、時間が経って冷めて来てるんじゃなくて?」
「感情が凝り固まって殺意になっただけだ。あれは一人でだってヨランドを殺しにいく」
「要人の暗殺なんて、西ナーヴァにだってできてないのに」
「諦めさせろと?」
クヴァルツは肩をすくめた。
復讐を取り上げてミアンに何が残るのか。まさか軍人としてヨランドの指揮下に、戦場に舞い戻りはしまい。飄々とした振る舞いは、それ以外にはもう興味がないからではないか。
復讐だけを支えにしているだけではないのか。
「ねえセドリック。人殺しに加担するための言い訳を探してない?」
殴られたかのように頭に血が登った。クヴァルツに向かって酒をぶちまけてやろうかとその面を見ると、銀狐は私の心を見透かしたように微笑んでいる。
「少し酔った」
そう言って席を立った。図星を突かれた自分自身に情けなさを覚えつつ、便所に向かう。ミアンの戻りが遅い。ここの治安が最悪なことに変わりはない。何かあってはことだ。
ミアンは扉に寄りかかるようにしゃがみ込んでいた。
「おい、しっかりしろ。今晩はここに泊まろう」
ああ、だか、うん、だか唸っている彼女に肩を貸して立ち上がらせる。気合を入れなければ一緒に転んでしまいそうだ。
太っているわけでもない女に手を貸すのにこれほど骨が折れるとは、この少年の身体が恨めしい。酒臭い吐息の方をちらりと見ると、長いまつ毛の生えた瞼が腫れている。
あの海岸線や旅の道中に見た頼もしさは今はなく、ただ鎧の剥がれた女の姿がそこにはあった。思い切り息を吸い、ため息を吐く。
何。
ちょっと手伝ってやろう。
どこへ行けども、私がいる場所が地獄であることに変わりはない。
夜が更けたな。二階の部屋を取り、ミアンをベッドに投げ込むのは大変だった。数日の間はこの町で用意を整える。ミゾン・デューの闇市なら大抵の物を揃えられるだろう。
各種の巻物や、北にあるバスクヴィルの港町までの食料や薬などの旅支度。
そこからスランエルフ半島に渡る手段が問題だ。あそこには基本的に軍事関係の船しか出港していない。そう言えば、軍艦の目を盗んで密航を繰り返しているヤツがいたはずだ。そいつに渡りをつけてもらうか。
後は脱出経路。これは半島を南下して西ナーヴァに逃げるか。危険だが、雪の残る山岳地帯を通れば追手を振り切れる。
敵国の兵を警戒して大規模な追跡はできないし、国境線を超えられれば、アラ・メリニアは諦めざるを得ない。
密入国などどうとでもなる。
酒による頭痛に耐えながら考えを羊皮紙に書き留める。
今回は犯罪だから、見積書に見えるように偽装し、一枚では全体像が把握できないようにしなければ。明日の朝、数枚に分けて金を添えて闇屋仲間に渡しておけば良い。
ろうそくがふっと消えた。切りも良いし、そろそろ私も寝よう。振り向くと、暗闇からミアンがうなされる声が聞こえる。ひとつしかないベッドはミアンが占領しているから、床で寝るか。仕方がない。
ミゾン・デューの夜は静かだった。月明りのおかげでぼんやりと辺りが見えるくらいだ。まあ、住民は燃料や魔法をケチりたいのだろう。
皆、寝静まってしまって静かだ。
だから話し声が聞こえてきた。外からぼそぼそとした会話と、複数人が動くような足音が聞こえる。
不審だ。
木の板でしかない窓を開けて階下を覗くと、やはり複数の人影が店の前で話している。幾人かは魔法の光を灯したランタンを持っていて、照らされた顔は店主。向かい合っているのは、キーリスか?
素面のようだし、数名の兵士を引き連れている。珍しいな。
何やら嫌な予感が背筋を伝った。
何を話している?
「――反逆を画策してい――通報が――」
「――っ!」
途切れ途切れに聞こえてきたキーリスの言葉に驚愕する。
奴はもうひとりの人影に袋のような物を渡した。中に入っているのは金か? 連中が店に入ってくる。まずい。
金を受け取った人影が振り返り、私の視線に気が付いたように上に目線を動かした。ランタンに照らされたその顔は――クヴァルツ。
その唇が分かりやすく動く。
――その娘を見捨てるの?
「あのクッソ女ァ……」
信じられん! 通報しやがった!
何故、なんて考えても無駄だ。あの女に常識は通用しないし、損得勘定も一般的じゃない。
店がやにわに騒がしくなる。キーリスたちが捜索を始めたのか。ミアンを残して逃げれば私だけは助かるが、クヴァルツは見通している。
私が決して見捨てないことを。
「ミアン」
ベッドでうなされている彼女の肩を掴んで揺する。
「起きろ、ミアン」
起きない。背負って逃げるか?
無理だ。
何人かが階段を登ってくる音が近付いてくる。
ダメだ、間に合わない。
ノックもせずにドアが開いた。
「セドリック、ミアン、貴様らを国家反逆罪の――」
軍人らしい態度のキーリスが部屋を見回す。
その眼が私の方に向けられて、
「逃げ足の速さは相変わらずだなあ」
そう呟いた。
机に近づき、私の計画書を手に取って眺めた。憮然とした態度で羊皮紙の束を懐にしまうと、
「北を探せ。まだ遠くには行っていないはずだ」
そうキーリスは部下に指示を出して、部屋から出て行った。
闇魔法、ハイドアンドシーク。この巻物がなかったら危なかった。
少しの時間、姿や臭い、音を隠してくれる魔法。咄嗟にミアンに覆いかぶさって使わされることになったが、キーリスの目からはこの部屋が空に見えただろう。
だが、安心してはいられない。
早鐘を打つ心臓をなだめながら、次のことを考える。
この宿から、いや、ミゾン・デューから離れなければ。




