第4話 旅は道連れ、世は情け
「目の隈がすごいよ」
「見張りの爺が居眠りをこくものでな」
誰の所為だと思っている。
アニエスとその妹の顔色が良くなってくる頃、目的地に到着した。この先をゆくという馬車から降り、ミゾン・デューの町を歩く。
この港町は変わらない。
例え変わっていても気が付けないと言うべきなのか。少し店がなくなったとしても、二、三人が消えていても分からないだろう。
足蹴にすれば倒れてしまうような露店が所狭しと立ち並び、露天商がわけのわからないものを売っている。かろうじて道と呼べる土の上には、身なりの悪い客たちや痩せた犬猫がごった返している。
上空から空撮すれば、抽象的なモザイクアートとして買う者が出るのではなかろうか。
雑多。それにつきる。
「壮観ね」
「はぐれるなよ」
「手でも握ってくれるの?」
「ここで君を撒いてもいいんだぞ」
ふふ、とミアンは笑ったようだった。
八割方は冗談ではない。
戦争に使う様々な物資をこのミゾン・デューの町に集めて船に積み込み、バスクヴィルの町へ海路で移動したり、前線であるスランエルフに送る。そのための拠点になってからどれだけ経ったか。
闇市をうろついていると、群集が割れた。体格の良い数名のならず者が立っている。
「セドリックじゃねえか」
「アベル、ニコラ、イヴォン。久しいな」
言葉に棘がある。
囲まれた。
「豪い別嬪連れてるじゃねえの」
「セディ坊やは隅に置けないねえ」
アベルとイヴォンは、ミアンの匂いを嗅ぐかのように鼻を近づけて軽口を叩く。客だ、と短く答えると、ミアンが剣に触れていた。その手元を隠すように柄の悪い男たちの前に出る。
「二コラ、酒は足りているか?」
「足りてるわけねえだろ。あってもカスみてえな密造ばっかりだ」
「西の国のラムがある。金はいらん。仲間と呑むと良い」
布袋から壜を出して一番体格の良い二コラに掴ませると、三人は凶悪なツラで笑みを浮かべる。が、明らかに雰囲気が軟化した。
「もう仕事終わりか?」
「今日はお呼びがかからなくてな」
酒を手放した瞬間、二コラは身体を寄せ、耳元で囁いてくる。
「送る物資が減ってる」
「助かる」
三人は振り向きもせず闇市のモザイクの中に溶けていった。
ミアンが口笛を吹いて私を見た。
「喧嘩になるかと思った」
「連中はお得意様だ」
「へえ、あんなのと仲良くなれるんだ」
かなり昔にあの三人からカツアゲをされた時、今ここで私を袋にしてはした金を奪うのと、今後三年間美味い酒を融通してやるのと、どっちが良いかと聞いたのだった。
蹴り転がされても態度が淡々としていたから、というよく分からない理由で私は気に入られた。それからあいつらは常連だ。
「無頼者だが、金払いは良いから文句はない」
彼らは港湾労働者だ。朝から晩まで船の荷物の積み降ろしをし、稼いだ日銭で酒と女を買い博打をしてスッカラカンになって、朝日を迎えるという生活をしている。
自らの体だけが資本の荒くれ者ばかり。額に汗している時以外はほぼやくざだ。
「あの二コラっていうヤツ、何て言ってたの?」
「座って話そう。少し疲れた」
顔なじみの闇屋でエールを買っていると、みすぼらしい男から声をかけられた。
「よお、セドリック」
「キーリス、また飲み過ぎているな」
男は闇屋のカス酒を呑み過ぎて顔が赤くなっていた。昼間である。
「酒はねえのか」
「二コラたちにくれてやった」
「なんでえ」
「水をやる。頭を冷やせ」
「優しいのはセドリックだけだあ」
キーリスのコップに真水を並々と注いでやって、エールを三つ買って市場から離れて港へ向かった。魔法爆撃のせいで背の高い建物はほとんど残っていない。
船着き場で働く労働者や、行きかう町の人々が見える。港に放置されている適当な樽を見つけると、海の方を向いて座った。
エールを口に含む。
不味い。爺の頃は晩酌のビールが楽しみで仕方がなかったのだが。
「私はおかわり要らない」
三つ目のエールを見もしないでミアンは言った。コップを傾けるが、ワインの時と違ってうんともすんとも言わないから、不味いのだろう。
「これは召喚の儀式のようなものだ」
「?」
訝しんだ表情のミアンを無視して、
「二コラは、スランエルフに送る戦略物資が減っていると言っていた」
「軍縮傾向ってこと?」
「どうかな」
二コラから仕入れた情報は示唆に富んでいる。
捉え方によっては、アラ・メリニア帝はスランエルフを捨てるつもりだとも取れる。最低限の物資でやりくりし、力を本島側に注ぐつもりなのかもしれない。
無論のこと軍事機密だ。あの三人が知り得るはずはないが、毎日積み降ろしをしている労働者であれば肌感覚で分かるのだろう。
「ミゾン・デューがこんな場所とはね」
「意外か」
「ここから積み荷が来ていたのは知ってた。でもね」
「これほど無法がまかり通っている場所から来ているとは思っていなかった、か?」
「うん」
海を眺めながらミアンは呟いた。
酒は密造だし、食べ物は配給ではない。喧嘩や恐喝は日常の風景で、並ぶ闇屋は商工ギルドに税金を払っていないし、そもそも不法占拠だ。
「軍の連中は黙認してるの?」
「キーリスなら店で酔いつぶれていただろう」
「あの海で泳いできたみたいな上半身裸の髭面?」
「あれでも士官だ」
「呆れた」
キーリスは、数年前に軍の士官としてこの町に左遷されてきて、さっさと真面目さを捨てて太ることにしたようだった。
ヤツは荷の勘定さえあっていれば、町の人間が何をやっていようとお咎めなしの不良軍人だ。誰が誰を虐げていようと不干渉を貫いている。真面目に働いている同僚が見たら卒倒するだろう。
ここから多量の戦略物資がスランエルフまで運ばれているのだから、遵法精神が聞いて呆れる。
「世界はもっとまともな連中で回っていると思ってた」
「まあ、分からなくもない」
こんな町から送られてくる物資で戦ってきたミアンには、思うところがあるのだろう。本当に呆れている様子だ。
「馬鹿みたい」
否定はしない。しないが。
少し、この町の連中を。私がこの世界に生を受けてから育ってきた場所を、擁護してみたくなった。
「ディートリヒ・マクシミリアン卿を知っているか?」
「もちろん。梟伯爵でしょ」
アラ・メリニアにおいて北西の賢者と名高い伯爵の名だ。北斗七星のように海に浮かぶ諸島群。常に外国の脅威に晒されている海域を、辣腕を振るって治めている。
「末娘が重篤な病に罹った噂は聞いたか?」
「ええ。一昨年? 大事な会議を欠席したって」
そうだ、と肯定する。
「では病名を知っているか?」
ミアンは顔を曇らせると、知らないと言った。
「栄養失調だ」
「そんな。大貴族の娘でしょ?」
「本当だ。マクシミリアン卿は真面目すぎるくらいの御方だった」
「それは、聞いてるけど」
「民草が聖帝の命により配給で生きているのだから、貴族は見本であるべき、我々も同じ暮らしをするべきだと、配給だけで生活するよう、闇屋など使わぬよう家族に命じた結果だ。
配給で事足りると思っていたようだが、ぎりぎりの量だ。そもそもあの土地で育つのはジャガイモくらいで、あの年の凶作も相まって食うものがなかった。
大人であれば耐えられたが、幼い娘には足りなかったのだ。家を空けがちな卿が気付いたときにはもう手遅れでな」
「……本当の話?」
「紹介され、本人から直接相談された。私も最初は悪い冗談だと思ったのだが、すでに末娘は衰弱していた」
痛ましいその姿は、今でも思い出せる。
屋敷に掲げられたマクシミリアン卿の似顔絵は精悍で実直そうな紳士だったが、会った時には頬がこけ、目が落ちくぼんでいた。
どうすればいい、セドリック。
助けて欲しい。
この通りだ。
「やれるだけやってみます。そう言うしかなかった」
「じゃあ、旅の魔法使いがマクシミリアン卿の末娘を治したって噂は、セドリックのことを言っているの?」
唸ってしまう。
巷ではぶらりと訪れた魔法使いが奇跡を起こしたと吹聴されていて、まるで魔法でちょちょいと治したような話になっているが、
「マクシミリアン家の通いの医者と、ああでもないこうでもないと怒鳴り合いながら24時間体制で治療だ。数か月は生きた心地がしなかったよ」
あんな仕事は二度と御免だ。
聞きかじりの現代医療知識に使えそうな材料をブラックマーケットから探し、点滴をし、鼻から管を入れて栄養を入れ、徐々に食事を摂れるようにしていった。
末娘――ハンナが庭を駆け回るようになったころには、マクシミリアン卿は生まれ変わったような表情で気力に溢れ、逆に医者と私は頬がこけて目が落ちくぼんでいた。
涙を流しながらマクシミリアン卿は礼を述べていたが、何を言われたのかさっぱり憶えていない。そういう縁で、今ではマクシミリアン家に色々な物を融通している。
「セドリックが有名なのって、そういうことだったんだ」
まあな、とため息を吐きながら、闇屋街の方に目を向ける。
「この町にいる闇屋とその客たちは違法なことをしている。だがそれは、そうしなければ生きていけないからだ」
配給だけではとても足りない。二コラたちも港で過酷な肉体労働をこなすために飯を食っているだけ。
「爪が剥がれるほど仕事をして腹いっぱい食うことが犯罪なら、それは法律が間違っていると、私は思う」
「法を守る意味はないって言いたいの……」
軍人の前で言うことではないと今更ながら思ったが、この世界で学んだことを口走らずにはいられなかった。
「真面目で従順であることが、常に正義とは限らない」
ピクッ、とエールを飲むミアンの手が止まった。もしや彼女を怒らせてしまったかと、今になって焦る。
「何というか……規則に命を捧げられるほど、人間は強くないと言いたいだけだ」
ミアンはゆっくりとコップを樽に置くと、ため息を吐く。
「信仰とか大儀を掲げて、一応、それに殉じようと戦ってきたつもりだけどね。周りの皆にとっては、そんなことどうでもよかったのかも」
海はミアンの視線を大らかに受け止めている。
不味いエールをすすりながら二人で海を見ている沈黙は苦ではない。しかし、いい加減にこれからの仕事を聞かなくては。
「ミアン、ここから先にミゾン・デュー以上の闇市はない。何が必要か教えてく――」
「無事に逢えたんだ!」
聞き覚えのありすぎる声が遮って、思わず舌打ちしてしまった。この世界で最も嫌いな女の声。振り返り、
「もうお前には会うことはないと、せいせいしていたのだがな」
黒灰色の髪に、狐のような線の薄い顔に恨み言を言う。人懐っこい笑みと耳ざわりの良い声、女を使って距離を詰め、有り金をかっぱらっていく、
「そんなに嫌わなくてもいいじゃない、セドリック」
私の師匠にして、知る者からは"銀狐"と忌み嫌われている――
クヴァルツが、エールを呷っていた。




