第3話 故郷への道
港町をミアンと出て乗り合いの馬車を拾い、三度目の夕方を迎えた。
森には濃い影が射していて、その暗さはミゾン・デューへの道のりを閉ざしているようだ。今晩のキャンプ地を見繕いながらゆったりと揺られていると――
幌を矢が貫いた。
立て続けに数本の矢じりが現れ、他の客から細い悲鳴が上がる。近付いて観察すると、雑なつくりの粗末な矢だ。矢じりは剝離した石。その先端に糞が塗ってある。
「ゴブリンだな」
初めてではない。乗客に大の男でもいれば良かったのだが、生憎女子供ばかり。
戦える者は護衛に付いていた爺か、もしくは。
布袋に片腕を突っ込みながら鎧姿の道連れを見る。
「ミアン、準備を」
「はいよ」
すぐに甲高い馬のいななきが聞こえた。馬車が大きく揺れて止まる。
ゴブリンだ! と護衛の爺からしゃがれた声が上がった。馬車後部の布を刃こぼれしたナイフが切り裂いて、異形が顔を覗かせる。
ひどく瘦せた人の子供のような体格で肌は緑色。知性の感じられない目でぎょろりと馬車の中を見て、獲物である私たちを認めると、涎を垂らしながら頬袋のない口を歪めた。
ゴブリンだ。何度見ても気色が悪い。
巻物を紐解き、
「元素魔法、ファイア――」
唱えようとしたところで剣先が閃く。
ゴブリンは眉間を貫かれ、ふっと視線を天に向けた。
大人しくしていなさい、とミアンは乗客に向かって短く言い放つと、次の標的を求めて馬車を飛び出していく。あまりの早業に魔法を使う隙もなかった。
魔物が何匹いるか分からないが、ミアンなら問題ないだろう。念のためいくつかの巻物を抓む。
「戦える者はおらんか!」と前方の爺から声が聞こえた。
馬車の外に出ると、すでに数体のゴブリンが血の海に沈んでいる。ひゅっ、と森の影から矢が飛び、少し離れた地面に刺さった。
「秘跡、クレア・ド・ルーン」
踏み固められた街道と、辺りの森の土が白く光り出す。陽光のように強いものではなく、月が照り返すような冷たい光だ。
夕暮れ時の深い森がふわりと明るくなり、異形の姿を暴き出す。
「ミアン! 東に弓兵が二!」
「秘跡、ソブレ・ラス・オラス」
白磁の甲冑が森に踏み込んだ。
ミアンは傾斜も、足場の悪さも関係ないかのように木々の隙間を突破してゴブリンに肉薄した。驚いた怪物が放つ矢を剣で弾き、翻した刃が肉塊を作ってゆく。
「ホブだ! 手を貸してくれ!」
爺の声が聞こえる。
あっという間にミアンはゴブリンを倒しきると、連中の持っていたナイフを拾い、
「秘跡、エクレール」
確か、武具に電気の力を纏わせる祈りの力だ。
ミアンは、青い光を帯びたナイフを馬車の前方へ投擲する。回転しながら飛んだ刃は、大柄で筋肉質なゴブリンの肩口に突き刺さり――。
次の瞬間、バンッ、と爆発音とともに怪物の左半身を吹き飛ばした。
「はい、魔石」
「ほとんどミアンが倒したのだ。君が使うと言い」
「こんな小粒じゃあもう位上がんないし」
「売ればそれなりの金になると思うが」
「いいから受け取りなって」
そう言ってミアンは紫色の結晶を押し付けてきた。
魔石を見ると、昔バカな闇屋仲間から聞いた話を思い出す。さる大賢者が小便に立つたび、地獄の苦しみに苛まれていた。
魔力を練り上げ魔法を使い続けていた所為か、体内の不純物を核にして結晶化した魔石は、ある時泣き叫ぶような痛みと共にポンッと竿から転がり落ちて、そこからは楽になったそうだ。
賢者の石は尿路結石だったと、闇屋仲間は神妙な顔で股間を抑えながら言っていた。あの時は笑ってしまったが、私も魔法を使い続ければ賢者の二の舞になるかもしれない。
そう思うと憂鬱になった。
魔物の身体を流れる魔力が心臓近くで結晶化した小石の数は、護衛の爺の分を合わせて八個だった。比較的大粒の結晶はホブゴブリンのものだろう。
「なかなかの群れじゃったのお。助かったわい」
「ダン爺の腕ならひとりでも大丈夫だったんじゃない?」
「いやはや、この老骨では守り切れていたかどうか」
護衛の爺は矍鑠としている。鎧はところどころが錆びていて、大剣も使い込まれてくたびれている。だが、足取りは大木のようにしっかりとしていて腕は確かだった。
おかげで被害は、ない。
そう思ったのだが。
「あ、あの」
同じ馬車に乗っていた少女が声をかけてきた。確か妹を連れていような。青ざめた顔色にミアンは優し気な声色で聞く。
「どうしたの?」
「どなたか、薬はお持ちではないでしょうか……」
少女に連れられて馬車に戻ると、5歳くらいだろうか、木床に寝かされた幼子が呻いていた。
「お姉ちゃん、痛いよ……」
姉が妹の袖をまくると、細い腕には傷口があった。ゴブリンの矢が掠めたのだろう。軽症だが、良くない。
ゴブリンの矢に当たると、傷口から細菌が入って感染症になってしまう。獲物を衰弱させる手軽な毒と言うわけだろう。
質の悪い。
「少し待っていろ」
人里離れて森を旅していれば一度は出会うと言われる魔物だ。自分のために醸造アルコールを持ってきている。
袋から緑色の壜を取り出し、コルクを抜いてざぶざぶと傷口を洗う。沁みるのか、少女がべそをかいてこちらの心も少々痛むが、やめるわけにはいかない。
「あの……何を……」
「酒精で傷口を清めている。ミアン、解毒の秘跡を。金は出す」
「私、癒し系統の秘跡は苦手なんだよね、得意な仲間がいて頼りっぱなしだったから」
聖騎士のくせに。
まあ、仕方がない。
ある程度はアルコールで消毒できている。血に乗って身体に回った分を解毒するくらいなら低質の秘跡でもいいはずだ。
「転送魔法、ブラックマーケット」
先程もらった魔石を手に持ち水晶を撫でる。
「トレード」
魔石は消え、紙質の違う巻物が握られている。
へえ、と呟いたミアンを無視して手早く紐解き、娘の腕に巻きつけた。
「秘跡、デザントクシカシオン」
魔力で刻み込まれた陣が淡く青色に光り、紋様が消えてただの羊皮紙に戻った。
「――まだ痛むか?」
「うん」
「では、この包帯で傷口を覆え。あとは痛みが引き、傷が塞がるまで安静にすることだ。熱が出るかもしれん。今のうちに滋養をつけておけ」
そう伝え、包帯とサンドイッチを渡す。
姉が困り顔で私を見た。
「大丈夫なのでしょうか……」
「ここでやれることはやった。後は神に祈ることだな」
姉は神妙な顔で俯くと、
「あの、今は持ち合わせが」
「今は良い。私はミゾン・デューのセドリックだ。金ができたら返しにきてくれ」
「セドリック……ありがとう。私はアニエス。このお礼は必ず」
アニエスは私の手を握り、下から覗き込むように礼を伝えてきた。栗色の瞳にはド真面目な色を帯び、紅い石がはめ込まれたネックレスが胸元で光って、慌てて目を逸らす。
金については正直期待していないし、くれてやるつもりでやったことだが、この瞳には真摯に応えなければ。
「無理はするなよ」
馬車の中なら底冷えすることもなかろうと姉妹に譲り、キャンプの準備をするためミアンを連れて離れ、薪を集めていると、
「お人好し」
茶化すようなミアンの声が聞こえた。
「何だ」
「お礼が返ってくる保証はないでしょ」
「貧する者に施しなさい、と国教にもあるだろう」
「本当にそれだけ? 見返りは求めないつもりなの?」
「だから何が言いたい?」
ミアンが言いたいことが分からず、苛ついて聞く。
こいつが訝しんだ通りこの国が保護する宗教に興味はない。私は盆には墓参りをして新年には神社に行く、日本によくいる無意識な神道および仏教徒だ。
せっせと他人を助けているのは、二度目の人生をこんなわけのわからない世界で薄ぼんやり過ごしていて、己の存在意義を見失いそうになったからだ。
「趣味だとでも思っておけばいい」
「人助けが?」
そうだ、と答える。
意味のない人生に耐えられるほど、私は強い人間ではない。
そしてそれをコイツのような若い女に言って、茶化された時のことを考えるとストレスが溜まる。
ミアンは薄ら笑いを浮かべながら、
「朴念仁」
「何を言う」
「アニエスって娘、あんたのことが気に入ったみたいだよ」
何をこいつは。こんな爺を捕まえて何を言うか。私はとっくの昔に枯れ――ああ、今はガキの姿だったか。
もしやコイツ。妹の治療の代価として、私がアニエスに身体の関係でも迫ると思っているんじゃないだろうな。そんなケチな小悪党ではな――いや、闇屋がケチな小悪党であることに変わりはないか。
ままならない。
「君は冗談が言えたんだな」
顔色ひとつ変えずに言ったのが気に障ったのか、可愛くない、とミアンは鼻で笑った。
はあ、はあ。
この世界に生を受けてから、眠りが浅くなった。
荒い呼吸が聞こえてきて目が覚める。
まだ夜が深い。
隣を見ると、ミアンが酷くうなされている。
はっ。はっ。
肌寒いというのに額には汗が光り、眉間には皺が寄り、奥歯を噛み締めている。
安眠という言葉からは程遠い。
これが毎晩だ。
どんな悪夢が彼女を苛んでいるのか。
消えかけた焚火に薪を焼べる。
はあ。は――
何度か薪を焼べるうち、ミアンの悪夢は去ったのか、静かな寝息を立て始めた。
見張りを引き受けたダン爺さんの方がよく寝ているくらいだ。
朴念仁、か。
女にかける慰めの言葉など持たない。
そんなものを身に着ける人生ではなかった。




