第72話 アリサ、最後の決断
バッと目を覚ますとドルマンが目の前にいた。その隣には小さいドルマン。
視界が途切れる前の風景と同じ。
どうやら場所は変わっていない。
少しクラっとするのはドルマンに血と魔力を吸われたせいだ。
「私、今、意識が飛んで…。一体どれくらい気失ってたの」
「安心しろ。ほんの数分だ」
なんだ、そうか…とホッとしながら辺りを見回して、また血の気がサーっと引いて行く。
「ねぇ、ルーカスは?ルーカスはどこ!」
消え入るように途切れたルーカスの声が今でも耳に残っている。必死に辺りを目で探す私をドルマンは無表情で見ていた。
「アイツはいない」
「え…」
ガンっと遠くの方で雷が落ちたような音がする。
振り返ると蜃気楼のようなぼやけた風景の中に王都が見え、その中央から黙々と煙が上がっている。
そして王都を飲み込むような黒煙の中で、ピカッと光ったり、一瞬赤く燃えるような炎が走っていた。
「まさか…あそこにいるの。ねぇ!」
「…そうだ」
「そ…んな。一体どういうこと!だってルーカスは人間を攻撃できないはずじゃない!ましてやエスティオには…」
ルーカスとドルマンに課した私の命令。
人間を傷つけてはならない。
そしてエスティオに逆らってはならない。
「ルーカスは狂乱の域に入った。もう死ぬまで止まらないはずだ」
「狂乱…」
「魔法で契約した魔物はその主から魔力がもらえなくなると狂う。だから魔力を与え続けなくてはならない。そうだろう?今のルーカスは残った最後の魔力をわざと使い切って、今は自身の血と生命を削って破壊の限りを尽くす。もはや意思もないだろう。アリーシャの命令もだから効かない」
「う…そ…」
地面の砂利を握りしめたその手の甲の、ルーカスの刻印がにじんで、そこにボタボタと涙の粒が落ちていく。
黒く美しい龍の刻印。
ルーカスが死ぬ…?
「早く戻らないと!ルーカスを助けに行かないと!」
「それは命令か?そうしたければ命令すればいい。ただルーカスの死が無駄死にになるだけだがな。今戻ったら間違いなく巻き添えを食う。そして今の俺は人間を傷つけられない。ただコイツは別だがな」
ドルマンの隣でしゃがみながら蟻の行進を見ている小さいドルマンを指差した。
「その子は…?」
ドルマンに子どもがいたとは聞いてないけどと思いながらじっと見ると、
「分身…。いや、切り離した体の一部というやつか…。俺も初めて作ったから知らん。魔力封じの鎖を解くのに必要だった。それだけだ」
体の一部と称された小さいドルマンを見る緋色の目には何の感情もなかった。
ただドルマンは淡々と話している。
だがドルマンだって逃げるのに相当な魔力を使ったはずだ。平気そうに見えるだけで、残っていたほとんどの血と魔力をあの分身に費やしたのだろう。
今のドルマンは私の血と魔力でかろうじて動いているだけ。それでも私を食い尽くさないのは、やっぱり私が主だからだろうか…。
きっとルーカスは私を逃がすために自分を犠牲にして戦っている。
それが最善とでも言うようにドルマンは私をこの場所まで移動させたのだ。
じゃあ、ドルマンの命令を解く?
人間を殺してもいいから、だからルーカスを救ってほしいと?
そもそも今から戻ってルーカスを助けられるのだろうか。
感情に流されて戻るよりもルーカスの思いを無駄にしないで、このままドルマンと一緒に逃げた方が良いのだろうか。
「さ、行くぞ。もっと遠くへ」
ドルマンから手を差し出され、小さなドルマンもスクッと立ち上がる。
この手を取ったら一瞬でここから離れた、違う場所に移っているのだろう。
ルーカスの最後を私は遠く離れた瞼の裏で見て、そして涙するに違いない。
もう、私に出来ることは本当に何もないのだろうか。
闇魔法が使えるようになって、まるで全て自分の思い通りになると思って、それでは私もエスティオと同じではないか。
誰の支配も受けることなく、心は自由なものなのだ。
だから二千年前に闇魔導師は粛清された。
同じことを繰り返して一体何の意味があるのだろう。そんなことをして世界を手に入れようとするエスティオをこのままにしていいの?
こうしている間にもルーカスは魔導師たちから嵐のような攻撃をたった一人で受け止めている。
エスティオと刺し違えるつもりでも、エスティオは厚い魔導師たちの壁に阻まれてきっと生き延びるに違いないのに。
ノクスやディアナは?
アレックスやシュナウザー、そしてグレイソンも…。
協力してくれたフリードやライトやアースは…?
闇魔法で操られた魔導師たちは?
みんなさっきまでの私のように心の中で叫んでいるに違いないのに。
こんなことはしたくないと!
こんな形で死にたくないと!
今のルーカスを止めらるのは私しかいないのに!
その時、真っ黒な翼が空を覆ったと同時に、轟音が頭上で鳴り響く。
グギャガがガガガ―――――!!!!
「―――!!!」
耳を塞がずにいられない怒号が轟きながら、その真っ黒な翼たちは王都へと真っすぐに向かっていた。
その中から一つの黒い翼が私とドルマンの方へと降りてくる。
そして姿が人型に戻った時、私の目の前にはルーカスの父、ルシエルが悲痛な顔で私を見下ろした。
「息子が泣いている。助けてくれないか、嫁ならば」
その時、私はもう迷わなかった。
この命が尽きようとも、私はルーカスを助ける。
そして覚悟した。
全ての人を救えなくても、私の大切な人たちを助けると。
それはまさに命の選択だった。
でもその覚悟が足りなかったのだ。
「ドルマン、私はあなたに課した命令を解除する。私の大切な人たちを守って。そのためならば多少の犠牲はいとわない。その罪は私が負う」
ドルマンは人間の争いにまみれた欲望の血をその身に取り入れ、そして醜い欲望の化身となって罪のない人の命を奪ってきた。
まさに血で血を流すように、何度もそれを繰り返して。
そして今、私の欲望のためにドルマンにその血を流せと言っている。
所詮、私も人間なのだ。
「人間の争いというのは実に愚かしいものだな」
ドルマンはそう言うと、手を引っ込めて立ち上がる。
そして再び黒龍へと姿を変えたルシエルの背に乗り、私たちは王都へと向かって行った。




