第71話 心が暗闇に染まる時
「おぉ、素晴らしい。とても美しいよ、私のアリサ」
真っ白の聖職者のようなローブに金糸の刺繍が施された正装でエスティオが迎えに来ると、私は命令された通りにその場にただ立っていた。
大きな鏡の前に映る私は純白のレースドレスに包まれて、固まった笑顔をずっと真っすぐに向けている。
笑顔すら命令で強要されて、もう私の人格なんてどこにもない。
私の心も鈍くなって、どうせならもう何も感じなくなってくれればいいとさえ思う。
「ああ、口づけは式に取っておきたいがあまりに理想すぎて今ここでしてしまいたいよ」
エスティオは私の腰に手をまわすと、そのまま頬を手でさすって私の唇を指でなぞる。
どうせなら体の感覚を奪ってほしかった。
そうすれば触れられてもただ映画を見る様に、他人事のように考えられたかもしれないのに。
体を触られた時に感じる嫌悪感はどうしても拭いようがない。
嫌だ!気持ち悪い!とはっきりと感じてしまう。
これがルーカスだったらどんなに嬉しいだろうか。
ルーカスだったら…。
いっそのこと目をひたすら閉じてルーカスだと念じてしまえば、私の心だけは幸せな所にいられるかもしれない。
だってもう私には心しか残っていないんだから。
「さぁ、行こうか。私の手を取りなさい、アリサ」
手が震えながらエスティオの方へと伸びていく。
お願い…。
ちょっとでいいの。
ほんの少しでいいから私の言うこと聞いてよ…。
― エスティオの手なんて取りたくない!
だけど私の手はしっかりとエスティオの手を握っていて、
「よし、いい子だよアリサ。今日は君を最高の花嫁にしてあげよう」
そうして手を引き、私はエスティオに連れられ大きな大聖堂の前まで来る。王宮内に建てられた普段はミサに使われていた所。
信仰なんて持ち合わせていなかったから、もちろん入ったことはないけれども、まさかこんな形で足を踏み入れることになるとは誰が予想できただろう。
外は魔導師たちが物々しく警戒している中で、大聖堂の扉が開かれる。ステンドグラスの光に照らされたバージンロードの両側には、魔塔の重鎮やら初めて見る高貴そうな人たちが拍手で私たちを迎えていた。
嫌だ!
嫌だ!
やっぱり嫌だ!
エスティオと結婚するなんて絶対に嫌だ!
けれども奥に立つ神父にどんどんと体は近づいていって、最後のどん詰まりのところまでくるとエスティオが私を見下ろし舌なめずりをした。
― ぞくっ……
気持ちは今にも吐きそうなのに、笑顔で微笑む私の顔。
ルーカス以外の指輪をはめたくないのに、手袋をはずして受け入れる私の薬指。
誓いの言葉なんて言いたくないのに、勝手に動く口。
最後に誓いのキスをと言われ、
ゆっくりとヴェールを上げられ…
腰に手をまわされ引き寄せられて…
「今夜はこの続きだ。楽しみだ…」
エスティオの声が、息が…
― ……終わった。
もうその後のことなんて何も覚えていない。
目に映るもの感じるものすべてがどうでもいい。
心を殺して、何も考えずに、ただ人形のように生きればいい。
メイドのような人たちが私のドレスを脱がせて、薔薇の花びらが浮かぶ湯舟に浸からせて、どこもかしこも綺麗に磨かれ真っ白なナイトドレスを着せられる。
奥の部屋へと連れてかれて、日が暮れるまでじっとベッドの端に座っている。
これから起こることが本当の地獄なんだと思いながら、まだそんな思考があったのかと目を閉じる。
もう何も考えたくない。
何も感じたくないし、何も見たくない。
耳だってもう何も聞こえなくなってしまえば…!
そう強く思っても私の願いは虚しく打ち砕かれるのだ。そうやって希望も期待も何度となく消されていく。
やがてギ―っと重い扉が開く音とともに、アイツの近づく足音がする。
そして次の瞬間には最も聞きたくない声がする。
「新婚初夜らしくていいじゃないか。アリサ、目を開けないさい」
見たくない!
見たくないのに!
自分の意志で閉じたはずの瞼が開き、視界には水色の髪といやらしい目つきのブルーの瞳。
「これは食べ甲斐がありそうだ…」
エスティオは私の手を取ると指先をベロっと舐めこちらをじっと窺った。
「ふむ。やはり物足りないな…。人形を抱いてもつまらないということか」
エスティオは私をベッドに寝かせると上から覗き込むように命令した。
「アリサ、表情と言葉を意志のままに示せ!」
自分の顔と声が一気に戻る。
すると私の瞳からは涙がこぼれ口からは心の叫びが溢れ出た。
「ルーカス!ルーカス!会いたい!会いたいよ…うっ…うっ」
自分でも意外だった。
もし声が戻ったらエスティオをこれでもかというくらい罵倒してやろうと思っていた。
もし表情が自由になったら睨みつけてやろうと思っていた。
けど、出てくるのはルーカスのことばかり。
抱き締められた時の温もりや、ほっこりする笑顔、幾度となく囁いてくれた「大好き」の言葉。
初めてはルーカスとするものだと思っていたのに。
「ほう、これはこれは…。もうとっくに精神は壊れているかと思っていたが。初夜に他の男の名前を叫びまくるとは、何とも許しがたいことだ。少しばかり手荒にしても問題あるまい」
抵抗できない体を押さえつけられそのまま首筋に唇を押し付けられると、私は死に物狂いで泣き叫んだ。
「ルーカス!!ルーカス!!…嫌っ―――――!!!」
ぷつっと意識が遠のいた時、微かに遠くの方で声がした。
(…リ―!…ァリー!)
頭の奥底から響く胸の締め付けられるような懐かしい声。
(…ァリー!…アリー!)
(…!ルー…カス…。ルーカス!)
幻聴かなと思った。
だってこうしてエスティオに支配されてから何度となく呼んだのに、ルーカスの声は一度も聞こえなかった。
闇魔法の影響なのか、ルーカスとの心の声が途絶えてから私はルーカスが生きていることだけが唯一の救いだった。
右手の甲に刻まれた黒龍の刻印。
これだけが最後の心の拠り所だった。
(ルーカス…、ルーカス!!助けて…助けて――――!!)
(アリー!俺の愛しいアリー。大丈夫、すぐに助けてあげるよ。もう何も心配するな。あと…最後に声が聞けて…よかっ……た)
― ルーカス……?
その瞬間けたたましい轟音が鳴り響く。
「何だ、一体…!」
エスティオがバッと顔を上げて私から離れた時、ドーンと地震のような衝撃が建物全体に振動した。
そして続けざまに大きな振動と揺れが部屋全体を襲っている。
「何が起こってる、一体!!!」
ベッドからエスティオは飛び出すと扉が開かれ奥から魔導師たちが慌てて駆け寄った。
「エスティオ様!黒龍が、黒龍が牢をぶち破り暴れてます!すでに三つの魔塔が破壊され、空中宮殿の維持が困難に…!防御シールドもあまりの破壊力に限界で!」
「ば、馬鹿を言うな!黒龍は魔力封じの鎖で捕えていたはずだ!そんな自由に動けるが!」
「しかし現に外で…。魔導師たちの攻撃をくらっても痛みを感じないのか、この宮殿…いや、この王宮ごと破壊する勢いで…!」
ルーカスだ…。
ルーカスなんだ…。
ルーカスが私を助けに来てくれる…。
私は自由の制限された体を動かしベッドから起き上がると、目の前には見たことのある顔の子どもが立っていた。
― え…。どっから入って…。
「アリーシャ、手!」
あ、あ…手ね、と思いながらその子どもの手を握ると、ひゅんと目の前が真っ白になる。
微かにこちらを振り返るエスティオと叫ぶ声がしたが、それは一瞬のことで消えてしまう。
あ…これ、ドルマンの瞬間移動だ…と、思った時にはすでに私は別の場所に飛ばされていた。
「痛っ!」
ドサッと地面に体をぶつけ見上げると、そこには真っ白な髪に真っ赤な瞳の三歳児くらいの男の子が手をパンパンと叩いていた。
「ボク、まだ、慣れてないんだ」
たったっとその男の子が駆け寄った先には、木を背にして寄りかかりながら座るドルマンの姿があった。
「いや…上出来だ」
「ドル…マン…?」
真っ白な顔がさらに青白く見えるドルマンは今にも閉じそうな目で私にフラフラ近づいて来る。
「とんだ迷惑だ…。取りあえず血と魔力をよこせ。話はそれからだ」
ルーカスは?
ルーカスはどこ、と思った時にはドルマンに腕を噛みつかれていた。
ぐらっと一気に吸い上げられた魔力と血で、私の意識はそこで途切れ…そしてまた真っ暗な視界の中に落ちていったのだった。




