第70話 ルーカスとドルマンの奇妙な絆
私は日を追うごとに綺麗になっていった。
リュッセント王国の王都が近づくにつれ泊まる所が豪華になり、ただの水浴びのようなお風呂からシャワーへ、そしていまではバスタブに薔薇が浮かんでいる。
髪の毛にも香油が塗られ美しいキューティクルの金髪が肩から胸へと流れている。
服も魔導服ではなく清楚なドレスを着せられ、まるでお姫様…というよりエスティオの妃にふさわしい外見に整えられていく。
本来のバラ色の頬にも艶が出て唇にはプルンとしたリップを塗られて。
鏡に映る私は確かに以前よりも格段に綺麗になっていた。
でも、外見が整えられて綺麗になるほど私の心は死んでいく。
この姿がエスティオのために磨かれていると思う程、瞳の奥底に私の魂は沈んでいく。
闇魔法など所詮は人の意志の強さの前には負けてしまうものだと、私はそう思っていた。
だから私は一生懸命に抗った。
あの絶望にも満ちた「月島ありさ」の魂が囚われてしまった日の次の日も、その次の日も…。
エスティオが私に命令するたびに全身全霊で拒否を示せと、私は心の底から叫んでいた。
でも、その度に打ち砕かれる希望と勝手に動く体に小さな諦めの色がにじんでいく。
こんなことしたくないのに!
エスティオの命令なんて絶対に従うものか!
お願いだから誰か助けて!ルーカス助けて!
だけど私の魂の叫びはどこにも届かない。
私自身の体を自分の意志通りに動かせないことがこんなにも屈辱的で悔しくて、そして自分自身を無くしていくものだとは思わなかった。
思えば私も同じようなことをしていたのだ。
ルーカスに。
ドルマンに。
特にルーカスには私に触れるなと命令したこともあった。
あれがどんなにルーカスを追い詰めただろうかと今あらためて思う。
自分の体が自由に出来ないことがこんなにも辛い。
悔しさからか、悲しさからか分からない涙が何度も目からこぼれ、それでもエスティオの隣に微笑みながら鎮座する日を繰り返し、遂には涙さえも出なくなってしまっていた。
反抗的なマリオネットはいつしか本当のマリオネットに成り下がる。
もう全てを諦めてしまって楽になってしまいたい。
エスティオは私を人形のように着飾りその様子をわざとルーカスの前でチラつかせ、時には手や頬にキスをすることを強要する。
幸い唇にすることはないがそれも時間の問題だ。
彼の中では純白のドレスに身を包んだ私に結婚式で口づけすることが決まっており、その夜に私の全てを捧げさせる計画を毎夜のように聞かされる。
まさに地獄。
死ぬことすらできないこの地獄が死ぬまで続く。
こうして私は私の意志を保てなくなっていった。
そして何日か経った日のこと、目が覚めると私は純白のウエディングドレスに身を包んでいた…。
♢♢♢
魔力封じの鎖で拘束されてから一週間が経った。
ここはリュッセント王国の牢獄だ。
空間移動の魔法陣で転移させられたが、おそらく黒の魔塔の地下牢だろう。上から魔物たちの息づかいがする。
吸血野郎も俺の向かいの牢獄で同じように拘束されている。
暗くてよく見えないがフーフーという何かを堪えるような息づかいと、ポタッポタッと何かが垂れる音がする。
魔力切れになると魔物は自我を無くして狂ってしまうと聞くが、アリーと契約している俺はアリーからしか魔力が得られない。
前に魔力をもらったのはいつだっただろうか。
五日前…、いや六日前か…。
エスティオの野郎に命令された少量の魔力だけ指先から流され、その後はアリーがアイツの頬にキスするのを見せられた。
狂ってしまいそうだった。
全身の血が沸き立つような殺意がかけめぐって、鎖を引きちぎってやろうともらったばかりの魔力を開放して。
でも結果は惨敗だ。
少ない魔力では黒龍になることはおろか、魔力封じの鎖すら解くことが出来なかった。
エスティオの勝ち誇った嫌味な顔が目にチラつく。
「っくそ!」
ガシャッと拘束している鎖が擦れた音が冷たく狭い部屋に響いた。
「騒がしいな…。黒龍というのは存外短気だったか」
向かいの牢に閉じ込められたドルマンが久々に声を発した。
拘束されてからしばらく何もしゃべらなかったが、奴だって魔力は相当減っているはず。
そんなに余裕でもないだろうに。
「吸血魔族の王でもどうにも出来ないか。死はないと言っていたがさすがに厳しいんじゃないのか」
「そうだな…。でも俺に死は存在しない。この体の心臓が止まっても血と魔力さえあれば生き返る。体は朽ちることなく獲物が近くに来るまで眠るだけだ。死があるとしたら…それは…」
珍しくドルマンがたくさんしゃべっていたところで奥の魔法陣が作動する気配がした。
当然ながら俺たちはすぐさま静かに気配をさぐる。
奥からコツコツと足音が近づくと、その女は俺の牢の鍵を開け部屋の中に入って来る。
「あら、ルーカス。元気してたぁ?」
黒髪をなびかせるその女を見て、また怒りが湧いて来る。
南の龍族の女、リタ。
アリーと出会う前から俺にずっと纏わりついて求婚を迫っていた。アリーと出会う前はもうこの女でもいいかと思ったこともあったが。
「何しに来た、リタ。俺はお前の顔など見たくないんだが」
「そんなこと言わないでよぉ。せっかくいい知らせを持ってきたのにぃ」
まったく相手にしていなかったが今はこの纏わりつくような声も話し方もイライラする。
「いい知らせ?」
「ええ、そうよぉ。でも、ただじゃ教えてあげないっ」
拘束され抵抗できない俺に近寄るとそのままリタは俺に唇を押し付ける。
「っ…やめろ、気持ち悪い!」
すぐさま俺は顔を横にして唾を吐き捨てると、リタはパンっと俺の頬を打った。
「気持ち悪いですって!あたしが惚れてると思って調子にのってんじゃないわよ!」
その後も腹と膝に一発ずつ蹴りをくらうと、俺は魔力が切れそうなのもあって足元がふらついた。
すかさずリタはそんな俺を支えると耳元で「ごめんねぇ」と癪に障る声を出す。
「だってルーカスが悪いのよぉ。気持ち悪いとか言うから」
「っく…」
「あたしねぇ、やっぱりルーカスのこと諦めきれないの。あのお嬢ちゃんが死ぬまで待ってられないのよぉ。でもこうしてルーカスが私のものになるのも悪くないわぁ」
リタというのはこんな女だったかと思いながら、俺はアリーのことばかりを考えていた。
今、アリーはどうしているのか。
アイツにどんな命令をされて何をさせられているのか。
考えたくないことばかりが頭をよぎってしまう。
「いい知らせって何だ」
この女のいい知らせなんて俺にとっては悪報に決まってる。
早く聞き出さなければいけない。
リタはもったいぶるように「どうしよっかなぁ」と呟いて、そして俺にまた体をくっつけてくると耳元近くで声を出す。
「うふふ、実は今日、結婚式なのぉ。一体誰のかしらねぇ」
「なっ…」
― 結婚式!
そんなの誰かなんて言わなくても分かり切ったことだ。
アリーがアイツのものに…?
そんなの絶対にこの俺が許さない!
「ふざけるな!」
「ふざけてないわぁ。それに見て、コレ。この指輪、あのお嬢ちゃんからもらったのよぉ。ルーカスとの婚姻の証。これがあたしの指にあるってことは、あたしがルーカスの嫁ってことよねぇ」
それは俺がアリーにあげた指輪だった。
紛れもなく俺が送ったもの。
龍族の亡骸からとれる金の鉱物に俺の魔力を込めた、世界に一つだけのエンゲージリング。
「返せ!それはお前のものじゃない!」
「ふふ、何とでも言ってちょうだい。でも、あのお嬢ちゃんはもうエスティオのモノだから。ルーカスも早く忘れてあたしの方を見てよねぇ。じゃ、あたしは式に出るからまた後でねぇ。今夜はお嬢ちゃんも女になるんじゃないかしら」
カっと血が頭にのぼってガシャガシャと鎖が音をたてる。
「やめろ!絶対そんなの認めない!アリー!!今すぐ逃げろ!…逃げてくれ」
今の俺は無力だ。
魔力封じの鎖に縛られたかが牢屋から抜け出すことすら出来ていない。
「夜はあたしたちも楽しみましょうねぇ」
リタは最後まで気色悪いことを残して去って行った。
人間どもの考えなど尊重せずにさっさとアイツも一緒にいる魔導師たちもみんな一気に消し去ってしまえば良かったのに。
「っくそ!っくそ!どうしてこの鎖は取れないんだ!」
ガシャガシャと鎖が音をたて俺の声だけが虚しくこの地下牢に響いている。
するとやっぱり対面の牢から吸血野郎の声がして、
「っち、騒がしい…」
「何だと!」
「無駄な魔力を使うなと言ってるんだ…」
そう言えばさっきからフーフーという息づかいとポタポタと垂れる音。吸血野郎の声もどことなく切羽詰まってる感じで…。
それに微かに漂うこの血の匂い…。てっきり牢に染みついた匂いだと思っていたが。
「おい、吸血野郎…お前どっか怪我してるのか」
「怪我ではない。血を絞りだしているのさ。このまま深い眠りにつくのは後味が悪いからな」
「血を…?」
「俺の血から簡単に言えば分身をつくっているんだ。分身には魔力封じの鎖は関係ないからな。小さいがもうすぐ出来る。さっきは黒龍の女に気づかれないか少し警戒したものだ」
「お前、そんなことも出来たのか…」
すると少しばかり弱った声で、
「お前ではない。ドルマンだ。いい加減その吸血野郎というのはやめろ」
「ならばお前も黒龍はやめろ。ルーカスという名前がある。そうだろ、…ドルマン」
「ああ、そうだな。…ルーカス。そしてあんな人間風情に俺たちがやられっぱなしで言い訳がないだろう。いい加減、魔族の本領を発揮したらどうだ」
「本領ね…。そうだな、まずはこの鎖から何とかしてもらうか。おま…ドルマンの分身には相当頑張ってもらうぞ。その後は俺たちに手を出したことを後悔させてやろう」
魔力が少ないせいか魔族本来の血が騒ぐ。
暴走しないようにとその血を抑え込んでいたが、もうそうする必要はないだろう。
魔力枯渇した時の最期の狂気。
それは自身の血から魔力を自ら作り出すこと。魔族の血が悪に染まる時、その感情の向かう先ににはもう戦いしか残らない。
アリー、ごめんな。
俺はやっぱり人間は好きにはなれそうにない。




