第53話 ドルマンの記憶
「ただしその勇気があれば…だがな。」
皮肉めいた表情のドルマンの瞳は深い血の色をしていた。
一瞬シンと静まり返った部屋の中で、グレイソンがゴクリと唾を飲み込んだ。
「その記憶を探るというのはどうすればいいのかしら?」
紫の瞳が真っ赤な瞳を見据えた時、ドルマンは舌なめずりをした。
「簡単さ。俺の魂の記憶を読めばいいんだ。何の抵抗もしない今の俺からなら出来るはずだ。魂に支配魔法をかけられるなら、魂に刻まれた記憶を見ることだってできるはずだ。」
「簡単に言ってくれるわね。」
グレイソンは額から汗をタラりと一筋流すと、無理やり口角を上げた。
「因みに紫目のアンタでも出来るさ。黒魔導師なら魔物相手はお手の物だろ?」
「ということは私は当然出来るのよね。なら、私が…。」
そう言いかけたところでグレイソンが遮った。
「ダメよ!やるなら私が先にやるわ…。」
「ほぅ…。俺はどちらでも構わないぞ…。」
薄っすらと笑みを浮かべるドルマンに底知れない恐怖を感じつつ、私はグレイソンに噛みついた。
「どうしてダメなんです?ドルマンは私と契約した魔物です。なら当然私がするべき事じゃないんですか?」
グレイソンは言いたくなさそうに顔を歪めた。
「だとしても先にするのは私よ。私の方がまだ耐性があるわ。」
「耐性って…。」
「記憶を読むということは、その記憶に刻まれた場面を見るということよ。二千年前の記憶を辿るのに一体どれだけの悲惨な場面を見るかわからないわ。何よりこれは初めて試みることよ。大事なアリーシャをここで潰す訳にはいかないわ。」
無理して笑うグレイソンに涙が出そうになる。
「でも…。」
するとルーカスは私をそっと抱きしめながら、涙が出そうになる顔を隠してくれた。
小さな声で「大丈夫だから」と言っているように聞こえる。
「おい、吸血野郎。本当にそんなこと出来るんだろうな?」
「ああ、原理道理ならな…。それにかすかだが数千年前の闇魔導師がそんなことをしていた気がするんだ。やり方はしらないがな…。」
人の血を吸い込んだような真っ赤なドルマンの瞳を見ながら、その時も気まぐれに血の雨を振らせて沢山の魔導師たちを死に追いやったのだろうかと考えていた。
どうしてそんなことをするのだろうと聞いたら、きっと意味などないと答えるのかもしれない。
死んでいった人の悲しみが分からないのかと聞いたら、分からないと答えるだろう。
でもそんなドルマンがなぜか可哀想に思えた。
彼は悲しいも嬉しいも、そして愛おしいも分からずにただひたすら続く時間を過ごさなければならない。
死んだ人間を傀儡のように扱い、多くの仲間を引き連れているように見せかけた孤独な生命。
もしかしたらドルマンは寂しいのかもしれないと、ふと思っていた。
私は息をフゥーとゆっくり吐いて気持ちを落ち着かせると、ルーカスの胸板をグッと押して離れた。
「グレイソンさん、一つだけ約束してください。無理そうならすぐに止めるって。」
「ええ、もちろんよ。無理はしないわ。」
優しく微笑むグレイソンを見ると、私の視界の端にじっとこちらを見ているドルマンの顔が映った。
「アリーシャ、俺の心配はしなくていいのか?」
「何でよ。ドルマンは何の心配もないでしょ。」
「そう…だな。心配などない。」
この時ドルマンを冷たくあしらったことを私は後悔する。
結局のところ私も周りもドルマンのことを何一つ理解していなかったということに。
♢♢♢
少し休憩を取った後、グレイソンはソファに腰かけた。
何が起こるかわからないため両隣にシュナウザーと私が座った。真向いにドルマンがゆっくりと腰かける。ルーカスは私のすぐ後ろで立って見ていた。
グレイソンはすぅっと息を思い切り吸うと目を閉じて気を落ち着かせた。
「やっぱり緊張するわね。しかも吸血魔族の王だなんて恐れ入っちゃうわ。」
いつものグレイソンらしい口調で話しているが、その声はどことなく震えている。
魔物相手であれば黒魔導師でも同じ力を発揮できる上に、研究を重ねて魂に制約魔法をかけるところまではグレイソンでも成功している。
今までは魂を支配する魔法だが、今回はその中まで入っていくというものだ。
私も何となくイメージ出来ているが、実際にやるとなるとどれだけ時間がかかるか分からない。
何せ私が最初に精神魔法をアレックスにかけた時は三時間もかかったのだから。
「じゃあ、やるわね。」
その言葉と同時にグレイソンは覚悟を決め、ドルマンの真っ赤な瞳を覗いた。
私の心臓はドクドクと音を立てながらグレイソンの様子を見守る。
しばらくするとグレイソンの紫の瞳は綺麗なピンクパープルに光り、ドルマンの真っ赤な瞳はさらに赤くなった。そうするうちにドルマンの目はどこか虚ろな、焦点の合っていない表情になりそのまま後ろのソファにもたれかかる。
傍から見ているとこんな感じだったんだと思いながら、おそらく今ドルマンの魂のカケラを見つけたのだろうと予想した。
うまくいっているようね。
時間もまだ十分しか経っていない。
ドルマンが脅すように言うものだから不安が大きかったが、実際にやってみたら案外何ともないのかもしれない。
よかった…。
私が思っていた不安が杞憂に終わりそうだと思いかけていた時、急にドルマンの体がビクッと大きく揺れた。
「ドルマン!」
私の声には反応せずドルマンの顔が苦痛に歪む。そしてそれと同時にグレイソンにも異変が起きた。
何とグレイソンの体が急に大きく痙攣し、目は大きく見開いたままシュナウザーの方へと倒れ込んだのだ。
「グレイソン!!」
「何だ!一体?」
慌ててシュナウザーがヒーリング魔法をグレイソンにかける。
と、同時に私はドルマンの方へと目を向けた。
「ドル…!」
私は言葉を失った。
彼の…ドルマンの目から涙が…。
赤い血の涙が流れていたのだ。
「シュナウザー、ドルマンにも!」
私はその時シュナウザーと呼び捨てにしていた。
彼しか回復魔法の魔導師がここにはいない。今頼れるのはシュナウザーただ一人なのだ。
そう思った時ルーカスの一言で私は目が覚める。
「アリー!魔法を使え!」
「魔法…。」
そうだ。
私は何をぼんやりしていたのだろう。私は闇魔導師なのだ。
グレイソンは無理でもドルマンの魂に記憶を呼び戻させないよう鎖をかける事なら出来る。
そしてそれが出来るのは私だけだ!
「ドルマン!」
私はドルマンの名前を呼びながら、彼の見開かれた真っ赤な瞳をカッと見つめた。
ドクドクと流れる血の涙に彼の苦しみが溢れている。
― アリーシャ、俺の心配はしなくていいのか?
さっきのドルマンの声が蘇る。
きっとわかっていたのだ。
記憶を辿るということは同時に自分にもその記憶が戻って来るということを。
「ドルマン、今助けてあげる。」
私の瞳がピンクに光り目に魔力が宿る。
そうして見えたものは…ドルマンの魂が宿る世界。
真っ赤な血の海のドロドロとしたものが纏わりつくような中にドルマンの魂核はあった。
彼の魂は…透き通った空の色だった。
元はこれだったのかもしれない…。
そう思いながら私は魂に鎖をかける。
『汝の魂に刻まれし記憶のカケラよ…元の場所へと封印せん!』
すると周りに纏わりついたドロドロの血の海がどんどんと、あの綺麗な空色の魂の中へと吸い込まれていく。そうして纏わりついた血の赤をすべて吸収した時、彼の魂は真っ赤になっていた。
ドルマンの言うところの記憶を消去するというのは、自分の魂の中に閉じ込めるということなのだろうか。気づけばあの真っ赤になった魂の周りは澄んだ海色になっていた。
どこかで見た風景だと思ったら、最初にドルマンに連れ去られた時に窓から見えた海に似ていた。
そうして私がドルマンの魂に鎖をかけた時、もう彼の瞳から流れていた血の涙は止まっていた。
「アリーシャ、お前がやったのか…。」
「そうよ。」
「俺の魂…どうだった?やっぱり血に染まっていたか?」
「…いいえ。綺麗な空の色だったわ。」
その時、ドルマンのいつものしたり顔ではない素直な笑みを微かに見た。
私のすぐ後ろではグレイソンがごほっごほっとせき込む音がする。
振り返るとグレイソンは血を口から吐いていた。
「助かった…わ。アリ…ーシャ。っつ。」
すかさずシュナウザーが回復魔法をかけているので、何とかなりそうだ。
再びドルマンの方へと目を向けるといつもの顔に戻っていた。
「ドルマン…。」
「何だ…。そんなに見るな。また甘い魔力が出てるぞ。」
今の私は目に魔力を込めていない。
それは瞳の色でドルマンも気づいているはずだ。
なのにそんなことを言ってまで見られたくないというドルマンにほんの少しだけ愛着が湧いた。




