*スクのこと
どしゃ降りの雨の中、家の前に一人の男が立っていた。
マントで学園の関係者ということは分かる。
ただ辺りは暗く、顔が見えなかった。
「だれ?」
そう尋ねると同時に雷が落ちて、空が明るくなる。
その一瞬だけ見えた顔に目を丸くして、慌てて家の中に招き入れた。
「スクじゃん、どうしたの」
珍しく落ちた雷のことなんて忘れて、とりあえず近くにあったタオルでスクの髪の毛を拭く。
「ロト先生……」
顔を上げたスクの目は、真っ赤になっていた。
*
懐かしい夢を見た。
ベッドから身体を起こし、頭を掻く。
なぜ急に、あんな夢を見たのか。
机の上に置いていた手紙に目を向ける。
「どうしたものかなあ」
それは、スクの親からの手紙だった。
*
「あ、おはようロトちゃん! あのね」
「ごめん、スク。ちょっと学園に行ってくる」
「え?」
薄紫色のローブを着て、マントを羽織ったロト。
学園での正装だ。
杖を手に取って、ポケットに押し込んだ。
「今日は学園に行かないんじゃなかったの?」
「急用なの。帰りはいつになるかわかんない。でも明日の朝までには戻ってくるから」
目をパチパチさせたスク。
突然そんなことを言われても困るだろう。
藤田たちも不思議そうな顔をしているのが分かった。
戸惑った様子のまま、スクは頷いた。
「うん、わかった。いってらっしゃい」
庭に出て箒を手に取ったところで、あ、とロトは振り返る。
「スク、来年も学園に行きたいんでしょ?」
その言葉に、スクは目を丸くした。
「……うん。俺は学園に行きたい」
「わかった」
その言葉があれば十分だ。
箒に座って、ふわりと浮いたロト。
そのまま夜の空へと飛び上がった。
思い出すのは、スクの親からの手紙の文面。
スクも三年生になり、今後の進路をどうするのか、と悩んでいるのは知っていた。
そして、ロト自身もどうするべきなのか、とずっと悩んでいた。
ロトもスクも、覚悟を決めなければならなくなったのだ。
「学園に行きたいって言ってる子を、先生としても放っておくわけにもいかねえもんなあ」
空の上でそうぼやく。
ひとりの学生にここまで肩入れすることになるとは、昔は思っていなかった。
魔法の実力はあるがどこか頼りない先生とまわりからは言われ、ロト自身も学生の顔と名前を積極的に覚える方ではない。
スクはそんなロトを信用して、家にまで転がり込んできた学生だ。
あっという間に学園の門にたどり着く。
さすがに空に浮かんだままでは入れないため、地面に降りて門番に軽く頭を下げる。
この時間に来るのは珍しいからか、門番には目を丸くされた。
「ロト先生。どうされたんですか? 授業は終わっている時間ですよ」
「知ってるよ、急用なの。スクのことで話がしたくて来たんだ、どこに行けばいいかな」
スク、と口の中で呟いた門番も、すぐに誰のことなのか分かったらしい。
そのくらい、スクは学園で有名な学生だ。
「学生課でしょうね」
「だよね、ありがとう」
ロトは頷いて、踵を返した。
そのまま飛ぼうと、手に持っていた箒に座りかけたら、背後から声をかけられた。
「ここはよくても、建物内は飛行厳禁ですからね」
「はーい、気をつけるよ」
肩をすくめて、ロトは浮き上がった。
門からの長い通路を抜け、そのまま学舎に入っていく。
箒から降りるつもりは最初からない。
「建物の中は飛んじゃダメっていうけど、歩くには広すぎるんだもん」
そのまま、バレない程度に急いで学生課へ向かった。
夜のため、基本的な授業は終わっている。
学生たちは街にある自宅に帰るか、学園の寮で過ごすかどちらかのため、この時間に廊下を歩いている学生はほぼいない。
この時間に学舎にいるのは、先生か、誰かの弟子になっているような学生だけだ。
ちょうど学生課の前まで来たときに、誰かの足音が聞こえてきた。
まずい、とロトは慌てて箒から飛び降りる。
廊下の角から姿を現したのは一人の先生。
「あら、ロト先生。こんばんは」
「こ、こんばんは、タツ先生」
よりによってタツ先生だったのか。
顔をひきつらせながら、ロトも挨拶をする。
「ロト先生、どちらから来られました? 足音は聞こえませんでしたが」
「いや、その……いつ学生課に入ったらいいかな、と様子を伺ってまして」
タツ先生にじっと手に持っていた箒を見られ、ロトは目を泳がせる。
箒を杖に変えておけばまだ言い訳ができたものの。
「そうですか。てっきり私は建物内を箒で飛んだのかと思いましたよ」
「はは……そんなことをするわけないですよ」
そう言いながらも、状況が状況だ。
バレていないわけがない。
「ロト先生?」
「すみません……飛びました……」
諦めて謝れば、タツ先生に苦笑された。
珍しく、それ以上怒る様子はない。
「急いでいたようですが、学生課に用事があるのは本当なんですか?」
「あ、それは本当です。スクのことで」
「スク……あぁ、なるほど」
納得したらしいタツ先生は学生課のドアを開け、「どうぞ」と案内してくれた。
タツ先生は椅子に座ると、ロトにも椅子を勧めた。
「私が対応しますよ。学生課の担当ですから」
あー、と目を泳がせたロト。
正直に言うと、ロトはタツ先生のことが少し苦手だった。
ロトもタツ先生に教わっていたくらいの、大ベテランの先生なのだ。
人として苦手なのではなく、立場上苦手なだけ。
学生時代を知られている相手と話すのは、どこか気まずい。
「それとも、私ではない方がいいですか?」
「いえ! そんなことは!」
ロトは慌てて椅子に座った。
他の先生よりはタツ先生の方が信頼できる。
「箒は床に」
「ごめんなさい」
手に持ったままだった箒をやっと床に置いた。
タツ先生と話していると、学生に戻ったような気持ちになる。
「それで、スクと言っていましたね……まだロト先生が保護されているんですか?」
タツ先生が振り返ると、壁に並んでいる棚の扉が開いた。
棚から一束の紙が飛んでくる。
表面には『三年生 スク』と書かれていた。
学生の成績や家族構成などの、個人情報が記録されている冊子だ。
この冊子を見れるのは、基本的には学生課の担当の先生だけ。
「はい。スクの親から手紙が届くことがあるんですけど、それを見る限りはまだ家には帰せないかな、と」
「その手紙は?」
「あります」
ロトはポケットから手紙を取り出し、そのまま手渡そうとする。
しわくちゃになった手紙を見て、タツ先生は顔をしかめた。
「どうしてきちんと保管をしないんですか」
「すみません」
頭を掻いたロト。
ぐしゃぐしゃにするつもりはなかったのだから、仕方ない。
「……なるほど、スクは三年生ですからね。このあとどうするか、というところですか」
手紙を読んで、ふむ、と顎に手を当てたタツ先生。
「はい。スクは学園に通い続けたいって言ってますし、俺としてもそのくらいならなんとかできるんですが」
「俺」
「あ……私、です。はい」
そうだった、とまたロトは苦笑する。
タツ先生は言葉遣いにも厳しい。
先生であるならば、「俺」ではなく「私」と言いなさい、と何度注意されたことか。
それでも普段は「僕」で、学園では「俺」と決めているため、うっかり「俺」と言っては毎回注意されている。
「そうですね、スクは優秀な学生なんですけど……科目によってばらつきがある、と言いますか」
タツ先生にじとっとした目で見られ、ロトはあはは、と顔をひきつらせる。
「特に水魔法と風魔法が得意なようですが、スクは風魔法属性の魔力ですよね? どうして水魔法も同じ水準まで上がっているのでしょう?」
「それは……スクが努力したんじゃないでしょうか……」
苦笑しながら返すと、タツ先生はため息をついた。
「水魔法学の担当があなただから、と疑っているわけではないですよ。客観的に見てもスクの水魔法は評価相応ですから」
それはそうだろう。
ロトは知っている学生だからと言って、ひいきするような人ではない。
知っている学生だからこそ、少し厳しい目で見る。
そんな目で見ても、スクの水魔法は学年トップ相応のものだった。
「むしろ風魔法学のハナ先生が、一位だった学生を贔屓しているように見えますけどね。あの学生よりも、スクの方が風魔法は上手でした」
タツ先生の言葉に、ロトは目を丸くする。
「タツ先生はそう思いますか?」
「そう思いますよ。ロト先生はどうですか?」
ロトもずっと思っていたことではあったのだが、今までに言う機会がなかった。
ロトは風魔法学に対する権限は何も持っていない。
それが、タツ先生も感じていたことだったなんて。
「思ってました。ただ、水魔法学の先生としては風魔法学の先生と仲が悪くなるわけにもいかなくて」
「そうですよね。基礎魔法学の先生同士の仲が悪いとなれば、学生も気を使いますしね」
スクの記録を見ながら頷いているタツ先生。
「賢明だと思いますよ。火魔法学の先生と土魔法学の先生は仲が悪いので、学生が困っていますから」
そういえばそうだったな、とロトも苦笑する。
ロトは授業以外では学園にいないことでも有名な先生だ。
そのため、先生同士の関わりも少なく、良くも悪くも面倒くさい人間関係はない。
学園にあまりいないから、他の先生と揉めようがないのだ。
「スクが通い続けたいと言っているなら、学園としては歓迎できるものですよ。一部怪しい科目もありますが、全体としてはむしろ通い続けていただきたい学生ですからね」
パタン、と冊子を閉じたタツ先生。
「正式に、スクをロト先生の弟子にするのはいかがでしょう?」
「……俺の弟子?」
思わず「俺」と言ってしまったが、咎められる様子もない。
「はい。現状も弟子のようなものでしょう? そうすれば、学園としてもスクの親御さんに話を持ちかけることができますから」
うーん、とロトは唸る。
スクのことを正式に弟子にするかどうかは、かなり悩んでしまう。
スクは簡単にロトの弟子だと言うが、ロトの弟子という立場はかなりの責任がついて回ることになる。
スクがそこまで理解できているかどうかはかなり怪しい。
「それと、学園としての事情を申し上げるなら。ロト先生が弟子を取らないと、他の先生も弟子を取りにくいそうですよ。特に水魔法学が」
へ、と目を丸くしたロト。
確かに、弟子を取っている先生が今まで比べると少なめだとは思っていたけど。
「私に弟子がいないから、なんですか?」
「そうですね。自分の立場を考えてみたらいかがですか? そもそもあなたは水魔法学の最高責任者でしょう」
タツ先生の言葉に詰まる。
正論だ。
最高責任者が弟子を取っていないのに自分が弟子を取っていいのか、と他の先生たちが思ってしまってもおかしくない。
「授業の休講数も多いのですから、弟子を取って、ロト先生の代わりに授業をやっていただいた方がありがたいです」
「……はい。すみません」
思わず苦笑したロト。
ロトがきちんと授業をすることは諦められているらしい。




