ゾンビの世界に行きました②
もう一週間大村ユウジはゲートに戻ってきてない。
「今度こそ上手くいったのかな…。」
ゲートキーパーは呟いた。それなのに家に帰ろうと思えず、今日もソファーで寝ようとしている。あの人のことだから簡単に上手くやるとは限らないし、あくまでも念のためだとゲートキーパーは考えたが、心のどこかで、本当は、自分は大村ユウジの帰りを待っていることに気づいていた。
300年間、何人もの死者と会ってきたが、そこに関係性の発展はなく、転生させたらそれで終わりだった。時々うまくいかずに帰ってくる者もいたが、最終的にはそのまま輪廻の輪へと戻ってそれきりだった。
自分の役割はそういうものだと思っていた。
大村ユウジと出会うまでは。
ゲートキーパーは、今初めて孤独というものを感じていた。
一週間。
大村ユウジは飢えていた。
腹を食い破られ、内臓も無惨に食い荒らされた有様でゾンビとして蘇った時、大村ユウジは昔見た映画の話を思い出していた。その映画では、人間を食べなければ理性を失うことはなかった。あくまでも映画の中での話だが、大村ユウジは人として死ねる可能性があるなら縋りたいと思っていた。
意識までゾンビになって、ゲートキーパーの元へ帰ることはあってはならない。
大村ユウジは今回もまた自分が失敗したと思っていた。だから帰るところがゲートキーパーのいるゲートになる。今までの経験から、死んでゲートに戻った時、体は自動的に元に戻るが気持ちはそのままで、自力で切り替えていることに気づいていた。だから酷い死に方、殺され方をした後、泣いたり喚いたり、そして甘えてしまったりと醜態を晒してしまうのだ。自分の意識がゲートへの帰還を認識して、初めて気持ちを切り替えることができている。それがわかっているから、精神もゾンビになり、会話も意思の疎通も取れない理性を失った精神のまま、ゲートに戻ったら、自分はそこをゲートだと認識できるのか確証がない。もしかしたら精神を戻すことができず、ゲートキーパーのことを食おうとするかもしれない。だから人間としての精神を保たねば、人間としてあらねばと考えたのだった。
「なるべく人間的な生活を続ける…続けてれば大丈夫…続けるんだ…。」
大村ユウジはそう自分に言い聞かせながら、ホームセンターで手に入れた惣菜の缶詰を頬張るが、生ゴミのような、汚泥のような味がして喉が飲み込むことを拒む。
「う…ゔぉえ…くそっ吐くな…。」
結局、食べ物は何一つ喉を通らなかった。大村ユウジは無力感に苛まれ、一人、ホームセンターの床に転がっていた。
人間が食べたい…我知らずそう思い、気がつくと大村ユウジはジッと右手を見ていた。大村ユウジの好きなハンバーグやパスタのように魅力的に見え、腐った黒い唾液が口から溢れる。
「くそっ!」
今にも齧り付かんとしたその時、我に返り右手を左手で抑えた。するとベチャッと湿った音を立てて右手は千切れてしまった。痛みはない。腐敗が進んでいる。左手に持った右手に対して湧き上がる食欲を抑えきれず、大村ユウジは右手を投げ捨てた。ゾッとした。人肉への渇望は日増しに増えている。人でなくなりつつある。大村ユウジは恐怖を感じ、自分が人間を保てていると確認するために、朝、壁に付けている印の数を数えた。
「七本。一週間じゃん!おー。やったぞ。新記録だ。ゲートキーパーくんも流石に残業していないだろうな…。」
それならその方がいいと大村ユウジは思った。ここからいつまでゾンビの生を全うしてしまうのかはわからない。何週間?何ヶ月?もしかして何年?それだけ経てばゲートキーパーも、もう大村ユウジは輪廻の輪に戻ったと思って忘れてしまうだろう。
「あ…。」
大村ユウジの左目から黒い涙のように朽ちた眼球が流れ落ちた。もしかしたら涙だったのかもしれない。
大村ユウジは、何も求めない男だった。
お節介で要領が悪くてお人好しという生まれついての性格に逆らわず生きてきた。そこに献身はあれど、己のわがままに生きている結果としてそうなっているだけだから、見返りを求める理由がないというのが大村ユウジの考え方だった。
その後、浅香ヨウコのことがあってからは贖罪の気持ちも伴い、見返りを求めることは烏滸がましいとすら考えるようになっていた。
己が献身した相手であっても離れていけば、それを受け入れる。だから、死んだ後、自身の死因をゲートキーパーに伝えられた時もすんなりと受け入れ、否定はしなかった。
それが間違いであっても。
株式会社ハッピーハッピースマイルの営業。もう36歳、15回目の就職先でもあり頑張ろうと思っていた。一緒に回っていた先輩も毎朝缶コーヒーを奢ってくれ、可愛がられていると感じて励みになった。しかしある朝、先輩は姿を見せず、大村ユウジは自腹で缶コーヒーを買って一人で飲んだ。いつも二人で缶コーヒーを飲んでいるその時間に、先輩は売上を持って逃げてしまったのだった。
ほっとけばよかったのかもしれない。だが、毎朝、二人で缶コーヒーを飲んでいた時、娘さんが高校受験に失敗して私立に通わせることになってお金がかかるという話を聞いていた。だからと言って会社の金を持ち逃げしていいわけじゃない。それが犯罪であることはもちろんわかっている。でも、今なら自首して事情を釈明すれば、まだ後戻りできるのではないかと大村ユウジは考え、先輩を探して説得してみることにした。会社から離れるだろうと考えて、逆方向行きの駅のホームに行った。物陰に潜むようにして先輩は電車を待っていた。
「先輩!」
大村ユウジが声をかけると先輩は振り返った。その時、大村ユウジの目に映ったのは怯えと嫌悪の表情だった。そしてそれが最後に見た先輩の顔となった。
大村ユウジは、先輩により線路に突き落とされて死んだのだった。
見返りのない人生。求めない人生。そして終わった人生。それで過不足なかった。死んでから足りなかったことを思い知るとは思ってなかった。朽ちた目は涙のように流れ落ちる。
腐って、朽ちていく中で、大村ユウジは人生で初めて求めた。
帰りたい。




