25.お楽しみの!
「ひとまず駆け落ち娘と借金親父の親子会議はそっとしておけ。殴り合いでも始めるなら話は別だが、そんな様子もないだろう?」
アレクシス様の言葉に、私はうなずいた。
お嬢様の駆け落ち相手であるデズモンドに対しても、旦那様は激昂したり掴みかかったりする様子はない。どうやら話はしゅくしゅくと進んでいるらしく、ならば私が口を差し挟むことではないだろう。
「それより、そろそろ料理ができ始めたようだぞ。本来なら腹いっぱいベルに食わせたかったところだが、まあ今回は仕方ないな。街に出たドロッパゲは住民で分け合うのが決まりだ。むろん全員の口に入るわけではないが、みな今か今かと待ちかねているはずだ」
「…や、あの……。アレクシス、様……?」
私は困り果てて眉を下げた。
いかに魔物食大好きな私であろうと、さすがにさっきの今でドロッパゲを食べる気にはなれない。
ドロッパゲの姿を思い出しただけで鳥肌が立って、私は肩に掛けられた騎士服をかき合わせる。震えて黙り込む私に、そうか、とアレクシス様が優しく笑う。
「無理に口にすることはない。塩焼きは確かに希少だが、街の住民と違って俺たち騎士ならいつでも食べられるからな」
聞けば、アレクシス様は今日ドロッパゲを仮死状態にして街まで持ち帰るつもりであったらしい。
ただしこの方法は、万が一ドロッパゲが息を吹き返してしまった場合に大変なことになる。危険を伴うため、普通はほとんど行われないやり方だそうだ。
「つまり、職権乱用しようとしたわけですね?」
半眼になる私に、アレクシス様は悪びれもせずに肩をすくめる。
「騎士の人数さえ揃えておけば問題はない。無駄な仕事を増やすことになるから普段はやらないというだけだ」
「ふぅん……。てことは、今日のドロッパゲは街の人たちにとっては本当に貴重なんでしょうね?」
それならば、ドロッパゲを倒した後のあの喜びようもうなずける。
しみじみと納得していたら、アレクシス様も「その通りだ」と大真面目に肯定する。
「街が襲われるというのに、ドロッパゲを見つけたら住民は反射的に歓喜の叫びを上げるほどだからな。その後はむろん逃げ出すわけだが」
「…………」
もしや今日、私が最初に聞いた悲鳴って恐怖じゃなくて歓喜の悲鳴だったりする?
笑いをこらえていたら、鼻孔をいい匂いがくすぐった。
どうやら店の外から流れてくるようで、私は首を伸ばして窓の外を覗き込む。
(わ……っ)
いつの間にか、すっかり炊き出しの準備ができていた。
炭火を起こした網の上には、串に刺さった肉の塊が、そしてその周辺には薄切り肉が焼かれていた。焼けたものからどんどん取り上げられ、並んだ住人たちがうやうやしく持参の皿に載せてもらう。
「うっ、うんめぇ~っ!」
「くうぅ、久しぶりの塩焼きドロッパゲだ。泣けてくるぜ!」
「ああ美味しい、美味しいねぇ。寿命が伸びる心地だよ」
……ゴクリ。
思わず唾を飲み込む私を、アレクシス様が面白そうに眺めている。
私は慌てて身を引いて、再び騎士服をつつましくかき合わせた。わたくし、別に何も見ておりませんことよ?
じゅうじゅう。
じゅうじゅう。
肉の焼けるたまらない音が、嫌でも耳に入ってくる。
風に乗って流れてくる香りのせいで、急激にお腹がすいてくる。
「――領主様、それから領主様の奥様っ。あたしたち、こぉんな大きな串焼きを食べていいんですって! 功労賞ですって!」
魔物鈴を購入した商店の、店員のお姉さんが大皿を手に店内に駆け込んできた。
鉄串には四角く切られた大きな肉の塊が三つ刺さっていて、肉の表面には大粒の塩がまぶしてあった。こんがり焼けて、湯気が立っていて……ごくっ。
四本ある串焼きのうち、二本をお姉さんがひょいひょいっと取り上げる。
「はい、こっちはもらっていきますよ。あたしの分と、シャベルおじさんの分。お皿は置いていきますからねー」
「待っ」
「ああ、シャベルおじさんなら厨房にいるぞ」
ひとり動揺している間に、お姉さんは弾むような足取りで行ってしまった。
厨房に声を掛け、出てきた「シャベルおじさん」ことピエールさんと喜びを分かち合っている。二人同時に肉にかぶりつき、でれっと相好を崩した。
「…………」
テーブルに置かれた大皿に、私はちらりと目を落とす。
「…………」
焼けてる。
焼けてるよ。
これはもう……仕方なくない?
うん、仕方ないよね。
いいと思う?
うん、いいと思うー!
内なる己と脳内会議していたら、アレクシス様が澄まし顔で一本取った。
ためつすがめつ眺め、一番上の一切れにゆうゆうとかぶりつく。
うん、うまい。しみじみとつぶやくと、皿に残った最後の一本にも手を伸ばした。
「さて、こちらもいただくか」
「ちょっとぉっ!? それ私の分、ていうか自分の分がまだあるでしょうっ!?」
取られる前にと焦って最後の一本をかすめ取る。
アレクシス様はうつむいて笑っていて、私は真っ赤になってしまった。
「う、うう……! だ、だって、せっかくの好意だし」
「そうだな、悪かった。さ、いいから食べてみろ」
まだ笑みの残った目で、アレクシス様が優しく私を見つめる。
どきどきと音を立てる心臓には気づかないふりをして、ドロッパゲの串焼きに恐る恐る歯を立てた。
「……っ」
普通のお肉とは少しも似ていない、もきゅっとした不思議な弾力に驚く。
噛み切れないほどの硬さではなく、ゆっくりと味わいつつ咀嚼する。
鼻の奥を香ばしい香りが突き抜けた。
もきゅ。もきゅ。
ひと噛みごとに、肉汁が口の中にあふれて止まらない。多めに振られた塩が肉のうまみを見事に引き立てている。
これはもう飲み込みたくない。永遠に味わっていたい。
けれど、ドロッパゲの肉は弾力はあるものの硬くはない。
そういつまでも噛んではいられなくて、あきらめた私は早々に次の一切れに移ることにする。
もきゅ。もきゅ。むきゅ。
最後の一切れ。
ああ、食べたら終わってしまう。
もきゅ。もきゅ。むきゅ……ぅ。
「…………」
「そら、お代わりだ。俺の分も食べていいぞ」
ついっと口の前に串を持ってこられ、私は反射的にかぶりついた。
そのままだと食べにくいので、串を握る夫の手を上から握り込む。もくもくと味わい、目を閉じる。
惜しみながら最後の一切れまで堪能し、私はようやくほうっと息をついた。
「……それで、どうだった?」
答えなんかわかりきっているくせに、アレクシス様がにやにやして私に問いかける。
胸をぶつ振りをして、私は夫の服をぎゅっとつかんで引き寄せた。
「――人生で一番っ、美味しかったぁ!!」




