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『身代わり結婚』いただきます!不浄の辺境伯様は、どうやら私の◯◯がお気に召した御様子です。  作者: 和島 逆


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23/26

23.心のままに、泣けるのは

 その姿が目に入った瞬間、トカゲみたいだ、とまず思った。


 全身はざらざらした質感の緑色の皮膚に覆われ、体の両側から生えているのは腕ではなくコウモリのように薄い翼。

 のっぺりとした平坦な顔で、真っ黒で大きな瞳だけがギラギラと光っている。


 ひ、とマリアベルお嬢様が短く悲鳴を上げた。


「……っ!」


 その途端、トカゲの魔物がぐるりと頭を回転させてこちらを見た。

 ばっちり、目が合った。


「いやああああッ!!」


「――下がれッ! ベル奥様もだ!!」


 口から悲鳴がこぼれて止まらなくなったお嬢様を、私はとっさに引っ張った。

 真っ青なデズモンドが私ごとお嬢様を抱き締め、力ずくで後退させる。


 デズモンドの腕の隙間からピエールさんに目をやれば、ピエールさんの手に巨大なシャベルが握られているのに気がついた。


「どぅりゃあああああッ!!」


 ピエールさんがシャベルを大きく振りかぶる。


「頑張って、お客様っ! シャベルのお代わりならまだたくさんありますからねっ!」


 横薙ぎにシャベルでぶん殴られ、魔物が商品棚に激突する。

 会計をしてくれたお姉さんが、商品らしきシャベルを床にどんどん重ねていけば、ピエールさんが血走った目でお姉さんを振り返った。


「剣はないのかよ、剣はっ!?」


「うちは日用品店ですよ、ドロッパゲが切れるような剣があるわけないでしょっ!? せいぜい包丁、どっちがいい!?」


「ならシャベル一択だあああっ!! うおおおおおッ!!」


 頭を振って起き上がりかけた魔物を、ピエールさんが再び力任せに殴打する。物が倒れる凄まじい音が店内に響き渡った。


(あれが……、ドロッパゲ?)


 ぞわりと肌が粟立って、私は自分の体を抱き締める。

 足がガクガクと震えて立っていられない。痛いほどに腕をつかまれ、私ははっとして振り返る。


「ベルさん。マリアベル様を連れて、今すぐにここから逃げてくださいっ」


「……に、逃げるって。言われても」


 ピエールさんを置いてはいかれない。


 頭が混乱してうまく考えがまとまらず、私はただ首を横に振った。

 私に抱き着いて泣くお嬢様の涙が、服に染みて濡れる感触がする。その温かさに、やっと私は我に返った。


(入口は……壁が壊れてる。ドロッパゲは倒れているし、急いで横を走り抜ければ脱出できそう)


 すばやく店内に目を走らせ、決心する。

 デズモンドにお嬢様を託し、二人には辺境騎士団を呼んでもらおう。


「……っ、ベルさん!?」


 お嬢様をデズモンドの方へと押しやった。

 そのまま床に置いてあるシャベルに手を伸ばし、見様見真似で構える。

 店員のお姉さんも同じく臨戦態勢で、シャベルを傾けニッと口角を上げた。


「ドロッパゲがこっちに来たら、協力して滅多打ちにしてやりましょう」


「が、頑張ります。……デズモンドさん、お嬢様をお願いします。助けを、助けを呼んできて!」


「駄目です、ベルさん! ここに残って戦うべきは、あなたじゃなく僕の方だ!」


 私の手からシャベルを奪い取り、デズモンドが前に立つ。


「ど、どうかマリアベル様を。行ってください――……さあ!!」


「……っ」


 逡巡している暇はない。


 私はマリアベルお嬢様の手を引っつかみ、起き上がろうともがくドロッパゲの様子を確認する。

 深呼吸して、一気に横を走り抜けた。


「なっ!? ベル奥さ――……しまっ!?」

「マリアベルお嬢様、走って!!」


 華奢なお嬢様の背中を押して、私たちは店外へと飛び出していく。

 店の外には人が集まり始めていて、「逃げて!」と必死で叫んだ。


「騎士団を呼んできて! 中にドロッパゲがいるの!!」


「――伏せろ、ベル奥様ッ!!」


 ピエールさんのひび割れた声が追ってきて、私は反射的に地面に倒れ込んだ。

 お嬢様の背中を押さえて身を伏せれば、うなじがチリッと粟立った。突風に髪があおられて、すぐ側を何かが通り過ぎていったことを知る。


「ま、まずいぞ! ドロッパゲが外に出ちまったっ」

「おい急げっ、屋内に避難するんだ! ドロッパゲが飛び回れない場所に逃げろっ!」


(……あ……!)


 街の人たちのせわしない声を聞き、私はやっと己の失態に気がついた。


 そうだ。

 ドロッパゲは、障害物の多い場所では機動力が落ちて鈍重な魔物に成り下がる。


 ピエールさんがせっかく、教えてくれたのに……!


「マリアベルお嬢様、一人で立って! すぐに店の中に戻って!!」


「だ、だめ……。たて、ない……わ」


 私たちの頭上をドロッパゲが飛んでいる。


 あっちへふらふら、こっちへふらふら。

 羽ばたきを止めて落ちかけたかと思えば、すぐにグンと力強く上昇する。行っては戻り、離れては戻るを繰り返す。


 ――その間もドロッパゲの真っ暗な目だけは、ずっと私たちの方に固定されている。


「……っ、お嬢様、なら絶対にここから動かないで!」


「! いやッ、どこへ行くのベル!?」


 飛び起きるみたいに立ち上がった私に、お嬢様は悲鳴を上げてすがりつく。

 私は唇を噛み締め、彼女の手を取った。腰のベルトへと誘導し、プレゼントしたばかりの魔物鈴に触れさせる。


「……マリアベルお嬢様なら、大丈夫。この鈴が絶対に守ってくれますから。ね?」


 チリンチリン、という場違いに平和な音を聞きながら、私は口元に無理やり笑みを形作った。

 お嬢様の頬に流れた涙をそっとぬぐい、覚悟を決める。


(……もう、お嬢様を振り返ってはだめ)


 そう自分に言い聞かせ、今度こそ立ち上がる。

 頭上のドロッパゲに大きく手を振り、わああッ、とお腹の底から声を出す。真っ暗な瞳としっかり視線を絡ませてから、通りの向かいにある店を目指して駆け出した。


(……やっぱりっ)


 ヒュウッと風が巻き起こる音がする。

 粘りつくような視線が私を追ってきているのを感じる。


 予想通り、ドロッパゲは私ひとりに狙いを定めたのだ。


(逃げる相手を、真っ先に狙うんだ。だからドロッパゲは、私たちを追って店の外に出ちゃったんだ……!)


 死に物狂いで、走る。


 あと少し。

 あともう少しで、店の中に逃げ込める――!


「ベルッ! いやああああッ!!」


 お嬢様の悲鳴に、ぎゅっと目をつぶる。


 きっと今、私の真上にはドロッパゲが――……


「――ベル。しゃがみ込め」


 頭上から低く落ち着いた声が降ってきて、とっさに私はつんのめるようにひざまずいた。真っ白な頭のままで、言われた通り背中を曲げて小さく丸まる。


「ようし、いい子だ。――そして終わりだ、ドロッパゲ!」



 ――ザシュッ!!



 風を切る鋭い音のすぐ後に、ゴトンと何かが落ちる音がした。


 その瞬間、周囲にわっと歓声が弾ける。


「領主様だ! 領主様が一撃で仕留めなさった!!」

「屋根の上から降ってきなさったぞ!」

「ははッ、まさかドロッパゲが頭上を取られるとはなぁっ!」


 倒れ込んだときに膝を擦りむいたのか、じんわり痛い。

 うずくまって震えるばかりの私を、力強い腕が抱き上げて立たせてくれる。


「ベル。遅くなってすまなかった」


「……っ」


 怖かったろう、と優しく頭を撫でられて。


 こらえていた涙が一気にあふれる。

 包み込むように抱き締められ、安堵で胸がいっぱいになる。


「よしよし。もう大丈夫だから、泣くな泣くな」


「……む、りっ。とまんな、ふええっ」


「そうか、ならば泣け泣け。俺の側なら安全だ。安心して思う存分泣くといい」


 アレクシス様の、温かな腕の中。


 あやすみたいに背中を叩かれて、私は声を上げてわんわん泣いた。

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