21.逃さない、逃げられない
大急ぎで朝の身支度を整え、マリアベルお嬢様と二人で宿屋の階下へと降りる。
大あくびしながら食堂に入れば、すでにアレクシス様とデズモンドはテーブルについていた。デズモンドが大きく手を振って合図してくれたので、私とお嬢様も朝食の席へと向かう。
「……遅いぞ、ベル」
さわやかな朝だというのに、アレクシス様は不機嫌が爆発していた。
じろりと睨まれ、私は肩をすくめる。
「だって、朝寝坊しちゃったんですもん。お嬢様と遅くまでおしゃべりしてたものだから」
「おはよう、デズモンド。あなたはよく眠れた?『不浄の辺境伯』と同室なんて、少しも気が休まらなかったのじゃない?」
お嬢様が気遣わしげに問い掛ければ、アレクシス様の眉間の皺がますます深くなった。
デズモンドはアレクシス様を気にしながら、居心地悪そうに苦笑する。
「まあ……、いろいろとお説教はいただきましたよ」
「なんですって!? わたくしの大事なデズモンドをいじめたら承知しなくてよ!」
「それが出資者に対する口の利き方か?」
苦々しげに吐き捨てるアレクシス様を、私は「まあまあ」となだめた。
指で眉間の皺をぐりぐりと押して、にこっと笑いかける。アレクシス様の険しい表情がやわらぎ、頬が少しだけ赤くなった。
「夫。妻はお腹が減りました」
「昨夜あれだけ食べたのにか? 食欲旺盛で結構なことだ」
含み笑いをして、隣の椅子を引いてくれる。
マリアベルお嬢様もデズモンドの隣に腰を下ろし、まずは腹ごしらえすることにした。
どうやら先に注文を済ませてくれていたらしく、一体何人前あるんだ、というぐらい巨大なオムレツがすぐに運ばれてくる。魔鳥の卵で作られたものだそうだが、なんとこれで卵一個分しか使っていないらしい。
色は鮮やかなオレンジ色で、中には挽き肉(もちろん魔物肉)とキノコ(もちろん境界の森産)を炒めた具が入っていた。しっかりした味付けがやわらかな白パンによく合って、食欲が止まらない。
アレクシス様と分け合って競うように食べていると、お嬢様とデズモンドの皿には白パンとバターしか載っていないのに気がついた。
「お嬢様たちも味見してみます?」
「遠慮しておくわ……」
「僕もです……」
残念ながら、温かなスープも境界の森で採れた山菜をたっぷりと使用したものだった。
お嬢様とデズモンドにはほとんど食べられるものがなく、なんだか可哀想になってくる。
「普通の豚肉ベーコンとかないか聞いてきましょうか?」
「ううん、平気。この旅で粗食には慣れたもの」
「ううっ、申し訳ありませんマリアベル様。僕が不甲斐ないばっかりに……!」
「ああデズモンド、それは言わない約束でしょう? あなたさえいてくれたら、わたくしはそれでいいの」
「だからよそでやれ、よそで」
わいわい騒ぎながら朝食を完食する。
食後のお茶に、お嬢様とデズモンドはたっぷりと砂糖を入れていた。やはり物足りなかったのかもしれない。
「さて、今日はどうします?」
「俺は予定通り『境界の森』でドロッパゲを狩ってくる。ベルは領主の妻として、視察という建前でペルレアを観光してくるといい。護衛にピエールを付けるから、絶対に離れないようにな」
「ピエールさん、ですか?」
気のいい御者であるピエールさんの顔を思い浮かべ、私は首をひねる。彼が護衛と言われても少しもピンとこない。
戸惑い顔の私を、アレクシス様がくくっと笑う。
「あいつはああ見えてなかなか使える。というか、辺境の人間は必要に迫られて武に長けた者ばかりだ。ソニアだって性別と年齢にあるまじき強さだろう?」
「確かに。年齢は知りませんけど」
私は深く納得し、それから己の身を振り返った。私ってば辺境伯様の妻なのに、戦闘力が皆無なのは駄目じゃない?
これは、私もソニアさんに弟子入りするべきか……!
「やめてくれ。ベルには戦いなんて危険な真似は絶対にさせられない」
アレクシス様がさっと顔色を変える。
「ベルは俺が守るし、俺が側にいられないときには必ず護衛を付ける。ベルに期待するのは、そうだな。疾風のような逃げ足ぐらいか」
……逃げ足かぁ。
それなら私、まあまあ自信ありますよ?
胸を張ってそう告げたら、アレクシス様から鼻で笑われた。
「それは初耳だな。初めて会ったとき、いとも容易く俺に捕まったくせに」
「うぐっ、そっそれは……っ! 過去は振り返らないで、これからの私に期待してくださいっ」
「……ほぉう? ま、どれだけ逃げ足を鍛えようとも、俺からは絶対に逃げられんがな」
からかうみたいに目を細め、私の額を優しく弾く。
不意打ちに驚いて、みるみる頬が熱くなった。はくはくと口を開けるばかりで何も言えない私に、アレクシス様は「してやったり」と言わんばかりの笑みを浮かべる。
「は、腹立つ~っ」
「ふふん。たまには妻に勝つのもいいものだ」
「いつも負けてる自覚あるんじゃないですかっ」
ぽこぽことドヤ顔夫の胸を叩くと、テーブルの向こうからわざとらしい咳払いが聞こえる。
はっとして視線を向ければ、半眼のお嬢様と目が合った。デズモンドは苦笑いを浮かべて私たちを眺めている。
「よそでやれ、の気持ちがよぉ~っくわかったわ」
「全くですよね、マリアベル様」
「……お前たちが言うな」
耳を赤く染め、アレクシス様がそっぽを向いた。




